English Haiku

2021/06/29

水無月詠草

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     紫陽花にひかれ踏み入る去年(こぞ)の道
             ( ・・・ いつか来し道 デジャブなるかや)

     蛙鳴き虚空飲み込む湯浴みかな
             ( ・・・ 山辺の露天唯我独尊)

     酸素引き歩む翁のシャツの汗
             ( ・・・ 後ろ姿の寂寞として)

     スマホより梅雨なき国の孫の声
             ( ・・・ 抱き上げたくも叶はざりけり)

     梅雨晴れや古人の言のしたたかさ
             ( ・・・ 明日をな思ひ煩ひそとて)

     水無月の尽きて過日を嘆きけり
             ( ・・・ 残る半ばも疾く逝くものか)

     Half a year is gone
         leaving me along the lane
             without fruitful memory

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2020/09/13

GO TO 仙台

 よく判らない一律給付金、使うべきなのだろう。
 社会的に感染事情はいろいろあろうが、なに、為政者たちに行動を制限されてたまるか、などという意気込みなどないが、家内の仕事出張にくっついて仙台へ。もっとも彼女は集団行動なので夕食のみ合流。宿泊も別である。
 その食事処、仙台ハーフマラソンなどで何度か訪れている、その名も「仙台藩」。ここがご当地の最大のお目当て。山海の美味珍味、久々に堪能した。堪能するために来た。
「こんな状況の中、よくぞお越しくださいました」と若女将、苦難のご様子。「頑張ってくださいね」と思わず声をかけたのはスタッフの皆さんのおもてなしぶり。退出時は女将さん、若女将さんみなさんで、お見送りしてくださった。また行くぞ。GO TO 仙台。

 この杜の都、マラソン以外は巡ったことがない。走りながらだからどこがどうか、青葉通り、広瀬川畔、青葉城址、寺町の木陰道など、コース案内に従って息を切らせながら通り過ぎた、風景を楽しむ余裕などない、故に記憶不確か、地理にはまことに不案内至極。
  で、きょうはみちのく古寺巡礼。

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 地下鉄東西線薬師堂駅で下車、陸奥国分寺薬師堂を訪ねた。
 駅から遠からず、気分良く開けた草地とその向こうの小森が目に入る。
 国分寺はいうまでもなく聖武天皇が厄病(天然痘)を祓うために全国に建立させた国立寺院。東大寺もそうだけれど、どれほどの資金と労役を民に負担させたのか、歴史をひもとけば考えさせられる事例ではある。

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    コロナ禍のみやこをのがれ古寺の礎石踏みつついにしへ思ふ

 境内に芭蕉が奥の細道の途中詠んだ句碑あり、「あやめ草 足に結ばん草鞋の緒」。
 なんやこれ、俳聖らしからぬ駄作、と思うのはわたくしめの傲慢か。

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 蕉翁に対抗するわけではないけれど、一句、

    夏草を踏みて旅の日偲びけり

 さらに久々、英語俳句をひとひねり

    Irides are gone.
      I step on the summer grass,
        without fancy dreams.

 地下鉄で引き返し仙台駅を通り越し西公園駅下車、瑞鳳殿を目指す。
 途中、オープンテラスのカフェでランチ。ミネステローネ、十六穀米などのプレート、なかなかに佳し。1000円也。表通りを時おりランナーが駆けてゆく。

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 店の女子に瑞鳳殿への道を聞き(店の前まで出て実に細かく地図を描きながら教えてくれる、親切!)。
 東北大のキャンパスを通り、ようやくたどりついた瑞鳳殿入口。時はすでに家内との約束の時間が迫る。無念の思いで門前に客待ちのタクシーにて仙台駅へ戻る。

 本当は起床後、朝食前にホテル近辺の寺社仏閣をのんびりジョギングするつもりでその用意はしてきたものの、きのう着いた時の雨模様(何たる冷たさ、寒さ)、予報も本日は雨ということで昨晩は少々度を過ごしてしまった次第。なんの言い訳にもならないけれど、いずれ「夕陽のランナー杜の都を駆ける」のタイトルでいつか再掲を期します~る。

2017/12/27

太秦廣隆寺

 千數百年、木造佛弥勒菩薩は坐し、微笑み續けてきた。
 表面の金箔はとうに剥落してゐる。
 頬に觸れる指を傳つて、笑みが流れる。
 
 無限の抱擁・・・・・
 
 吐息をつき退出する。
 見上げれば太秦の空は、悲しいくらゐ青い。
 
 
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 みほとけの 笑み受けとめて ほそゆびの しなりは経たり ちとせももとせ
 
  Out of the temple,
      beaten by the piercing wind,
          my mind roams the air
 

2014/12/06

Old Friends

 1986年、チェルノブイリの原発事故があつた夏、ぼくは当時勤めてゐた病院から1年間留学の機会を与へられ、南スウェーデンのルンド大学へ家族と渡つた。ルンド市は狭い海峡を隔ててコペンハーゲンの向かひにある大学都市。
 妻は当時まだ1才だつた長男を遊びに連れて行つた付近の公園で、同じ年の幼女を遊ばせてゐたスウェーデン人の母親インガーと知り合つた。インガーの旦那はぼくと同じ年の整形外科医、一人娘のフリダは長男と同じ1才。
 その後まもなく、分野は異なるが同じ大学へ留学に来てゐたふたりの日本人医師の家族(東京の神経内科医夫婦、山口の麻酔科医夫婦とふたりの幼女)とも知り合ひになり、3家族9人(インガー一家を入れると4家族12人)は買物や食事、旅行などを頻繁にともにし、1年間を過ごした。
 真夜中まで明るい夏と数時間しか太陽に惠まれぬ長く厳しい冬。ぼくたちには樂しく得難ひ日々だつた。

 帰国後も付き合ひは続いたが、神経内科医は幼子ふたりを残して急死、夫人は自身2度のがんを克服し、2人の子供を医学部、歯学部へ入れた。山口の麻酔科医家族のお嬢さんのうち姉は嫁ぎ(皆で名古屋で行なはれた結婚式に出席したつけ)、妹は医学部を卒業した。我が家では3人の子供たちが大学を卒業して社会人となつた(だれも医の道を歩まず)。
 この間、ぼくたちは2回(神経内科医の奥さんはしばしば)ルンドの街を訪ね、インガーも何度か来日してゐる。インガー家についてはこちら

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 この2週間ほど、春に続いて来日したインガーが我が家に滞在し、東京の奥さんたちともども有馬温泉へ行き(ぼくは神戸マラソンのついで)、さらに女性組は城崎温泉から、姫路、京都を回つてきた(その間ぼくは働いてゐた)。
 先週末は皆で那須の山小屋へ出かけ、今週は秩父の夜祭を見物し、昨夜は手巻き寿司でフェアウエル・パーティー。
 山口の友達夫婦は今回は上京できなかつたが、次回はゼヒ(一昨年は我が家が押しかけて地元のフグを腹いつぱいご馳走になつたつけ)と。
 今朝、インガーをバスターミナルへ送つた。わずかな間だつたけれど、broken English(あるいはdestroyed English)が飛び乱れ、彼女が帰つたあともぼくたち夫婦の間にはわけのわからない英会話が無意識に交はされる。

 28年間、それぞれいろいろなことがあつた。まあ当然といえば当然なのだろうけど。
 親たちはリタイアの季節、子どもたちは社会へ・・・みんな年をとつた。集まつて当時に思ひを馳せれば感慨もひとしほといふものである。
 嗚呼、日々は過ぎゆく・・・
       Days go on so soon,
           dreaming of my four seasons
                with the wine and tears

 那須の山小屋で・・・飲んで騒いでベランダに出て見上げると満天の星空だつたな。
 一瞬の流れ星。ぼくだけが見た。

       流星に祈るまもなし燗つける   (やはり酒か)



 

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2014/06/21

ベルゲンの街

 ノルウエーの港街、ベルゲンは美しい街だ。フィヨルド観光の起点となつてゐるし、もともとはこちらが首都であつたといふ。
 ベルゲンはドイツ語ならば「山」の意味の筈だがスカンジナビアではどうだらう。
 山のあなたの空遠く 幸ひ住むと人のいふ・・・
 Über den Bergen beit zu wandern, sagen die Leute wohnt das Glück・・・だつたと思ふ。大学に入りたての頃、ドイツ語の授業で教はつたことを今も覚えてゐる。古い記憶は結構残つてゐるものだ。

 前夜遅く、雨の中、コペンハーゲンからベルゲン空港に着き、バスでホテルに近い駅を目指したが、アナウンスを聞き間違へて終点まで行つてしまつた。バスに残つてゐたのはぼくたちふたりだけ。
 一瞬途方に暮れたが、バスの運転手さんは市内の裏通りを通つたりして、ホテルのすぐ前まで送つてくれた。何といふ親切なことだらう。

 

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 翌日は世界遺産になつてゐる中世の商人たちが建てた傾きかけた木造の家並み(ブリッゲンといふ)の間の狭い小径の散策を楽しみ、海辺の魚市場でランチ、すぐ近くにあるフロイエンといふ300メートルほどの高さの山へケーブルカーで上つた。
 頂上からはフィヨルドの景観が一望され、はるかにやつて来たといふ感慨ひとしほであつた。

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 古城の広場ではミッド・サマーの祝祭の一環であらう、吹奏楽団が威勢のよい演奏をしてゐた。

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 美術館ではムンクを見、大きな人造湖の噴水や花々に惹かれ、教会を訪ねた。
 
 夕方も暮れる気配の全くない街を歩き回つてゐると、町はずれでビール工場が経営するレストランに行きあたつた。入つてみればかつての姿を留めた趣き深い店である。
 地ビールとワインがうまかつた。聞けばハンザビールといふ。

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 海辺のブリッゲンなる木造の家並みは中世のハンザ商人の活躍の場であつたと。
 ここでハンザ同盟といふ、世界史で習つた記憶のある名称が登場する。少しく調べて見れば、中世にドイツからバルト海沿岸地域の貿易を独占し、北ヨーロッパの経済を支配した都市同盟とある。さういへばそんな記憶もあるやうな気がする。

 日が照れば暖かいが少し翳ると海風が身に沁みて寒い。気温は12度前後。
 日は長く、床に就いても夜の気配は遠い。

 フィヨルドの山にのぼりてながむれば はるばる来ぬる思ひこそすれ

 Seagulls cry above looking for the endless dreams like the tale of Jonathan.

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2014/05/03

バッカスと菜の花

 ボストンから帰るとスウェーデンから古い友人、人妻がひとりで来日、我が家に1週間近く滞在した。
 彼女、大の日本ファンで、これで何度目の来日になるのだろう。5回目くらいかな。
 去年はぼくたちのマラソン旅行に付き合って、佐渡まで行き、嵐に遭遇した。

 

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 休日、ぼくは彼女と、上野でぼたんを鑑賞し、芸大の美術館で法隆寺展を見、谷中の寺町を散策し、根津神社でつつじを楽しんだ。こういうのが大好きなのである。
 はたして彼女は、「amazing」、「fantastic」を連発した。

 

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 夜、ぼくは徳利から彼女の盃に酒を注ぎながら(相当強い。ビール、ワイン、日本酒なんでもOK)、トクトクトクトクという音を聞かせて、良い音だろ?と言うと、
 「確かに素晴らしい。それを俳句にして」
とリクエスト。
 ぼくは翌日の夕食時に、手巻き寿司を食べながら、

   Bucchus makes the sound, pouring out of the bottle, like the joy of spring.

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 俳句の原則、5-7-5のシラブルと季語を詠みこむことを説明しながら披露に及んだ。
 「OK, good, sure」
と理解してもらえたようだった。
 するとやがて菜の花のお浸しを頬張りながら、
 「味だけでなく、色が春らしくてイイ。これも詠んで」
 (彼女は「つつじ」「ぼたん」「なのはな」などの日本語には精通している)
 ・・・う~ん、これはちょっとむつかしいぞ。そもそも「なのはな」が4シラブルで、中途半端だ。同席した友人に、
 「日本語だったら、菜の花や・・・とかだよね」
     (菜の花や月は東に日は西に 蕪村))
 なんぞと話しながら、これはお題頂戴ということで宿題に。
 昨朝、タケノコ、春菜や各種の和食調味料、そば・うどんなど大量の食品でスーツケースを膨れ上がらせた彼女を空港シャトルバス乗り場まで送って行き、ぼくは夜まで考えた。

   Nanohama smiles, even after being boiled, celebrating life.

 これはフォトとともにメールで送る予定。

 

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2013/11/10

西ノ京、秋篠

 薬師寺の東塔が解体修理中で、てっぺんの相輪と水煙が降ろされ、展示されているというので出かけてみた。
 會津八一がこれを詠ったのが、

    すゐえんの あまつおとめがころもでの ひまにもすめるあきのそらかな

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 よほど視力が良かったのか、西塔の上、目を凝らしてみたが、遠くて見えない。カメラの望遠を最大限にして引き伸ばしでみると何とか見える。が、衣の隙間から空が見えるほどはっきりとは撮れない。
 まあ、八一先生の想像力の賜物というべきであろう。

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 特設会場では確かに水煙の天女たちがすぐ間近に見られた。直角に組まれた4枚の水煙に24体の飛天。銅製なのだろうか、雨風に曝され錆び付き、形くずれた姿に乙女たちの表情は読み取れない。
 水煙の空間、向こう側に俗世間の人々が透けて見えるのは滑稽だと思うのは、ひねた考え方だろうか。ぼくだって向こう側から見たらどれほど間の抜けた顔を晒していることか、わかったものではない。
 生身の人間の信頼に足らぬ不安定な有様にまちがいない。

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 修理に使われるという樹齢千年の檜の大木は香りたち、伐採されて横たえられながらもなお、生の息吹きとでもいうような新鮮さを感じた。生きているぼくたちよりも、切り倒された古木の方が新鮮だとは不思議な感覚だ。樹齢千年の古木と言ってみたって、どう見てもこれは生まれたばかりの木だ。

 木材が仏像に用いられても、表面には漆や金箔などが塗られているから、長い年月の後には木肌が露わになっている仏さまが多いが、ブロンズ像となるとほぼ当時のままの姿で残されているのだろうか。
 金堂の薬師三尊、東院堂の聖観音ともに白鳳仏の完成された美しさをそのブロンズの滑らかさから感じる。
 白鳳期というのは飛鳥時代の大陸伝来の文化様式を手本にして(法隆寺金堂の仏さまたちが好例)、日本独自の美を創り上げた時代だと思う。
 もっとも台座には、シルクロード上に棲息した動物たちが描かれていたりはするけれど。

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   千年の空を舞ひ飛ぶ乙女らが 降り立つ庭に秋の雨降る

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 唐招提寺へ来ていつも思うのは、伽藍の絶妙なバランス空間だ。
 南大門から入って正面に金堂、その奥に講堂が建つが、左手には戒壇の壁が続き、右手には鼓楼、経蔵、礼堂、東室などと、全く左右で対称性というものがない。
 それゆえに、この伽藍を気の赴くままに歩いていると、次から次へと現れる様々な堂宇の作り出す変化を楽しむことができる。ぼくはそこに音楽を感じてしまう。
 會津八一はその情況をよく詠っている。歌碑に、

   大寺のまろき柱の月かげを土に踏みつつものをこそ思へ

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  鑑真御廟のあたりは静けさそのもの。境内に参詣者が多くともここはたいてい人影まばらで、苔むした林の静寂さに浸れる。
 芭蕉は当寺に詣でて鑑真和上の像を拝して詠んだ。歌碑がある。

   若葉しておん目の雫ぬぐはばや
       May summer green leaves
         sweep your eyes watching heaven
             with our endless tears.  (by 遊走子)

 今は、紅葉間近の候である。
 

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   苔の上(へ)に木漏れ日落ちていにしへの貴きまなこを今照らすらむ
 

 奈良へ来て秋篠寺へ寄らないことは滅多にない。
 西大寺の駅を降りて秋篠へ向かう畑中の道は、いつも心踊る。
 南門をくぐると、鬱蒼たる木々で薄暗い参道の両脇にはいつも美しく苔がむしている。
 伎芸天をうたった歌は多いが、最も心情的に近いのは川田順の作だ。

   諸々のみ佛の中の伎芸天 何のえにしぞわれを見たまふ

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 天平の甍をいただく本堂に足を踏み入れるとすぐ左手に、ほのかなライトを浴びて立つ伎芸天の姿が目に入ってくる。奈良へ還ってきた、という感慨にひたる瞬間だ。
 薬師如来坐像や脇侍の日光・月光菩薩立像、十二神将などが並び立つ須弥壇の前を、行きつ戻りつしては、また伎芸天の姿に見入る。
 五大力菩薩の明王のような怒りの姿。これは決して脅しているのではない。憤怒の極限の姿だと思う。
 本尊薬師如来は大きな眼を見開いて虚空に無を見つめるようで、手を伸ばせば届くほどの距離で見上げると圧倒的な威厳を感じる。
 そして伎芸天の少しかしげたお顔の表情の優しさ。
 絶対無の凝視、極限の怒り、無限の癒し・・・仏たちの表現しようとするものがこのお堂の中に流動、浮遊し、漂っている。

 このお寺を訪れるたびごとにぼくの心持ちは異なる。
 安らぎを与えられたこともあったし、勇気づけられたこともあったし、何も感じられなかったときもあった。
 伎芸天の表情は微笑んでいるように見えたこともあったし、泣いているように見えたこともあった。
 結局ぼくは、この伎芸天に向かい会いながら、何か語りかけられることを待っていたのだ、と思っていたが、そうではない。ぼくが向き合っていたのは自分自身なのだ。
 じっと仏前に佇んで何かをそこから引き出そうと解釈を試みてきたけれど、なんのことはない、自分の内なるものを探ろうと足掻いていたに過ぎないのではないのか。
 伎芸天に鏡のように己を映し、己の姿を目にしてきたのだ。
 様々な心模様でもってこのお寺にお参りし、仏さまたちの前に合掌してきたけれど、仏さまたちはいつも変わらず、ぼくを迎えた。常ならぬのはぼくなのだ。

 
   向き合ふはおのが心にあらざるや 伎芸天女の笑みにしぞ思ふ

  このお寺を退出するときに、心に刻む會津八一の歌碑が南門の手前にある。

   あきしのの みてらをいでてかへりみる いこまがたけに ひはおちむとす

 ふう~っと息をついで南門を出ると、西大寺への夕暮れの畑中の道、ぼくはうつむきながら粛々とたどった。

 

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   大和路、11月2日から3日間の旅でした。

2013/01/14

名月や:吉本隆明さんとシラブルについて語る

 名月や池をめぐりて夜もすがら

 季節はずれだが、English Haikuをひねり出すときにポイントとなるシラブルについてずっと気になっていたことを考えてみたい。
 この芭蕉の名句、ぼくが試みた英訳は、

Wandering around a pond,
   the autumn moon talks with me 
      all through the long night


 英語で俳句を詠む場合、シラブルの数合わせが原則5-7-5ということになっている(と勝手に思い込んでいる)。
 この英訳を辞書にしたがってシラブルで区切ってみると、

Wan・der・ing a・round a pond,
   the au・tumn moon talks with me 
      all through the long night


で、5-7-5でなく、7-7-5となる。もちろんここで字余りとか、破調とかという「言い訳け」ができないわけではないが、字余りは575のリズムをあえて崩して成り立たせる表現である。ぼくの頭の中ではリズムの切れとしては、wander/ing /around /a /pondで「5」なのである。

 ところが英語がnativeになっている人々にとっては、どうもシラブルのリズムがそのまま口ずさむときのリズムと一致するようなのだということを知ったのは、ネット上で在米の方からぼくの句についていくつかのご指摘を頂いたときからだった。
 日本人の頭で詠む英語と、英語をnativeとする人々が口ずさむ英語の語感の差というものがどこから生ずるものなのか、吉本隆明著「母型論」にヒントを見出したような気がする。

 「母型論」(吉本隆明 2004年思潮社刊)は、母型論、連環論、大洋論など序章を含めて14章からなる論考集である。吉本隆明さんは昨年春87歳で亡くなられた詩人にして大思想家。なかなかに読みづらい。ぼくなんぞが語りあえるお方ではない。

Photo_2  著者は問う。
・・・日本語がまだ文字として表記されなかった以前までさかのぼって日本語を考えると、日本人に固有の民族性と思われている風俗とか習慣、宗教、倫理観、自然観というものが、実は日本独自のものではなく、もっと多種族の複合的な融合の結果ではないか・・・
 「日本語がまだ文字として表記されなかった以前」というのは、言語ができる以前の「前言語」の世界を指す。
 「前言語」とはなにか。ヒトは誕生するとき「おぎゃー」といって出てくる。その後は「あわわ」とか「あばば」とかいう、まだ分節化されない音声の発音(表音)で自分の欲求、意思を表明する。表音の中に含まれる「表意」である。
 やがて成長に伴って少しずつ表音は「言語」となっていくが、この過程を著者は母音からひも解いてゆく。アイウエオである。これに「ん」を加えて、音が言葉になっていく状況を種族的特長(3母音とか6母音の言語からなる種族もあるという)も交えて述べる。

 著者は角田忠信という学者がその著書「脳の発見」で「母音を聴く場合、日本人は左脳(言語脳)で聴くのに対してアメリカ人は右脳(非言語脳)で聴くが、これは日本語族にとっては母音がそのまま意味のある言語となっているからではないか」というようなことを推定しているのを引いて、これをさらにおし進めて考察する。

 もともと日本語族は自然現象(たとえば山や河や風の音や水の流れの音など)をすべて擬人化、あるいは擬神化して固有の名をつけて呼ぶことができる素因があった(自然崇拝、アニミズムである)し、また自然現象の音を言葉として聴く習俗の中にあったこともあった。
 こういったことを背景にして、日本語族は母音の波の広がり(波頭に母音が生じ、これが様々に変容して音声の大洋をつくるというイメージを彼はこのように表現する)を言語脳に及ぼさせた、つまり母音を言語脳で聴くようになったと著者は論ずる。

 母音そのものに意味を感じ取り(たとえば母音に阿衣有得男などとあてはめるてみると面白い)これを言語脳で聴く日本語族と、a・i・u・e・oを非言語脳で聴くヨーロッパ語族の違いを著者は、自然環境の差異と類推する。
 すなわち厳しい自然環境の中で生き延びるためには、音声の分節化もこれに適応するために加工せざるを得なかったと考察する。
 東南アジア、オセアニア、南米、アフリカなど日本語と類縁関係にある地域と、インド、ヨーロッパ語圏地域での天候を人類の言語が形成され始めた時代にさかのぼって比較すると後者の方がより厳しい条件下にあったという。
 つまり日本語族は言語を獲得する過程で、温和な自然の音をそのまま言葉として聴く習俗をそのまま保存していくことができた(母音を言語脳で聴けた)が、英語圏では厳しい自然との融和ができず、加工が必要で、分節化が進むにつれて変容を遂げ、母音を非言語脳で(いわば直感的にでなく、論理的にということか)理解せざるを得なかった、ということになろうか。

 さて、結論である。
 シラブルも母音を含む音節(分節)を1単位とすることを原則とする。母音を非言語脳で、すなわち論理的に(?)聴く英語圏の人々にとっては、母音の構成そのものを厳格に判断する。すなわちシラブルも辞書通りに聞く耳が、歴史的にというか、発生人類学的に出来上がって備わっているので、

Wan・der・ing a・round a pond,
   the au・tumn moon talks with me 
      all through the long night


はあくまで7-7-5であって5-7-5ではありえないのだ、ということになろうか。
 とするとEnglish Haikuを詠むときの必須原則を洋の東西で考え直さなければならないのではないか、という気もしてくる。
 季節感覚が地域によって日本とは異なるEnglish Haikuであるとはいえ、作句において季語は求めたいが、575の味わい方は彼我の違いを了解しておいたほうがよさそう・・・かもしれない。

 それにしてもいやはや、かなり難解なる書だった。吉本隆明さんの語りから引き出してきたこの結論、少々強引にしてこじつけ、我田引水の感は、我ながら否めないのであります。

2012/10/02

9月のうた

   若葉しておん目の雫ぬぐはばや
May summer green leaves
    sweep your eyes watching heaven
        with our endless tears.


   名月や池をめぐりて夜もすがら
Wandering around a pond,
    the autumn moon talks with me 
        all through the long night.

   飛騨にて
合掌の屋根よりのぼる雲の峰  写真俳句

   飛騨のマラソン大会にて
衰へぬ夏に歎きの走りかな

   暑さ続く秋の夜に
気がつけばこの季節なり秋刀魚食ふ

2012/09/12

名月や池をめぐりて夜もすがら

Moon  そろそろ中秋の名月の頃であるが、清澄な秋の夜長にはほど遠い昨今の残暑、ほどほどにしてほしいものだ。
 確かに虫の音は日ごと賑やかになってきてはいるようだが、秋という実感はない。
 月山へ行った先週末は落ち着いていためまい感が、東京へ戻り、仕事に就くと、またまた出没。家族は「気のせいだ」となじる。
 
    名月や池をめぐりて夜もすがら
 
 月に気をとられて時の移るのも忘れ、池のまわりを逍遥しているのは芭蕉、その人。
 ぼくは月を主人公に見立ててみた。

      Wandering around a pond,
          the autumn moon talks with me
              all through the long night
.

 月がぼくを見おろしながら池を巡っている。
 ぼくはそれに惹かれて、ふと気付くといつのまにか、池のまわりを歩かされていた。
 夜は更けてゆく。

               

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