マラソン

2021/09/07

荒川ジョギング

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 久々に荒川べりを走った。
 浮間公園に車を停め、コンビニで買ったオニギリ2個と牛乳でランチ。シートを倒してしばしシェスタ。
 頭がスッキリしたところで走り出そうとしたら期外収縮2発を自覚し、やや気分を削がれる。

 それでも走る。足取りは重い。少し飛ばしただけで息が切れそうになる。
 それでも走る。なぜ走るのか?
 馬はなぜ走るのか? 
 馬は好きで走っているのではない、人間の要求を受け入れて走るようになった。
 私はなぜ走るのか? だれに頼まれたわけではない。
 でも走る。ランナーズ・ハイの気分に浸れることは少ない、というよりこの数年ほとんどない。

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 荒川を左に見る土手道を下り、東北本線の鉄橋をくぐったあたりから右手に隅田川が現れる。
 ふたつの川に挟まれながら岩淵水門まで来たところで折り返す。
 ここまで軽い向かい風だが、薄日の中、心地よい。心地よいと感じられるスピード、心拍数が120を超えないスピードを意識する。速歩(はやあし)と駈歩(かけあし)の間くらいで上等だ。

 復路は土手下の野球場やサッカーグランド、ゴルフ場などを右手に見ながら走る。
 往路は曇空だったのが、一転晴れ上がった。汗ばんでくる。
 でもゆったりペースを守る。風を今度は背中に受ける。
 戸田橋をくぐり、少し先の土手へ上がる道筋で折り返したところで、向うからやって来たランナーに拔かれた。ぼくと同年代か(もうちょっと若いか)。10メートルほどの間隔であとをついて走る。
 抜き返そう。 ―― 一瞬あらぬ考えが浮かび、ピッチを速める。 ・・・ だからいかんのだ 。マイペース ! マイペースだ !

 気を取り直し、ゴールの浮間公園まで戻ったところでほぼ10キロ。
 疲れた。
 達成感は、ない。ないけれど走れた、というちょっとした安堵感。
 うん、これかもしれぬ。まだ走れるぞ、という(満足ではなく)安堵。
 そうだな。それが今の、(この齢の)気分の説明としては近いかもしれない。

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2021/09/01

セプテンバー・ラン

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 ウンザリするような暑さ続きの8月だったが、カレンダー1枚めくるといきなり秋深しの感である。
 日中からの雨は上がり、3日ぶりに夕暮れの街へジョギングに出た。

 きのうまでのジメジメした空気ではない。半袖では肌寒いくらいで長袖のウインドブレーカーを着用。気分は悪くない。
 先月は月間走行距離こそ140キロだったが、暑さと湿気の中、馬の動きに喩えれば常歩(なみあし)・速歩(はやあし)が多く、駈歩(かけあし)まではなかなか到達しなかった。
 きょうは、50分とちょっと、駈歩から一部襲歩(ギャロップ)までアップできた。

 雨ニモ負ケズ 夏ノ暑サニモ負ケズ、・・・どんな天候であれ、走りに出ると必ず「仲間」はいるものだ。
 歩行者用と自転車用がある比較的幅のある舗道を走っていると、向うからマスクを外したランナーがやって来る。こちらもマスクは外している。
 歩行者とすれ違うとき同様、できるだけソーシャル・ディスタンスを保とうとするのはランナー同士、暗黙の了解がある(ことが多い)。
 近づくにつれて同じコース上ですれ違わぬよう、舗道の内側から外側へコースを変える。と、向うも同じ動きをする。
 内から外、外から内と同じ動作を互いに2、3度くり返すと、意思疎通が叶う。手を上げて笑うと、先方も笑いながら「頑張ってください」。
 そうか、励まされるような走りになっているのか、・・・ といじけるのは一刹那。
 風が心地よく後ろへ流れてゆく。

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2021/06/08

転倒 ふたたび

 夕方ジョギング中、転倒した。
 足がもつれたのか、前のめりになり、地球が急接近してきたので、咄嗟に受け身(意識してやった、それだけの余裕があった、つまりそれほどスピードは出ていなかったということか)、右肩・右上肢からゴロンと(音がしたかどうか記憶にない)、受け身態勢で転がった(たぶん高校の柔道の授業以来!)。
 学校脇の土の歩道だったことも幸いしたか、さしたる痛みは感じず、すぐに起きあがると、かなり付着していた土ぼこりを払いながら(見られたら恥ずかしいという気持ちが作動していたようだ)続きの走りで帰還。

 前回は両手、両膝に結構な痛手を蒙ったがきょうはさほどではない。
 右肱、右膝に少々擦過傷、大事はなさそうである。明日になってみないと本当のところは分からないが。

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 なぜ転んだのか?
 段差はなかった(と思う)、地面は平坦だった(確かに)、後半から右のシューズの紐通しの穴が皮膚に当たって甲の内側に痛みが続いていた(時々立ち止って紐を緩めるほど)、11キロほど走り疲労気味だった(いつもではあるが)、今年初の真夏日だった(湿度高し)、 ・・・・・・・・ よく判らない。

 今月はきょうで53キロ走った。
 5月は133キロ、4月は120キロ、3月185キロ、2月225キロ、1月283キロ。
 年初から走り過ぎていたので、無理はしない、ほどほどに、と心得ながら走って来たのだけれども、さらに自省が必要なのかもしれない。

 

 

2021/02/16

余震

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 先週土曜夜の福島沖の地震には、久しく遠ざかっていた激しい揺れの記憶がにわかに蘇り、肝を冷やした。現地が震度6、東京は3だったが、3階の我が部屋は本棚に飾った人形が落下した。

 東北大震災から10年も経つのにこれがあのときの余震だというのだから、地球の歴史に比べるとぼくたちが生きている時間なんてほんとに短いものだと人間存在のちっぽけさになんだか虚しくなり、おまけに五輪大会会長の妄失言に端を発した後任指名騒動の胡散臭さやら、感染者の減少傾向が覚束ないコロナ禍やらに、愕然、茫然、ウンザリといった心情がドロドロと混ざりあって週明けを迎えれば、それまでの穏やかな天候は一変、朝から冷たい雨が夕方まで降り続き、被災地にのしかかる呪うべき運命を思い気鬱になった。

 あの時も冷たい雨や雪が被災地をいたぶり続けたのだった。
 なぜ、このように2重、3重に厄災は狙い撃ちをするのか、なぜ、迷惑極まりない当たりクジのカードがくり返し配られるのか、だれが、そのような選択を行っているのか、・・・・・・・・・ 答の得られようのない自問が脳裡を駆け巡る。

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 今日は晴れ上がった空がいかにも碧空という趣きで白雲を浮かべていた。
 先週に引き続き、仕事帰りに荒川べりをジョギングした。気分転換というわけではない。「なんとなく」である。なぜ走るのか、自分でもよくわからない。

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 今回は浮間公園から戸田橋を潜り、笹目橋まで上り、橋を渡り埼玉県側を戸田橋まで下り、公園に戻るコース。
 笹目橋を渡り終えるまで、ずっと時おり勢いを増す向かい風に悩まされ続けたが、下りは追い風に押されてまずまずのペースで走れた。
 終わってみれば気分は悪くない。
 来週もきっとここを走るのだろう、・・・・・・・・ いや、来週は休日、代替わりして初めての天皇誕生日なのだ。走るなら皇居、かな。

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   (2/17;誤記訂正。今年は新年号になって3年、昨年が最初の天皇誕生日でした。日曜と重なったので翌日が代休になったんでしたね)

2021/02/09

ウイルスたちの言い分

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 仕事帰りの午後、荒川べりを走った。晴れてはいたが、風がむやみに冷たい。
 ランナーはこんな日の昼下がり、いるわけないな、と思っていたらはたして目撃したのは3人のみ。あとは厚着でウオーキングする人たちがボチボチ。
 時おり風が強くからだに噴きつけて来る。これじゃあ、マスクなしですれ違ったところでウイルスは空中に漂ってなんぞいられないなあ、とまたぞろコロナが脳裡をよぎるが、よぎったのは今日コンサルトを受けた入院中の患者さんのCT画像。

 PCRは2回陰性だった、当初の強い呼吸困難感はほぼ消失したものの、肺炎の影が結構残っている、どうしたらいいだろうか、と。
 あとは外来フォローアップでよいでしょうと、来週ぼくの外来を受診して頂くことになった。
 担当医が2回PCRを行ったのも道理、というその画像。やはりCOVID-19肺炎の治りかけの所見に思えた。要するに偽陰性。最近、PCR陰性のこの手の画像をよく目にする。

 緊急事態宣言から感染者数は減ってはいるが、まだまだ今後のことは分からないし、ゼロにならない限り宣言解除となったらたちまち再増加するのではないかと危惧する。
 ここのところウイルスが変異し、イギリス由来とか南アフリカ由来とか言われているが、完全な鎖国状態であっても同様の変異が日本でも起きていたのではないか、つまり、このウイルスは、ある一定の条件下では同様の変異を来す性格をもともと内蔵していたのではないか、と思っている。

 一寸の虫にも、ではないけれどウイルスたちにだって言いたいことはあるのではないか。
 たしかにウイルスといえば人体に悪さするものというのが間違いなく通常の認識、ウイルス活動が社会で顕在化する場合、まず100%、厄災をもたらすからこれは当然の理。
 ざっと思いつくまま列挙すると、インフルエンザ、麻疹・風疹、日本脳炎、肝炎、ノロ、ムンプス、狂犬病、エボラ、HIV、それにSARS、MERS ・・・・・・・・ お馴染みのもあれば恐ろしいのもある。

 でもそれはごく一部らしい、いい奴もたくさんいるらしい、なんて医療職にあるぼくが発言したら顰蹙ものかもしれないが、実際そうらしいと思うのは、過日の日経新聞の記事。
 ・・・・・・・・ 胎盤の進化的形成にウイルスが貢献してきた事実が解明されている。赤ちゃんが体内に誕生したときに母親の免疫が「異物」を排除しないシステム構築にウイルスが一役(かもっとか)買っているという。こうして哺乳類は子孫を作り出せるようになった。脳機能の進化にも関わっているらしい ・・・・・・・・ とこんな内容だったと思う。

 コレステロールには善玉と悪玉がある、腸内細菌にも善玉がいる、とこれはもう現在では人口に膾炙されるところ。ならばウイルスにも善玉があるというのも  ・・・・・・・(続く)

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 さて、本日は浮間公園から荒川べりを新荒川大橋まで走り(下り)、橋をわたると向う岸を戸田橋まで行き(上り)、戸田橋から浮間へ戻る10キロ余りのコース。
 行きは背中から陽射しとともに追い風を受けて快適に走ったのだが、新荒川大橋の上は北からの強烈な向かい風。
 橋の下の方から何やら鳥たちが絶叫するような声がする、と思っていたら橋脚に激突する風の音だった。
 西の彼方に丹沢山系が望まれる。
 橋を渡ると向こう岸はゆるやかな上りで、おまけに前方(西)、あるいは側方(北)から冷たい風の吹きさらし。
 マスク兼用のネックウォーマー(複数の人たちとすれ違う場面以外はマスクとしては使わない)で顔の下半分~首を覆ったり下げたり、ジャージーのジッパーを開いたり閉じたり、風に合わせて調節、凌ぎの連続だった。
 それでも上がれば気分は悪くない。
 次回は、行きは上り、帰りは下りにするかな。

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2021/02/08

三寒四温の変異?

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 きのう今日と、寒暖差が著しい。これは三寒四温の型破り、変異か。いや、3―4のリピートの規則性はないにしても少しずつ、間違いなく、季節は進むのだろう。

 きのうは実に気持ちよく晴れ上がった。桜満開の頃の陽気であったとか。
 内科学会の講演会にオンライン参加(コーヒーを飲みながら足を投げ出して視聴できるのは極めて気楽、今後もこの形式でやってほしいものだ)ののち、午後は皇居へジョギングに出掛けた。北の丸公園の駐車場に車を停めたが、公園には多くの家族連れが日向で解放感を楽しんでいた。
 自粛篭りの生活、いつまでも続くものではない、間違いなく、とはいえ先々は分からない。貴重な開放のひとときではある。

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        長き夜も空けぬものかは梅開く

 皇居を3周したが、周りにランナーがいるとついつい引きずられてペースが上がってしまう。
「あの体型、あのフォームのランナーに置いてゆかれるのは許されぬ」と自分のことは棚に上げて、追い越しては抜き返される。なにも知らぬ同士、競う必要はなんらない、先方だって当方を意識してなんぞいないのは明らかなのだけれど、心拍数を挙げてしまう。結果、周回を重ねるごとに速度は落ちる。相変わらずの身の程知らずぶりである。
 こういう走り方をすると、走った後の達成感は乏しい。
 3周目はきつかった。新聞社の窓に反射してお濠に落ちる夕陽に、何とはなし、哀しい気分になった。

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 その気分を引きずってでもあるまいが、夜遅くまで飲んだせいで今朝は目覚めが良くない、弱くなったもんだと今更ながらの感懐、ぐずぐずと布団の中で長いこと過ごし、誰もいないリビングで、ブランチといえば響きがいいが要するに朝昼兼食ののち、午後出勤。月曜は午後出なればこそ日曜の晩酌はついつい度を越してしまうことしばしば、これも自己抑制の欠如がなせる業には違いない。

 きのうの陽気に比べると今日は風が身に染む寒さだった。
 昨日よりもスローペースで走るつもりだったから、厚着たっぷりで夕暮れの街へ出た。
 暗い裏道から走り出て行きあった教会、その入口脇に建てられていた聖者の像に思わず足を止めた。

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2021/02/02

節分

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 今月から火曜日のバイトは午前中だけにしてもらった。己が齢を勘案、もう少しゆとりが欲しかった故(コロナ禍でご苦労されている方たちにはまことに申し訳ないと思うのですが)。

 さっそく、昼で終了後、戸田橋に近い浮間公園に車を停め(コンビニで仕入れたエネルギーゼリーを流し込み)、着替えると(好天気の予報だったので用意してきた)、荒川べりを走った。正月のときと同じコースだ。
 きょうは節分、あすは立春。
 朝は小雨もよいだったが穏やかな小春日和、左膝の痛みは(触ると痛いが)走っている分にはほとんど感じない。1時間半ほど気持ち良く走れた。

          息弾む荒川べりは春隣り

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 走りながら少々考えた。
 緊急事態宣言が1か月延長される。これで感染がゼロになるとは思えない。解除したらいずれ再燃は目に見えている。再燃を先延ばしして時間稼ぎの間にどれほどの方策が取れるか、ワクチン接種の効果も変異種の出現でなんだか心もとない。
 全国各地で厄病退散の祈祷が行われているようだが(マスク姿で?)、空海の時代ほどの効能が得られておらぬは、現代の大僧正、大阿闍梨様の力量の埒外、などと言っては罰が当たるかしら。

          節分や邪鬼殲滅と野を駆ける

 走り終えて近くのコンビニでおにぎりと牛乳パックを購入、公園にもどりベンチに座って気分良く優雅にランチ、のはずだったが、公園の木陰へ足を踏み入れた途端、何十羽もの鳩がぼくの周りに舞い降りて来た。
 吃驚、ここは彼らのテリトリーだったか、と場を移すと益々集まって来てはぼくから至近距離でもって乱れ飛び回る。密だ、密、密! (ヒッチコックの映画にこんなのがあったっけ
 恐ろしくなって車へ駆け戻りドアを慌てて閉めたところで気がついた。奴ら、ぼくが持っていたおにぎりが目当てだったのだ(車窓に寄ってくる)。
 袋に入れていたのになんて目ざといというのか、嗅覚鋭いというのか、いや、ぼくの不届きな発言にどこからか密の呪法がかけられていたのかもしれぬ。あな恐ろしや。
 本日、鬼にされたのはぼくだったのか、鳩の奴ら、豆鉄砲こそ放ちはしなかったけれど。

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2021/01/18

無心に駆けることはできない

 走ることが習慣になり、走らないことが罪悪のような強迫観念に駆られて(そんなオーバーな。嘘デス)、連日走っている。
 これだけ頑張っているんだから、自分へのご褒美、一杯くらい・・・、という誘惑にうっかりすると負けそうになる、弱いわたくし。

 今日も走りながら考えた。
 昨晩走っていて「無心の心境」に至ったかのような錯覚に陥ったのを思い出し、それなら一層のこと、無念無想の境地を目差そうと、途中から「行」に入ることを試みた。

 坐禅のとき雑念を払い、無をめざすために数息観という所作がある。呼吸に合わせて数を数えるもので、息を吸いながら「ひと~」吐きながら「つ~」と数えて行く。
 1回の呼吸で「ひと~つ~」「ふた~つ~」と数え、10まで行ったらまた1から繰り返す。10回の呼吸がワンセットということ。
 セットが進むにつれて呼吸を整え、次第に呼吸数が落ちて行く。1分間に6回くらいまでは落とせるか。

 ただ、走るときそんな悠長な呼吸では追い付かない。数を数えるのもむつかしい。
 坐禅では吸気を「臍下丹田に落とすように」、つまり下腹部が膨らむように吸い込んで、腹をへこませながら吐くから、応用編としては、「すっすー、はァーはァー」と頭の中でリズムを刻みながら走ってゆけばいいわけだ。
「すっすー(で腹を膨らませ)、はァーはァー(で腹をへこます)」「すっすー、はァーはァー」

 で、やってみました。
 無心になるために、ただただ、ひたすら、「すっすー、はァーはァー」を唱え雑念を払う。
 しかし、続かない。何も考えずに走れるのは、「すっすー、はァーはァー」がせいぜい10回くらいか。
 あたりの光景が次から次へと反射的に様々のことを考えさせる。

 坐禅では目を半眼、半分つむり、その視線の先を見つめて気持ちを集中させる、だったら同じように少し視線を落し、路面を見つめながら「すっすー、はァーはァー」といけばいいんじゃないか。
 これが長く続かないのは当然の理。そんな風に視界を狹めていたら危なっかしくて仕方ない。当たり前じゃないか。

 気を取り直してまたくり返しても、雑念は沸きに沸く。
 マスク姿で立ち話するお姉さんたちを目にするや、マスク越しに品定めはするし(無意識に、デス)、抜き去ってゆくお姉さんの形のいいお尻を追いかけたり(スケベじじいが! でもストーカー行為には見られません。走っている限りは、たぶん)、要するに己の内部に潜む煩悩、慾があからさまになるばかり・・・・・・
 無心の行の試みは、単に業の掘り返しに終わった。寒いぞ、寒い。

         さらに一枚重ねて走る寒の内

 

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2021/01/17

人生はマラソン、のようなものか・・・そして117

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 夕方、寒くなりかけだったけれど今日も走った。
 心拍数が120を超えない程度のスピードが体感できるようになった。
 無理はしない。そのペースで1時間半ほど走ると10キロくらいになる。
 今年に入ってから走らなかったのは1日だけ。今年一番の寒さだった日。これは気持ちが負けてたんだなあ。
 走りながら今日も考えた。

 人生はマラソンのようなもの。まことにうまい比喩、だれが考えたのだろう。
 走歴15年余りにして、そう思う。フルマラソン67回完走の体験から言えること(あくまで個人の意見デス)。
 人生はマラソン、なんとなれば・・・
① 準備が必要。
 フルを完走するには月間200キロの練習を少なくとも1回は達成すること。
 レースにむけての体調管理。特に1週間前からの食事。いわゆるカーボローディング。
   (誰が人生100年時代の生活設計を、なんて想像したことだろう)
② レース中のペース配分。
 序盤は無理せず、周囲のランナーに流されないこと。
 それに給水、給食。携行するエネルギー食。
  (自分の弱点、リスク管理はできているか?)
③ 何より大事なのは「己を知ること」。
 苦しさとの戦い、どこまで頑張れるか。「根性論」と表裏一体。これは日常の鍛錬の経験値そのもの。
  (究極、人の世、だれにも正確なアドバイスなど受けられない)
④ そして結果は決して想定できない、ということ。
  (人生は無常)

 で、同年代の顔ぶれ、様々な生き方が浮かぶ。
 最初からペースを上げ過ぎて故障した奴。
 不慮のレース中断。
 タイムの絶頂期を過ぎたのち(かつての業績をネタに)長寿時代を延々と走らざるを得ない奴。
 かく言うわたくし・・・「可もなく不可もなし」、ってそれを言っちゃあお仕舞い、かしら。
 同級生の過半数はたぶん、「それなりに良い思い」をしたのではないか。
 2割が色々な分野で教授と名のつく役職を襲い(黄金の世代と呼ばれた?)、3割が大病院の院長になり、3割が開業して一国一城の主となり(たいてい地域医師会の幹部になっている)、・・・(以上の数字はぼくの感覚)・・・ぼくは残りの(うだつの上がらない??)グループに組み込まれる、のかな。

 そして今日は、117・・・阪神淡路大震災から26年になる。
 あのときぼくは駆けつけたかったけれど、病院ではなんの動きもなかった。
 で、バイト先の病院がカトリック系で、そのグループで医療スタッフを派遣するというのに便乗させてもらった。
 新幹線で神戸まで行き(確か神戸だと思う)、そこからバスで目的地にたどり着くまでの道筋、倒壊しかかった家々の悲惨な光景に胸が詰まったのを覚えている。
 修道院に寝泊まりし、被災した方々の言わば健康相談に対応した(すでにDMATなどが最前線でトリアージなどの医療を展開していた)。

 その後、東日本大震災のときは、家族から「年だから邪魔になるだけ、辞めとけ」と強烈な反対にあった。
 内科学会でも個人で勝手な行動は控えてください、とお達しがあった。
 震災の後遺症は西でも東でも今なお色々な形で残っている。
 義援金以外になにかぼくたちに出来ること、日々の中で考えなければならないのだろう。

 色々なことが走りながら頭をよぎる。
 そのうち、何も考えずにただ黙々と走り続けている自分に気がつく。
 ランナーズハイなんぞではない。心拍数はたぶん120以下だ。
 これって「無心の心境」、所謂「心身解脱」の境地に近づきつつあるんだろうか、なんて妄念も起こる。
  ・・・んなわけ、ねえだろう? チコちゃんに叱られるぞ。
     「ぼーっと走ってんじゃねえよ!」

 明るいニュース。
 卓球の日本選手権で石川佳純選手が大接戦の末、優勝したと。
 こういう「ベテラン」(まだ27歳だぞ)選手の活躍に夕陽のランナーは感涙を催すのであります。

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            汝(なれ)もまた堪へて立つや冬木立


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2021/01/11

成人の日の皇居ラン

 久しぶりに皇居の周りを走った。1年以上のご無沙汰だ。
 北の丸公園の駐車場に車を停め、園内をウオーミングアップして回ると着飾った女子の集団。都内で成人式はほとんど行われていないから、おそらく同級生同士、連絡を取り合ってここで久闊を叙しているのだろう。ほぼマスク着用、密ではあれど密閉には遠い。
 一生に一度の成人式がコロナ禍で中止、とさかんにメディアで伝えられている。

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 ぼくは二十歳のとき成人式に招かれなかった。区からの招待状が届かなかったのだ。2浪中で3度目の入試を目前に控えていた。
 どうせ俺なんか2浪は招待されないんだ、なんてちょっといじけていたような気もするけれど、しかし、当時、女子のことは分からないが男子が区営の公会堂に集合して区長さんたちからお祝いのメッセージを頂くなんて習慣があったのか、記憶定かでない。
 1070年1月のことで、東大安田講堂のデモ隊占拠で入試が中止になったのはその1年前、よど号ハイジャック事件はその3月、大阪万博が始まるのも3月。高校の同級生もかなり多くが浪人していた。よって互いの遣り取りの記憶は全くない。むろんケータイなどなかったし。
 長男、次男の頃は、地元に立派な芸術劇場なるものが完成していて、ここでの式にふたりとも出席したのかどうか、これも記憶が朧であるが、長女の時は妻がいろいろと段取りをして、着付けだの記念写真だの、二次会出席のための着替えだのと、送り迎えやらなにやら使い回されたかすかな記憶がある。

 一生に一度の行事、それは確かにそうだろうけど、だからそれが中止になったからってどうなんだ、・・・なんて言っては反感を買うだけなのかもしれない。
 でもね、・・・と爺さんはつぶやく、・・・一生に一度のことがどうこうなんてのは、これから他にいくらでもあるんだよ。君たちにとって成人の門出がこんな国難ともいえる事態と正面衝突していた、これはとんでもない経験だ。ここからの出発、将来得難いものだと回顧するときがきっと来ると思うよ。

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 その爺さんは今日も走った。
 走り出して、どうしてこんなに息が上がるんだろうとよくよく(でもないけれど)考えたら、ペースがむやみに早い。要するに周りのランナーたちがペースメーカーになっている。言い方を変えれば、無意識に彼らと競っていたのだ。
 負けじ魂ではないのだが、えっ? あのフォームの人に(あるいは、あの体型の人に)置いて行かれるの?、と思ってあとを追う、追うのだけれど距離は少しずつ離されてゆく。・・・・・・こういうのを年寄りの冷や水というのだろう。
 
 でも久々に気持ち良く走れた。距離を稼ぐなら(その必要はないのだけれど)荒川べり、スピード勝負なら(いや、勝負にはそもそも初めからなってないんだよ)皇居周回コースだ。
 2周だけだったが、終わりころは寒風が身を差し始めていた。
 帰宅後、風呂で暖まり熱燗と寄せ鍋。また明日からルチーンワークだ。

       樹々の間に成人式の晴れ着映ゆ

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