英文俳句

2020/11/05

奥州藤原氏の旧跡を訪ねる

 前回仙台を訪れた時は「いずれ夕陽のランナー杜の都を駆ける」などと言っておきながら、2日目は山形、3日目は岩手。気紛れである。
 仙台からレンタカーで1時間半ほどで平泉に着く。
 以前この地を訪れているが9年前のこと。東北大震災のあった年だ。

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 中尊寺は山門から本堂に至る参道の上りがなかなかにきつい。月見坂という。
 この3日間、歩き(寺町巡り21000歩)、上り(山寺参詣15000歩)、・・・しかし、煩悩未だ衰えず、五欲一向に去る気配なし。
 
 途中に見晴台があり、衣川のあたりを一望できる。
 山寺では蝉の声に耳を傾けた蕉翁、この地では衣川の戦を偲んでいる。

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・・・三代の栄耀一睡の中にして、大門のあとは一里こなたにあり。秀衡が跡は田野に成りて、金鷄山のみ形を残す。先づ高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河なり。衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入る。康衡等が旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし堅め、夷をふせぐと見えたり。偖も義臣すぐつて此の城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて時のうつるまで泪を落し侍りぬ。・・・

  夏草やつわものどもが夢の跡
   Samurais sleep dreaming of the old glories on the summer grass.

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 芭蕉が五月雨の中で見た金色堂は紅葉、黄葉が緑と微妙に混淆した樹々の枝にさらに被われ(芭蕉が参詣した当時の被い堂が残されている。上右)、白雲浮かべた蒼空との対比が素晴らしい。

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 境内では菊祭りの展示があり、能舞台では能が演じられていた。残念ながらよくわからなかったけれど澄んだ雰囲気だけは味わえた。

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 毛越寺は中尊寺に近く、山寺立石寺、中尊寺とともに9世紀中葉に慈覚大師が開山した天台宗のお寺。

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 浄土のありさまを具現した池を囲んで建てられた伽藍建築はほぼ失われているが、南大門址に立つと燃える紅葉に思わずため息。
 夢見心地というのはこういう気分をいうのだろうか。

    みちのくの浄土の庭に紅葉燃え水面(みなも)を流るる秋のしら雲


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 池のぐるりをたゆたいながら、奥州藤原氏がうつし世に見た浄土の夢に思いを馳せた。

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     大寺にまろき柱も軒もなく礎の上(へ)を秋風ぞわたる

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2020/11/04

芭蕉の山寺参詣

 仙台から仙山線で30分ほどで単線を走る列車は山中に至り、清らかに澄んでいかにも冷たそうな渓流や、車窓両がわ間近に迫る鮮やかに色づいた樹々がつぎつぎと過ぎてゆく。
 小一時間で山寺駅に着く。山形県である。
 山寺といえば芭蕉の名句、「閑さや岩にしみいる蝉の声」で有名。学生時代に訪ね来た幽かな記憶があるが、本当に幽か、全くおぼつかない。

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 伽藍を構成する建築物は険しい山肌に食らいつくように、吸いつくように配置され、登山口から奥の院まで千段余りの石段の参道が続く。

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 薄暗い樹間をゆく参道は曲がりくねりながらの上りで、所々開けた空からは陽が注ぎ、はじめはうすら寒いと思っていたのがいつしか額に汗がにじむ。

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 息を整えながらひと足ひと足上るが、息が切れ一休み、また一休み。
 2週間ほど前にひいた風邪、気管支炎が長引き体力が落ちていたが、こういう負担のかかり方だと、その回復ぶりの頼りなさが露わになる。

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 そういえば羽黒山の2400段を駆け上ったのは8年前のこと

 1段のぼるごとにおのれの煩悩が滅却されていくと案内板にある。煩悩は百八つどころではないということか。

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 山にあるお寺で山寺というのかどうか、正式名称は宝珠山立石寺。平安の初期貞観時代創建の天台宗のお寺だ。
 本堂根本中堂には金剛・胎蔵の二界曼荼羅が掛けられてある。

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 寺域である岩山の至る処に磨崖仏や石仏、石造りの供養塔などが散在し、山腹には石窟もあまたあり、鎌倉のあちこちにある「やぐら」を連想させる。

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 修行の場とはいえ、こういう峻険な地にこれほどのものを創り上げるエネルギーにはただ驚嘆あるのみ。
 そうして全山を被う紅葉、黄葉、とりわけ能舞台のような三面を見渡す五大堂からの眺望は素晴らしい。

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      紅葉が全山おほふ岩の寺 

   
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       山寺の岩にしみいるみほとけの幽かな笑みにいにしへ思ふ

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 石仏とか磨崖仏にとても惹かれる。
 何百年も風雨に曝され、顔貌、姿が摩耗して判別し難くなる。時間の流れを体感するとともにかつての姿を想像したりするのは楽しい。
 むろん、その時の気分で、感慨、解釈はいかようにも変容を遂げるわけではあるけれど。
 臼杵の磨崖仏近江の石仏群、奈良滝坂の道に沿って点在する石仏・磨崖仏などなどどれも魅力的だ。
 中宮寺の弥勒菩薩像について、保存のために漆で鋼のような印象を受けるが何百年か経ってその漆が剥落しもとの木肌があらわれたときの陰影はいかばかりすばらしいものだろうか、と亀井勝一郎が「大和古寺風物誌」に書いている。まったく同感である。

       Breaking the silence, the voices of cicadas soak into the rocks.
           (閑かさや岩にしみいる蝉の声)