古寺巡礼

2021/03/23

房州の春

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 房州の山中に大山千枚田という棚田がある。実際は375枚だとか。
 人影はなく、カエルがにぎやかに静寂を破っている。

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 さらに急な坂道を上った山の中腹に大山寺なる寺院があり、当地では大山不動尊として親しまれているという。
 本堂(なのだろう)不動堂の内陣の厨子には鎌倉中期作の不動明王坐像と両脇侍に童子立像が安置され、格子ガラスの奥に拝観できる。

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 格子戸の手前には十一面観音の立像があり、かなりの年月を経て全身が摩耗しており、その朧さ加減、覚束なさに言い知れぬ愛着を感じる。
 なんの説明書きもないが、ひょっとしたら、と、天平の風を感じた。

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 鐘楼は創建された当時、江戸時代のままの姿を留めており、撞くことができる。
 但しコロナ感染に注意し、手指消毒を促す張り紙がある。

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 撞木の綱を引いてみる。重い。ほんの少ししか撞木は動かず、梵鐘まで届かない。揺れに合わせて少しずつ大きく引き、―― ホントにこれ鳴らしていいのか、と不安に思いながらも ―― 3度目に放すと途方もなく多きな音がした。
 残響は間違いなく里山一帯から眼下の長狭平野と呼ばれる狭隘地まで届いたのだろう。
 お堂の内部に写真撮影禁止の表示はなく、梵鐘も撞いてよし、と大らかなお寺だった。

           蛙鳴く棚田の里の花見かな

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2021/01/24

伽藍なら唐招提寺

 連日回想の古寺巡り、今日は唐招提寺。
 一番お気に入りの佛像は秋篠寺の伎藝天と述べたが、伽藍なら何といっても唐招提寺。
 帝の命を受けた遣唐使の懇願により、日本に佛教の戒律を伝えるため、苦難の船旅の末来朝した鑑眞が晩年を過ごした寺である。

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 南大門を入ると真正面に、天平の甍も高く鴟尾を戴いて寄棟造の金堂が鎮座し、背後には入母屋造の講堂、金堂と講堂間の東西には小さな二階建ての鼓楼と鐘楼が、講堂の東には細長い東室と礼堂、さらに校倉造の経蔵、宝蔵などが配置されて建つ。
 伽藍には天平と鎌倉、ふたつの時代様式が保存されている。
 金堂の吹き放しとなった正面には八本の、エンタシス様式と呼ばれ、その原型は古代ギリシャ神殿に遡るとされる太く円い柱が屋根を支えて並び建つ。

   
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   おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそ おもへ
 
 大寺の丸い柱が落とす月影を踏みながら思索を重ねて歩みゆく。
 秋艸道人会津八一の一首、境内でどれほどくりかえし口ずさんできたことだろう。

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 この伽藍の魅力は何といっても建物の配置の妙だ。
 寺域をあてどもなく逍遥すると、網膜の上を過ぎる御堂は時々刻々、佇まいを変え、互いに前後に重なり合うさまは微妙に移ろいゆく。それは建物の大小、奥行きや配置具合といったものがもたらす遠近法の精妙さ、華麗な巧みの技とでも言うべきか。

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 そして並べられた棟、軒、庇、塀や樹木、苔むす庭、玉砂利といった伽藍のひとつひとつに当然ながら陰翳が寄り添っているさまは、陰陽が織りなす小宇宙である。

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 ここは歩きながら視界を動的に楽しむお寺だ。亀井勝一郎は「大和古寺風物誌」の中で「伽藍の交響楽」と表現したが、言い得て実に妙である。

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2021/01/23

秋篠寺の思い出 続き

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 秋篠寺は7世紀終わりごろ光仁天皇の勅願により創建されたとされる。光仁天皇の後、皇位を引き継いだ桓武天皇が七堂伽藍を整備した、ということは、都が平城京から平安京へ遷る頃のことだが、その前に長岡京に短期間遷都があった(桓武さんは気紛れだった?)。
 最澄、空海がそれまでの旧仏教(南都六宗と呼ばれる、宗教というよりは教学)から唐の最新仏教(インドから伝わった天台、真言)の導入を試み始めた時期に当たる。
 密教の影響はまだ齎されてはおらず、従って美術史的には天平時代の影響下に諸佛が造立されたわけだが、創建当時からの原型をそのまま残すものはなく、わずかに、伎藝天、梵天、帝釋天の頭部だけが当時の名残りを留めているようである。
 堂塔伽藍も現存するのは講堂跡に再建された本堂、それに秘佛大元帥明王を安置する大元堂ともに鎌倉時代のものだ。
 美術史的価値を云々するのは不毛だ。本堂に戻ろう。

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 素晴らしいのは伎藝天ばかりではない。
 本尊薬師如来は厳しい表情、見開いた眼など貞観佛の特徴を備え(実際は室町期の作らしい、とまたも美術史的分析)、須弥壇のすぐ下から手の届くほどの距離に拝することができる。素木仕上げなので、木肌の文様、傷み具合などが詳細に観察(ではない、拝観!)することができる。

    近づきてをろがみ見ればみほとけは木肌あらはにいにしへの笑み

 (をろがむ=拝む)
 須弥壇中央の薬師如来、脇侍の日光・月光菩薩、その両脇に梵天、帝釈天が鎮座するが、十二神将が左右に6体ずつ、薬師三尊を守護するが如くに立ち並び、こちらはいかにも鎌倉時代の作らしい(また分析!)写実味を横溢させている。

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 秋篠寺は近鉄西大寺駅から1キロほど離れた場に位置する。奈良での宿泊は市内だから、ホテルへ戻るときは西大寺駅まで歩くことになる(バスもあるが時間の制約がある)。
 寺の南門を出て(バスが着く東門が通常の出入り口になっているがお寺は南門が正門)、畑中の小径(歴史の道という案内表示がある)を辿る。

 秋艸道人の歌碑、「あきしの の みてら を いでて かへりみる いこまがたけ に ひ は おちむ と す」が境内にある。

 駅までの帰路、畑中の道を歩くときは右手の方角に生駒山はある。現在は住宅が立ち並び、容易にかの山を見通すことはできない。
 どこか、夕暮れを目にすることのできる場所はないものかと、探ったことがある。
 南門を出てすぐに右折し、しばらく行くと秋篠窯という陶器を作る工房があり、そのさらに先まで行くと僅かな空き地から遙か彼方、ほんの少しだけ生駒の山なみ(の一部)が望めたことがあった。今はどうか判らない。
 懐旧の情ばかりが脳裡をよぎる。去年(こぞ)の雪いずこ、・・・いやいや、感傷に耽ってはいけない、今日は一日雨、今夜あたり本当に雪になるらしいが。


       Aiduyaiti  
 

 

2021/01/22

秋篠寺の思い出

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 「日本彫刻美術」・・・50年程前、ぼくが奈良へ通い始めた頃買い求めた本で、奈良国立博物館の向かいにあった永野鹿鳴荘という写真屋さんを兼ねた書店(日吉館の並びにあり、現在はカフェ)から刊行されたもので刊行年は記載がない。定価200円とだけある。
 86ページの中に日本の仏像が飛鳥から江戸に至るまで、写真とともに解説され、各時代の特徴を知るのに非常に役にたった。
 仏像を前にしてはその制作年代を推測し、当たると喜んだ、そんな他愛のない時代があった。仏像は観るものではない、拝むものだ、とは重々認識してはいたのだけれど。

 で、一番好きな仏像は? となるとこれは何といっても秋篠寺の伎藝天だ。
 本堂を入ると左手にライトを浴びて立ちおわす。須弥壇上だから、下から見上げることになる。
 お顔をわずかに傾げ、右手を胸の前に掲げ、中指と薬指が親指近くまで軽く曲げられ、腰をややくねらせ、わずかに開いた両足は今しも、つっと踏み出すかのよう。
 表情は微笑しているようにも見えるし、思惟の内に沈潜しておわすようにも見える。
 眺める方向、ライトの当たり具合によっても変わるし、左右へ歩むとそれにつれても表情は変化する、なによりこちらの心の持ちようによっても変容を遂げる。頬に涕を流しているかに見えたこともある、これはまさに当方の内部の表象でもあったか、たぶん。
 肉感、腰のくねりから愛おしい佳人(むろん想像上の理想的ミューズ)へ想いを膨らませることもときにあった、これもこちら側此岸の妄念には違いない。

   さまざまに思ひいだきておろがむも御佛ゑみて語らざりけり

   うつし世に命うけたるこのゑにし佛の前に涕ながるる

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 50年余りのむかし、大和路の初旅でこの寺を訪れたのは歳の瀬で、土間からの寒気と震えるような感動に身の引き締まる思いで凝然と佇んだのを憶えている。
 本堂前の庭に小さな休憩所があって、夏休みにお詣りした折りなど、そこにからだを横たえて休息し(不遜!)、また本堂に出向き、と何時間もこのお寺で過ごしたものだった。

 この佛さま、お顔(頭部)は天平時代の脱活乾漆造で、首から下は鎌倉時代の木造による補作とされるが、全く違和感がない。
 本堂は鎌倉時代の再建とされるが、こちらも天平様式を思わせる。
 正面の扉の所々は長年、風雨に曝され痛々しくもある。
 これからも補修に補修を重ねてゆくのだろうけれど、数百年、あるいは千年の年月が過ぎたあと、木造の佛さまはどのようなお姿でおわすのか、微笑みはなお残されているのだろうか。拈華微笑? ・・・ぼくには想像すらできない。

   破れ戸の御堂に立てる伎藝天ゑみをかしげて何思ふらむ

   面かしげゑみておはせる伎藝天ちとせののちもかくあらめやも

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   ほの暗き御堂にをはす御佛の指先過ぐる初夏の風
 
 

2020/12/30

Go To 鎌倉三たび

 世間のコロナ禍を視界の隅に捉えつつ、また鎌倉へ行った。先週末のこと。
 小一時間(とちょっと)かけて、小人数(老妻とふたり)、土曜の昼前、電車はガラガラである。

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 鶴が丘八幡宮もさすがに人出は前回ほどではない。
 大銀杏下の狛犬も予防のマスクを着けさせられている。この前を通って家内安全、厄災退散を祈願するのだから、なんともはや、二の句が継げない。

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 全国どこの寺社もそうなんだろうけれど、これだけの奉納酒、いったい誰がどのように消費するのか、・・・俗世間の勘繰りを入れてはいかんのだろうな、・・・などと思いながら国宝館を訪れたが「当分閉館です」と。

 で、今回は鎌倉の南方、大町のあたりを散策した。

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 若宮大路を南下、一の鳥居を左折してしばらく行くと、蛭子神社にぶつかる。
 蛭子(ひるこ)は「えびす」とも読むんだそうで(よくわからない。日本神話の昔話に出てくるんだとか)、七福神のひとつ、恵比寿様を信奉するのだと。
 もとは近くの本覚寺の境内にあったのが明治時代の神仏分離の憂き目にあってこの地に移されたのだとか。小ぶりだが、存在感のある造りだ。

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 さらに東へ進むと妙本寺と、これは源家2代目頼家の家臣比企一族が日蓮上人に帰依して創建した日蓮宗最古のお寺。
 紅葉がまだ散らずに残り、二組の男女がたぶん結婚式用の前撮り。人気は少なく、いい写真が撮れたことだろう(でも、今だけだぞ)。

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 ここから南へ人家の間を辿ると八雲神社に至る。「鎌倉最古の厄除の社」とある。
 厄には前厄とか本厄とかあるが、我々くらいの老夫婦になるともうそれに相当する齢はないらしい。
 この長寿時代、何かあってもいいんじゃないかとも思うが、古来の伝統に抗うのはなかなか骨が折れそうではある。
    
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 この神社から東へ小径をたどり、小川(逆川という)を越えると妙法寺なるお寺に着く。
 妙本寺といい、妙法寺といい、似たような名前で混乱するが、ここも日蓮宗のお寺で(南無妙法蓮華経の妙ですね)、日蓮上人がこの鎌倉の地に布教に際して初めに結んだ草庵を創建の始まりとするのだとか。

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 受付でおばさんが太いお線香2本に火をつけて拝観料と引き換えに持たせてくれる。
 まずは本堂にお香を立ててご本尊に合掌ののち、ずずっと奥へ、奥へお詣りくださいという。

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 仁王門(仁王像は朱塗りがかなり残っているが慶派の血脈をひいているように思われる)から続く石段は苔石段として有名らしく(紅葉や公孫樹の落ち葉で苔むす様子は窺えずちょっと残念)、立ち入り禁止、脇の階段を上ると法華堂という江戸時代の品のよいお堂があり、さらに上ると、悲劇の皇子護良親王のお墓のある少し開けた場所から相模湾の眺望が素晴らしい。

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 この日も天気に恵まれた。日頃の行いの良さの賜物かとひとり悦に入る。

 ここらからは家内とは別行動。

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 ぼくは南へ下り横須賀線を越えると長勝寺なるお寺に至る。
 ここも日蓮宗のようで、上人を四方から四天王が守護して立つ像に興趣を唆られた(なんて言い方、罰当たりと叱られるかな)。

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 さらに南下すると「辻の薬師堂」。
 ホントに「辻の」というだけあってか、小さなお堂で、木食上人云々という石碑が狹い境内に建てられており、これはもしかして木喰の作像があるのかと覗き込んでみたが、暗くて全く見えない。
 案内の立て看板も文字が剥落してよく読めないが、薬師三尊などの仏様たちが坐すはずのところ、本物は国宝館に収められ、レプリカが安置されているということらしい。

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 ここら鎌倉の南の地、大町界隈では妙の字のつくお寺ばかりで日蓮宗所属が多いのかと思っていたら九品寺に行き当たった。これは極楽往生の様式9種を示す、ということでご本尊は阿弥陀如来、故に浄土宗。
 新田義貞の開基になると説明板にある。

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 少し東に案内通りに進むと光明寺。浄土宗のお寺で本堂、山門ともに江戸時代に再建されたとあるが、壮大な構えだ。
 本堂の廊下伝いに小堀遠州作とされる浄土式庭園があり、その奥に大聖閣という阿弥陀三尊を安置するお堂が端正な趣きを放っている。鳳凰をてっぺんに戴き、全体が金箔で飾られたら金閣寺もきっと一目置くに違いない、とそんな感懐を催す建物である。
 大聖閣を正面に見る廊下に椅子が設えてあり、しばし休息。

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 つらつら考えるに・・・鎌倉は三方を山で囲まれた狭隘の地だ。そこに建長寺、円覚寺といった禅の大寺院とともに日蓮宗、浄土宗と諸派乱立、それぞれの伽藍の面積は相当部分を占めたと現地を歩いて容易に想像される。
 が、ここは寺町ではない、幕府の開かれた武家の都市だ。御家人たちの邸宅だって狹くはなかったはず。だからだろう、墓所に不足し山肌に多数の洞が掘られた。
 南都北嶺の旧仏教の時代を過ぎ、禅、浄土、法華という新仏教が全く同時代にこの地に勃興したとい事実は、中世に生きた人々の多様な価値観、人生観がお互い排除しあいながらも並立したということであり、ずいぶん健康的な時代だったな、と思う(小林秀雄さんが同様のことお話になってたかしら)。

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 すぐ南はもう材木座海岸。かなたに富士山が霞んで見える。
 疲れて重い足を引き摺りながら砂浜を歩いた。
  (・・・ここから材木座の思い出。そうして翌日、金沢文庫へと続きます。)

 

 

2020/12/29

金沢文庫・称名寺

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 ここを訪れたのは3,4年前かと思っていたら9年も前のことだった。過去の記憶、特に時間軸が実におぼろである。
 金沢文庫で「東アジア仏教への扉」という展示が開催されているのを新聞で知り、行ってみたいと思っていたのと、称名寺をまた訪ねてみたいというのがあって、出かけた。

 金沢文庫は鎌倉時代、源流が途絶えたのち執権として世を支配した北条氏の系列に名を連ねる北条実時が創設した日本最古の武家による文庫、いわば図書館だが、この北条実時なる人物、政治中枢の補佐役を演じながら、一方では王朝文化や美術、佛教に精通した文化人としての顔を持ち、権力も大いに利用したのだろう、多数の仏像、絵画のみならず、膨大な文物、仏典を蒐集し、文庫に所蔵した。
 現在は県立美術館として整備され、北条一族の菩提寺である称名寺に伝わる仏像、仏具なども多くその収蔵に含む。

 今回は国宝に指定されている多数の仏典の写本が目玉で、正法眼蔵、往生要集をはじめとする仏教界では重要な文物が出展されており、むろんぼくには見ても解らない、とにかくありがたいものだということだけは、説明から判ったような気になった。

 東アジア仏教への扉というテーマが示すのは、この文庫に収蔵されているような仏典は、インドを発して、中国、朝鮮を経て我が国へ伝えられたが、その原典のほとんどはこの経路の途中(インドも、中国も、韓国も)で失われ、ほとんど現存しないということ。
 つまり仏教の聖典が残っているのはほぼ日本だけ、ということ(なんだそうである)。
 そして現在収蔵されている膨大な資料の中にまだまだ国宝級のお宝が眠っているのだと。
 ははぁ、こういう研究って大変な作業だな、と思うとともに、これを連綿と継続させている(あまり派手ではない、あるいはあまり日の当たらないといったら失礼か)仕事に携わる多くの人たちに敬意を表するばかりである。

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 最近、江戸時代に膨大な仏典を悉く読破し、それらの多くが(ほとんど全部?)、お釈迦さまの教えとしては正しくないんじゃないか、という「大乗非仏説論」を唱えた天才学者についての本を読んだ。
 ちょっと退屈ではあるが、方法論として、オリジナルの教えがどのように加筆、修飾、変容されながら現在に至っているのか、本もののお釈迦様の教えへのアプローチを考える上で、得るところ少なからずあった。
 この人が、この文庫の中を改めたら、どんな解釈、展開が起こったろうか、そう想像するのは面白い(なんて言ったら怒られるかしら)。

 さて、今回ここを訪ねる気になったのは、かかる展示以上に、隣接する称名寺の庭園を見たいからというのが一番。
 この秋訪れた毛越寺の紅葉の印象が鮮烈に残っており、また、9年前、この美術館で開催された「運慶展」での運慶の若き日の作品を目にしたときの感慨が今なお折に触れ蘇るから、といずれ思い出巡りのような気持ちがあったのか。あのとき詠んだ。

      毘沙門の若きまなこが見据えたる空をよぎりて冬枯れの野に出づ


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 金沢文庫の正面にあるトンネルをくぐるとその光景は目に飛び込んでくる。
 浄土を意識した意匠はたしかに、創建者の極楽往生の夢を追尾はさせる、させはするけれど、この情景にさほどの感動はなかった。
 期待し過ぎたのだろうか。それとも過去の思い出が自分の中で美化され過ぎたのだろうか。
 あるいは寄る年波が記憶と現実の間に乖離を生み出しているのだろうか、これは哀しい。
 700年以上の歴史は凛としてぼくの目の前に在るのに、わずか10年足らずでぼくの方が賴りなく歳を重ねてしまったのか、よく判らない。
 風は冷やかなのだが、陽射しは少し暖かかった。

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          冬枯れの浄土の庭に夢いづこ

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 称名寺というから、南無阿弥陀仏と佛さまの名を称える、それだけで極楽往生が叶う、つまりは浄土系のお寺かと思っていたが、真言律宗、ご本尊は弥勒菩薩なんだとか。
 これは腑に落ちぬ、と調べてみると「実時が六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂(阿弥陀堂)がその起源とされる」とウイキペディアにあり、納得。

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         この阿吽の仁王像、東大寺の巨大な仁王象に引けをとらぬ迫力。慶派の作なのだろう、たぶん。

 

 

2020/12/18

追懐奈良

 私が初めて奈良の地を訪ねたのは大學に入つた1970年12月、50年前の今頃である。
 入學に至る二年の浪人生活で逼塞を餘儀なくされる日々、怏々樂しまざるところ少からず、數多の書にすがつたが、中でも龜井勝一郎氏の「大和古寺風物誌」には大いに心惹かれ、かの地を訪ねる第一の誘因となつた。

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 ガイドブック片手に懍然たる空氣の中、勞を厭はず、諸寺伽藍を次から次へと時の過ぐるをも忘れ巡ることが叶つたのは、齡二十一にしてこそなせる業であつたか。
   
 旅舍「日吉館」を豫約もなしにいきなり訪れ、泊めて頂けたのは、私にはこの上もない僥倖であつた。
 といふのも、この古びて建てつけの良からぬ宿の、壁やら長押の至る所に、秋艸道人會津八一先生の詠まれた歌の自筆書をおさめた大小の扁額が、ほとんど無造作にといつた趣で掲げられてをり、この先生との邂逅を嚆矢として爾來私淑半世紀、今に至るまで、私の古寺巡りや歌詠みのみならず生き方が受けた影響は計り知れない。教へであり、叱咤激勵でもあつた。

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 時流れ、宿の女主人、をばちやんと呼ばれた田村きよのさんのご高齡により、日吉館は閉鎖され、彼女の逝去後、建物そのものも取り壞されたのは老朽化の故と容易に推察はつく。
 かつては名物となってゐた宿の正面に掲げられた八一先生の書が彫られた看板を、數年前、早稻田大學の會津八一記念館を訪ねた折、展示されてあるのを發見し、巡り巡つてのえにし、懷舊の情を新たにしたものである。

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 初旅の思ひ出としては、東大寺二月堂の舞臺から眺めた夕暮がひときは印象に殘る。

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・・・・・・  群雲を照り染めた夕陽は、大佛殿のかなた生駒の山の端に近づくにつれ輪郭を鮮明にしながら大きさを増し、輝きは朱に朱を加へて燃え立ち、つるべ落としよりもさらに早く、まばゆい光芒はたちまち薄闇にとつて替はられ 、我知らずふつと溜息・・・・・・

 今なほ一醉、瞑目すれば忽ち瞼裡に蘇る。

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 この厄災に、今は遠い地となつてしまつた南京に一夜思ひを馳せ、

      籠りゐる都の夜の一醉に古寺の御佛一睡にこそ見ゆ

 嗚呼、これもまた邯鄲一炊の夢なるか。

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2020/11/30

鎌倉逍遥

 日曜とて時間を外して発てば鎌倉までの車中、他人と袖触れ合うこともない。ゆったりと座って行ける。

 小町通りを避け、横須賀線の反対側の道は人通りもまばら。
 小高い丘陵を左手に見ながら扇ガ谷を巡り、さらに雪ノ下当たりを歩いた。

 この辺りどの寺社も伽藍は大きくない。
 多くがこの地特有の鎌倉石と呼ばれる凝灰岩の崖を伽藍の一部としており(そしてそこには数多の「やぐら」と呼ばれる祠が彫られている)、そこに色とりどりの樹木が様々に絡まり合い、お寺ごと独特の、しかし、どのお寺にも共通した大気が充満している。自然の中にある自分というものが息を吸い込むたびに実感されるのだ。

 山門を入れば枯木崖に群をなし、霊気寥々として心胆寒からしむ・・・(あとが続きません)

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 塀もなく開放的な、つまりそれだけ寂れた巽神社が、小社ながら見事な結構を残して健気に立っている。

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 向かいに八坂神社という、全国的にかなり流布した名前のお社があり(こちらも俗世間との結界は不明瞭である)、堂々隆々たる古木が参道に仁王のごとく立ち、枝葉を延ばし、山門の役を演じている。

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 隣に寿福寺。
 鎌倉五山のひとつ第三位と案内にあるから建長寺、円覚寺に次ぐということか(誰がこの格付けをしたのか、という疑問は起こらなかった)。
 本堂に至る参道の石畳、両脇に並ぶ常緑の高木に混じった紅葉が美しい。

 本堂は立ち入り禁止で、脇の小径を少しのぼると崖を背に墓群があり、こちらは一般向け。
 崖には多数のやぐらがあり、その中に実朝と、少し離れて母(頼朝の妻)北条政子の墓がある。
 三代将軍とその母で権勢を振った女傑の墓所としては極めて質素としかいいようがない。

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       ほの暗きやぐらにいますみほとけに戦禍悼みし日々をこそ思へ

 
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 古びて苔むした石塔群にぼくは心惹かれるのだが、背景をなす岩肌の文様もまた素晴らしい。

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 鎌倉に特有のトンネルに出くわす。行き交うひとは相変わらずごくまばら。

 少し先、横須賀線沿いに英勝寺がある。
 受付に人はなく、ここに拝観料を置いてください、という張り紙と菓子箱の蓋のような入れ物がテーブル上に置かれ、硬化が散らばっている。500円玉を置き300円おつりを頂いた。

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 江戸時代に創建された尼寺で山門、鐘楼、唐門など、そのままの姿で今に伝わる貴重な伽藍(と説明書に書いてある)。
 本堂は扉が閉まっているが小窓を開けると本尊の阿弥陀三尊が拝観できる。運慶作と伝わる。若き日の作であろうか。

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 竹林も見事で、報国寺のそれに比し、揃い過ぎていない野性味というのか、これがぼくには好ましかった。

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 このお寺も崖が魅力的だが、その一部にトンネルがある。


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 人ひとりようやく通れるほどの狭さで向うに明かりは見えるが途中は真っ暗。あたりは静かで少々心細かったが恐る恐る入ってみた。
 飛鳥あたりの古墳の中ってこんな感じじゃないかしら、ってことはお墓の中を通ったってこと? ・・・
 
 しかし冒険心(好奇心?)が勝った。
 スマホのライトで中を照らすと小さな仏様が祀られ香を焚いたあとがある。
 ちょっと身を斜に構えながら(こういう姿勢しかとれないのです)、寸時合掌。


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 と、ここまで楽しんで来た静寂が突如として破れた。
 最近流行りの人力車に乗ってやって来たギャル風女子(というのだろうか)ふたり。車引きのイケメン兄さんの説明と声高に掛け合い。
 一瞬むっとなったが、仏様に向かって手を合わせる後ろ姿を見て、まあ、許そう、・・・勝手に思ったことだった。

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 横須賀線の踏切と、扇川(?)の小さな流れを越えてしばらく行くと浄光明寺にたどり着く。
 入口の受付の方(住職さんだろうか)が、いろいろと親切に説明してくださった。

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 本堂に祀られていた阿弥陀三尊が収蔵庫の方に移されていた。鎌倉時代末期の作で、阿弥陀仏ながら頭に宝冠を戴いている、むむ、これは?・・・と思っていると、江戸時代に後付けされたもののようですと。

 寺の創建は鎌倉から足利に政権が移る頃で、当時は諸宗兼修、派閥を超えた教学の場であったが、皇室との結びつきでなのか、現在は真言宗泉湧派。・・・しからば、・・・・・・阿弥陀仏に宝冠を載せ、真言密教の根本仏である大日如来を混淆させようとしたんじゃなかろうか、なんて邪推が湧く。修行が足りんな。

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 境内全体が山を削って造られたそうで、伽藍を三方から囲む崖には多数の祠が刻まれ、ぼくの好きな石仏もあまたに上る。
 石、崖、坂が大好きのタモリ氏がこちらで「ブラタモリ」のロケに来られたとか(ここに目をつけたディレクターさすが)。
 お堂や仏様はそっちのけで石ばかり見てましたよ、と住職さんは笑う(やっぱりね)。

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 裏手へ回り急峻な石段を登ると、頂き近くに冷泉某(鶴ケ丘八幡宮代々の宮司家と)の墓があり、相模湾が遠望される。
 実朝の見た海はこうではなかったはずだ。思い出される。

       箱根路をわがこえ来れば伊豆の海や沖の小島に波よするみゆ


        (本歌取り)岩山を上り来たれば木の間より相模の海に夕映えを見ゆ

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       石佛に笑み添へんとや寒椿

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 八幡宮は賑わっていたが、鎌倉文華館に足を向ける人は非常に少ない。建物自体が文化財になっている由、ただただ頷く。江之浦測候所が思い起こされた。
「鶴ケ丘八幡宮と文士たち」展が催されていた。

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 文士らのたがいの関係性やら直筆の書に魅入られる。あまりにしげしげと見入っていたもので、妻は耐え切れず(?)館内で別れる。

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 この文人たちの筆跡が気になって仕方なく、江ノ電で由比ガ浜の鎌倉文学館にたどり着いたのは閉館間際。限られた時間だったけれども、鎌倉ゆかりの諸家の直筆原稿に接し、感動を新たにした。

 最後は駆け足になったが鎌倉の古寺巡り、小さな旅を満喫。帰路は夕暮れが美しかった。

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 言い訳がましいが、密を避けての古寺巡礼、可能なのである。

       密を避け霜月の寺巡りけり

 

 

2020/11/09

GO TOいざ鎌倉

     

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 孫ロスを紛らわすというわけでもないのだが、先週の仙台に続いて今週はGO TO鎌倉。

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 北鎌倉の円覚寺からスタートして明月院、浄智寺と巡りながら、つい先日訪ねた仙台の多くの寺院を思い起こし、何が違うんだろう、ぼんやり思ったが、すぐ気付く。考えるまでもないこと、時代も寺域の環境も違う、江戸時代と鎌倉時代だし、近代都市の街中にあるのと自然保護地区との違いもある。

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          名月院悟りの窓(京都源光庵のと違って窓ガラス入りなのが残念)

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            浄智寺山門
 
 市内の寺域のあちこちを参詣客が三々五々、あるいは群れ、あるいは独往。多かれ少なかれこの雰囲気の中を逍遥する人たちの内部には無意識裡に共有される巡礼の気分が流れているんじゃないか。勝手な思い過ごしだろうか。先日書いたように

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 如来、菩薩、十二神将、仁王などなどすぐ間近に拝することのできるほとけ様は少なかったけれど、御堂仏前に合掌一礼するだけで心持ちは自ずから厳粛になる。
 あまたのお寺を囲繞する古木や樹々、岩、それに山腹のあちこちに残る「やぐら」。

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 鎌倉という狭隘の地ゆえ、需給の必要性から横穴を掘って供養の墳墓としたとされ、石仏や供養塔などが安置されているが、どれも風雨に晒され模糊としているさまが時の移ろいを感じさせ、惹かれる、とこれは山寺参詣でも書いたけれど。

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 建長寺の半僧坊から鎌倉アルプスと呼ばれる峰伝いのハイキングコースへ。

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 かなり急峻な上り階段がつづら折りに続く。
 背負うバックパックの重さがさらに足取りを遅くさせる(平生の通勤時と同じくPCだの色々なものに加えて1泊分の着替えや洗面セットなどを詰め込んだせいでいつもよりずいぶん重く感じる)。
 山寺の上りよりもきついぞ。こりゃまるで荒修行だ、などと言ったらそこら中のお坊さんたちに怒られるかもしれない。失礼な話だ。

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 久々の暖かさを超える上天気、厚手のジャケットは失敗だった。
 所々で額の汗をぬぐっては給水。でも晴れ上がって視界が開けたところでは相模湾も遠望できた。
  
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 路上に這う太い根っこや、擦り減ってデコボコの岩場の薄明りの道をたどり、覚園寺に下り着く。
 
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 本堂の薬師三尊にお参り。受付のお坊さんに「コロナに罹らないようにお祈りしながら作りました」とお守り札を頂いた。

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 他のどのお寺でも同じだが受け付けに消毒ジェルが置いてある。それに密にならぬよう順路を作ったり、出入り口を分けたりと動線に工夫を凝らしているところも多い。覚園寺ではこの時、お参りの人はひとりだけだったけれど。

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 覚園寺では受付から奥は撮影禁止。

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 付近のお蕎麦屋さん「武士」でやや遅いランチ。新そば(十割鴨そば)が旨かった。いっしょに頼んだビール、汗をかいたからだに咽喉からしみこむ快感!

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 しばし歩いて杉本寺へ。
 入口からすぐに続く急な石段を見て妻はギブアップ、先にホテルへ行っているわと別行動。
 修行が足らんぞ、なんのこれしき・・・と威張ってみてもやはり足取りは重くなる。

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 仁王門には運慶作という仁王阿吽の像。東大寺のものと比べるとちょっと手を抜いたのかしら、などと不届きな考えがちょっぴり脳裏をよぎる。

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 杉本寺は鎌倉で最古のお寺。鎌倉幕府が開かれる500年前に行基が開山したとされる。
 本堂のご本尊の杉本十一面観音は秘仏で、運慶作とされるお前立の十一面観音が薄暗い御堂の奥に佇立する。
 お顔の部分は光がかなり届かなくなっているが、眼を凝らしていると次第にかすかに拝することができるようになってくる(ような気がした)。
 
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 これより数百メートルで竹の寺、報国寺に至る。

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 ここにもやぐらがある。

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          もののふの眠るほこらに霜月の風は過ぎゆく葉ずれすらせず

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 ここでもそうだが、若い人たちのお詣り姿が目立つのは気のせいか。小町通りあたりでレンタルしたものなのだろう、着物姿の女子をよく見かけた。印象についてのコメントは差し控える(流行ってるよね)。

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 日はやや陰り竹の林の輝きの期待はかなわず。

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        冬立ちて苔に暖とる佛かな

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 ゴールは鶴岡八幡宮。疲れ果ててたどり着き源氏池のほとりでしばし休息。

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 八幡宮の石段下でこれも密を避けるためなのだろう、参拝客の人数を区切って時間をおいてお参りへと導いていた。
 10年前、強風で倒れた大イチョウは再生が進んでいるようだった。
 
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 25000歩の小さな旅、宿は由比ガ浜のホテル。大浴場があり、サウナに入ったのは何年ぶりだろう。
 直ぐ近くの小さなイタリアンの店で夕食。妻はネットでもってこういうところを漁るのが実にうまい。不思議と鼻が利くのである。お寺、仏像にはとんと興味を示さぬのだが。

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 今日はのんびりとチェックアウト。近くを保育園の園児たちがお散歩。つい先日発ったばかりのかれらを思い出す。
 娘一家は目下シンガポールで隔離生活。孫①が「おじいちゃん、おばあちゃんの家に帰りたい」といって娘が苦労しているらしい。
 何せ車で送りだしたときは、「じゃあ、またあした遊ぼうね」って窓から手を振ったものだった。ちょっと胸キュン。
  
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 時間が少しあり、駅のそばの静かな大巧寺というお寺を散策。1時間半ほどでバイトの病院に到着、いきなり日常の中に戻った。
  
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 でもねえ、・・・いくらお国の政策って言ったって、40分のマッサージとお土産付きで1泊1万円余りの割引に5000円の地域共通クーポン。これでいいんでしょうかね。何とはなしに引っ掛かります・・・と、小さな声で。

2020/11/05

奥州藤原氏の旧跡を訪ねる

 前回仙台を訪れた時は「いずれ夕陽のランナー杜の都を駆ける」などと言っておきながら、2日目は山形、3日目は岩手。気紛れである。
 仙台からレンタカーで1時間半ほどで平泉に着く。
 以前この地を訪れているが9年前のこと。東北大震災のあった年だ。

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 中尊寺は山門から本堂に至る参道の上りがなかなかにきつい。月見坂という。
 この3日間、歩き(寺町巡り21000歩)、上り(山寺参詣15000歩)、・・・しかし、煩悩未だ衰えず、五欲一向に去る気配なし。
 
 途中に見晴台があり、衣川のあたりを一望できる。
 山寺では蝉の声に耳を傾けた蕉翁、この地では衣川の戦を偲んでいる。

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・・・三代の栄耀一睡の中にして、大門のあとは一里こなたにあり。秀衡が跡は田野に成りて、金鷄山のみ形を残す。先づ高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河なり。衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入る。康衡等が旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし堅め、夷をふせぐと見えたり。偖も義臣すぐつて此の城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて時のうつるまで泪を落し侍りぬ。・・・

  夏草やつわものどもが夢の跡
   Samurais sleep dreaming of the old glories on the summer grass.

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 芭蕉が五月雨の中で見た金色堂は紅葉、黄葉が緑と微妙に混淆した樹々の枝にさらに被われ(芭蕉が参詣した当時の被い堂が残されている。上右)、白雲浮かべた蒼空との対比が素晴らしい。

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 境内では菊祭りの展示があり、能舞台では能が演じられていた。残念ながらよくわからなかったけれど澄んだ雰囲気だけは味わえた。

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 毛越寺は中尊寺に近く、山寺立石寺、中尊寺とともに9世紀中葉に慈覚大師が開山した天台宗のお寺。

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 浄土のありさまを具現した池を囲んで建てられた伽藍建築はほぼ失われているが、南大門址に立つと燃える紅葉に思わずため息。
 夢見心地というのはこういう気分をいうのだろうか。

    みちのくの浄土の庭に紅葉燃え水面(みなも)を流るる秋のしら雲


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 池のぐるりをたゆたいながら、奥州藤原氏がうつし世に見た浄土の夢に思いを馳せた。

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     大寺にまろき柱も軒もなく礎の上(へ)を秋風ぞわたる

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