2021/09/15

額田王に三途の川を渡らされそうになった話


 森の中を走りながらしきりに思った。
 愚かしい。じつに愚かしい。愚かしいことばかりで、いい加減呆れ果てた。目にするもの、耳に聞えるもの、どれもこれも気に入らぬものばかりだ。
 おのれの意にそぐわぬものへ忽ち鎌首をもたげる批判的・好戦的感情、これは生まれついてのものなんだろうか?
 おれはひとりの修羅 ――。
 ああ、修羅の歌が聞える。

 ・・・ 気層のひかりの底 唾(つばき)し 歯ぎしり行き来する おれはひとりの修羅 ・・・

 いや、違う、おれの修羅はそんなに内省的ではない。攻撃的で、どす黒い性根だ。
 おれの脳内ではドーパミンが、闘争心の報酬回路にばかり優先的に作用しているのだろうか。

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 おっ、木々の枝から枝へ飛び回っている、あれは ・・・ 鳥? ・・・ 猿? ・・・
「見えるか、遊走子よ」
「なんだタルホじゃないか」
 エンジンの爆音とともに双葉翼の飛行機で頭上を旋回しながら発する足穂の声が梢の上から降ってきた。
「あれはみんな鬼だ。小さな鬼。お主の心の内に潜み、駆けずりまわっている鬼、すなわち悪よ」
「鬼が悪、おれの悪だって?」
「ああ、よく見るがいい。お主が俗世でなしてきた悪業の数々。もう、精算の時だぞ」

 爆音が遠のいていったと思ったら、森の奥から声がする。
 足穂のだみ声とは全くちがう、艷めかしい、歌うような声。

 ・・・ にきた津に 船乗りせむと 月待てば ・・・

 誘っているのか。森の奥へ。

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 船着き場だ。船べりで女が手招きしている。

 ・・・ 潮も かなひぬ 今は 漕ぎいでな ・・・

 船出? あれはひょっとして額田の? ・・・
「さあ、お乗りなさい。あなたがこれから過ごすべき、林住期にふさわしいところへお連れします」
 水面を見ると小さなたくさんの鬼たちの跋扈する姿が映っている。
「そこでこいつら悪業をみんなチャラにできるってのか?」
 女はただ微笑み、誘う。
「さあ、お乗りなさい」

 どこか解らぬが、林住の時を過ごし、やがて遊行の季節に入るのか ・・・
 顧みれば、学生期・家住期はとうに過ぎている。
 
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「おや、百閒先生じゃありませんか」
 船着き場のカフェで先生がビールを飲んでいる。
(この間会ったのはコロナ退治のときだった。)
「こんなところで何をしてるんです?」
「この川を渡りたくないのじゃ」
「どうしてです?」
「イヤだからイヤなんじゃ」

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 向う岸に人影が見える。
 あれはついこの間、長い闘病生活の末に逝ったOじゃないか。
 その隣にE、かれは去年だった。
 その隣は一昨年突然死したK、その後ろに、・・・ああ、I、・・・ それからH ・・・ みんな昔の仲間じゃないか。

 Aがやって来た。
「何してんだ、遊走子。乗り遅れるぞ」
「この川 ・・・」
「三途の川だよ。何を今更。小鬼たち全員連れて行くんだぞ」
「お前、知ってるのか、鬼たちのこと?」
「おれが知ってるわけないだろ。お前が生み出したお前の悪だ」
 奴はただの(しかし面倒見のいい)学級委員だっけな。
 おれは自分の悪を告白しない。ずっと黙って墓場まで持って行くんだ。

 しかし、それにしてもたくさんあるな。
 ひとつひとつ、他人には語りたくないこと、やけにハッキリ思い起こせる。
 眼を閉じれば関係する人々の顔まで(むろん当時のまま)、明瞭に瞼裏に浮かべられる。

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「百閒先生 ・・・」
 空になったビール瓶が何本もテーブルの上に並んでいる。
「うるさい。だから言ってるだろ ! わしはイヤだからイヤなんじゃ。まだここで飲んどるわい」

 ふたたび爆音がしたので見上げるとお月さまが出ている。
 タルホがピストルで狙いをつけているかもしれない、そのうちここへ落ちてるかもしれない、そう確信される。
 なんだかひどく哀しい気がした。

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2021/09/13

天使の誘惑、悪魔のささやき

 先週テレビで興味深い番組が放送されました。
「40億年のたくらみ:“快楽” ドーパミンという天使と悪魔」

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 人間の「快」への欲求をドーパミンというホルモンの作用から解釈する内容でありまして、この脳内ホルモンは習慣の良し悪しいずれの場合にも、「やめられない、止まらない」現象に深く関わっているというんですね。
 中脳から分泌されるドーパミンは線条体を経て大脳に作用するわけでありますが、ここで「報酬回路」というメカニズムが機能いたします。
 何らかの行為(酒・タバコ・薬物・セックスetc)により「快」が得られると、その「良かった」という体験記憶が、ドーパミンによってくり返し追体験させられます。
 つまり、「ある行為を行うことが快である」という刷り込みが最初にドーパミンによって行われ、のちにその行為がなされると「報酬」としての「快楽」がさらなるドーパミン分泌という現象を引き起こし、強化されます。そうしてそのドーパミンが「あの行為は快だ」という記憶を呼び起こし、実行為に及び、そうなると報酬を得た結果として、またドーパミンが分泌され、・・・・・・・・ と、報酬回路がグルグル回るわけであります。

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 禁煙治療の際にもこのメカニズムについて、わたくしめも患者さんに説明いたしております。
 タバコを吸うと気持ちよくなる。→ このとき中脳や線条体からのドーパミンが働いて「タバコはいいものだ」という刷り込みが大脳の一部に対して行われる。→ そうすると次に大脳のその部位から他の部位に対して「タバコを吸いなさいよ」という指令が出る。→そこでタバコを吸ってしまうと、→「ああ、タバコを吸うと気持ちがいい」とドーパミンがまた思い込ませ、・・・・・・ と喫煙習慣が連環してゆく。
 でもって、このドーパミン回路を断ち切るのが禁煙治療薬というわけであります(といいながら成分に問題が発見され現在出荷停止中)。

 この「タバコはいいものだ」と感じたり、「タバコを吸えよ」と命令を出す脳の部位は非喫煙者にも存在しております。
 で、ちなみにこの報酬回路を完成させるのにどれだけの喫煙習慣が必要かと申しますと、1か月や1年ではございません。タバコ2箱、たった2箱で充分なのであります。
 つまり高校生に2箱続けてタバコを吸わせることに成功するとタバコ会社は簡単に顧客を作り出すことができるってわけでして、かつてはタバコのパッケージにあるシールを2枚送ると若者が好きそうなファミコンだの革ジャンだのが当たる、なんてことが行われてたものです。

 さてこのドーパミンなるもの、生命体の先祖である線虫だとか粘菌だとかにすでに存在しているものだそうでして、報酬としての生きるための食物獲得や危険からの回避など、生物の進化に大いに貢献してきた、これが40億年のたくらみってわけなんですね。
 で、この企み、悪習に対して働くと人間をダメにする、まあ、悪魔のささやきってことでありまして、わたくしたちの先人2名が、禁断の果実に手を出して永遠の園を追われましたな。
 とは言え、わたくしたち人類がここまで進化できたのは、ドーパミンが報酬獲得に際しての「学習」に先導役を引き受けてくれたから、ということに他ならないと思うわけでございます。


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 となりますと、わたくしめの「なぜオレは走るのか」という長年の課題の解答はどういうことになるんでございましょうか。
 走ることで得た感覚をドーパミンが「走ることはいいことなんだぞ」と記憶付けし、さらに「だから走れよ」という命令系を作動させ、・・・・・・・ とまあ、依存症というのか(あるいは中毒、それとも強迫観念?)。
 それにいたしましても、じゃあ、「走ることがいいこと」だったという(天使の)記憶は、いつの話なんだろうと遡ってみますてえと、・・・ レースのたびに自己記録を更新できた55才から60才の頃の体験に源を発するのか(たぶん)。・・・ そうして最後の4時間切りとなった65才でのボストンマラソン以降も、加齢に伴って順調に(?)低下しつつある現在まで、ドーパミン作用(天使の誘惑)は連綿と続いているってことなのかどうなのか、わたくしめにはトント見当がつきませぬ。

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 さてきのうは2時間半近く走りました。
 前日不整脈(心室性期外収縮の2段脈)が、午前、午後と数回出没したこともあり、少々臆しまして、馬に喩えれば常歩(なみあし)から速歩(はやあし)程度、心拍数100前後でのスロージョグに終始致しました。
 わたくしめにとって走ることが今もホントにいいことなのか、無理は禁物(不整脈が控えております)、耳もとで天使の誘惑、悪魔のささやきが交互に聞えているのでございます。

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2021/09/07

荒川ジョギング

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 久々に荒川べりを走った。
 浮間公園に車を停め、コンビニで買ったオニギリ2個と牛乳でランチ。シートを倒してしばしシェスタ。
 頭がスッキリしたところで走り出そうとしたら期外収縮2発を自覚し、やや気分を削がれる。

 それでも走る。足取りは重い。少し飛ばしただけで息が切れそうになる。
 それでも走る。なぜ走るのか?
 馬はなぜ走るのか? 
 馬は好きで走っているのではない、人間の要求を受け入れて走るようになった。
 私はなぜ走るのか? だれに頼まれたわけではない。
 でも走る。ランナーズ・ハイの気分に浸れることは少ない、というよりこの数年ほとんどない。

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 荒川を左に見る土手道を下り、東北本線の鉄橋をくぐったあたりから右手に隅田川が現れる。
 ふたつの川に挟まれながら岩淵水門まで来たところで折り返す。
 ここまで軽い向かい風だが、薄日の中、心地よい。心地よいと感じられるスピード、心拍数が120を超えないスピードを意識する。速歩(はやあし)と駈歩(かけあし)の間くらいで上等だ。

 復路は土手下の野球場やサッカーグランド、ゴルフ場などを右手に見ながら走る。
 往路は曇空だったのが、一転晴れ上がった。汗ばんでくる。
 でもゆったりペースを守る。風を今度は背中に受ける。
 戸田橋をくぐり、少し先の土手へ上がる道筋で折り返したところで、向うからやって来たランナーに拔かれた。ぼくと同年代か(もうちょっと若いか)。10メートルほどの間隔であとをついて走る。
 抜き返そう。 ―― 一瞬あらぬ考えが浮かび、ピッチを速める。 ・・・ だからいかんのだ 。マイペース ! マイペースだ !

 気を取り直し、ゴールの浮間公園まで戻ったところでほぼ10キロ。
 疲れた。
 達成感は、ない。ないけれど走れた、というちょっとした安堵感。
 うん、これかもしれぬ。まだ走れるぞ、という(満足ではなく)安堵。
 そうだな。それが今の、(この齢の)気分の説明としては近いかもしれない。

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2021/09/06

聖徳太子1400年の旅

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 先週末NHKBSで法隆寺に関する番組を観て、ここのところとんと遠ざかっている古都・古寺に思いを馳せた。
 考えてみるともう5年も訪れていない。コロナ禍で県境を越えて東京に次ぐ感染拡大状況の関西へ行きづらくなったという事情もある。
 仙台鎌倉山寺中尊寺などお寺巡りは続けていたけれども奈良は別格だ。

 番組では聖徳太子の等身大とされる夢殿の秘仏救世観音に込められた祈りの意味から、太子への憧れや礼讃、それに歴史を踏まえて法隆寺伽藍の様式の詳細についても語られた。
 特に印象的だったのは、救世観音の赤外線撮影によって明らかにされたお顔の髭。渦巻状だったり極細の直線だったりとかの描かれ方が見事に再現されていた。

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 観ていて思い至ったのは亀井勝一郎の名著「大和古寺風物誌」。
 奈良のお寺巡りでは和辻哲郎の「古寺巡礼」とともにバイブルともいえる書で、これに秋艸道人會津八一の歌集「南京新唱」が加わる(かなり主観的ではありますが)。

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 著者は昭和初期、学生時代に左翼活動で逮捕・投獄され、その後転向し、激しいナショナリズムを説き、やがてこれら「世俗」を超えて、聖徳太子・親鸞を起点とする宗教的境地を開く。
 この「転換期」、30才頃から古寺巡りが始まる。本書の最初の項、「飛鳥の祈り」の中で、「私の心にも漸く新生の曙が訪れそめた頃であった」という述懐がある。

 ぼくにとっても奈良への初旅はぼくなりの鬱屈を経て大学入学した年の暮れだった(むろん彼とは思いの次元が甚しく異なるけれど)。

 和辻の「古寺巡礼」とそれに続く「イタリア古寺巡礼」が美術鑑賞的視点からの紀行であるのと大きく趣きを異にするのは(彼の旅は大正中葉から昭和初期にかけてであった)、亀井が美術鑑賞の態度をきつく自戒・反省していることだ。

 「佛様は拝むものだ、観るものではない」
 奈良の宿「日吉館」で同好の先輩からくり返し聞かされたことだが、つい、観て、分析してしまう。
 明治政府の招きでフェノロサがやって来て、長年秘仏になっていたこの夢殿観音を開扉し、以来信仰の対象は一種鑑賞の照明を受けるようになった。寺院と博物館の折衷に置かれたわけだ。

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 番組はテーマの如く、創建から現在に至る時間の流れの中で太子信仰が語られたのだ、あらためて仏像・寺院のありようについておのが感懐にちょっとした警策を背中に食らった気分。
 ぼくの中で佛さまと向き合って半世紀が過ぎたという感慨とともに、いや、たかが半世紀じゃないかという気もする。
 法隆寺は1400年だし、人間の歴史は万年を優に超えるのだ。

 コロナ禍での開催で揉めたオリンピックが閉幕し、パラリンピックも閉会を前にした一夜、ぼくは俗世を離れた気分で(感傷ではないと思う)飲みながら視聴した。
 「世間虚仮 唯佛是真」・・・聖徳太子のことば。とはいえ、超俗を気取ってみてもぼくの境地は正直なところ、これには遠いのです。


 

2021/09/02

燗酒

 夏はまるで、でんぐり返しでもするかのように過ぎていった。
 で、今夜は涼しいというより寒いくらいだ。
 ビール、冷酒から熱燗へ(ワインも白・赤あったっけ)。
 まだ週半ばだけど、つい一杯。
 心変わりではないぞ。
 季節の移ろいに身を委ねたまで ・・・ なんて言い訳がましく、また、一献。

          葉月去り疾く燗酒とよりもどし

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2021/09/01

セプテンバー・ラン

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 ウンザリするような暑さ続きの8月だったが、カレンダー1枚めくるといきなり秋深しの感である。
 日中からの雨は上がり、3日ぶりに夕暮れの街へジョギングに出た。

 きのうまでのジメジメした空気ではない。半袖では肌寒いくらいで長袖のウインドブレーカーを着用。気分は悪くない。
 先月は月間走行距離こそ140キロだったが、暑さと湿気の中、馬の動きに喩えれば常歩(なみあし)・速歩(はやあし)が多く、駈歩(かけあし)まではなかなか到達しなかった。
 きょうは、50分とちょっと、駈歩から一部襲歩(ギャロップ)までアップできた。

 雨ニモ負ケズ 夏ノ暑サニモ負ケズ、・・・どんな天候であれ、走りに出ると必ず「仲間」はいるものだ。
 歩行者用と自転車用がある比較的幅のある舗道を走っていると、向うからマスクを外したランナーがやって来る。こちらもマスクは外している。
 歩行者とすれ違うとき同様、できるだけソーシャル・ディスタンスを保とうとするのはランナー同士、暗黙の了解がある(ことが多い)。
 近づくにつれて同じコース上ですれ違わぬよう、舗道の内側から外側へコースを変える。と、向うも同じ動きをする。
 内から外、外から内と同じ動作を互いに2、3度くり返すと、意思疎通が叶う。手を上げて笑うと、先方も笑いながら「頑張ってください」。
 そうか、励まされるような走りになっているのか、・・・ といじけるのは一刹那。
 風が心地よく後ろへ流れてゆく。

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2021/08/29

白昼夢

 猛々しい暑さと熟眠の得られぬ夜が続いたせいだろう、朝、覚醒したのちも疲労感が身体中にまつわりついている。
 ヨッコラショとソファーに四肢を投げ出し、その疲労の放縦にグダグダと身をゆだねる。
 目を閉じて、全身が、脳みそを含めて、疲労の湯舟に浸り、疲労と馴れ合ってゆくのを、瞼の裏の闇の中、ちょっと離れた上の方から眺める。
 ああ、あれがおれに憑りついている疲労だ。

 眼を開き、膝の上に広げた稲垣足穂の字面をたどりだすとすぐに眠気に誘われ、この身は、意識は、眠りの海に沈み、間もなく(たぶん5分か10分ののち)、覚醒状態にもどる。
 ふたたび足穂に目を落とすとすぐに眠気が勝ち、・・・・・・ そうして、眠りの海の浅瀬を沈んだり、浮かんだりとくりかえすたびに、熟眠不足の感覚は少しずつ、少しずつ解消されてゆくのがわかる。

 何度目か海面に顔を出したとき、ずいぶんスッキリした気分だと実感はしたものの、疲労感はかえって重くのしかかっている。やけに重たい。

 おれは老いたのだろうか? ぼんやり思う。
 ああ、紛れもなく老いた。
 いったい、「あれから」、どれだけ時間が経過したものやら。10年とか50年とかという単位ではない気がする。100年とか、1000年とか ・・・・・・ バカな。

 5分や10分の睡眠のくり返しにおいてすら、レムとノンレムのリズムは交互に出没し、とっくの昔に置き去りにしたはずの欲望が漁火のようにチラチラと揺らめいては遠ざかる。 
 コマ切れの、断続的な、しかし脈絡を保って現れる夢見。

 おれはじぶんが分かっている。今だって、欲望はこの老いの身に潜んでいるのだ。
 まくれた着物の裾から見えた女の足に気を取られて墜落した久米の仙人が齢幾つであったのか知らぬが、おれにも同じ現象がいつ起きるか、知れたものではない。
 そうだった。果たせなかったあの女への欲情! ・・・・・・・ あしたこそ ・・・・・ 何? あしただって?

 ・・・・・・ はっはっはっ ・・・・・・ だれだ、嘲笑するのは? ・・・・・・ 天の哄笑だよ ・・・・・・

 ・・・・・・ 闇、そして光 ・・・・・・ アダムとイブ ・・・・・・ イザナギとイザナミ ・・・・・・・

 見よ!
 レム期の訪れのたびにおれは猛り狂っている。自律神経系統の嵐の中 ・・・・ 人生の残滓ではない。今の話だ。

 ・・・・・・・ また海面へ顔が出た。完全なる覚醒。
 何万年の夢だったのか。日はすでに高く、暑苦しく輝いている。

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2021/08/25

ピークアウト?

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 連日新規感染者数の増加が伝えられているが、東京都の発表を見ると、この1週間で重症者は明らかに減少している。これで高止まりしている死亡者数が減少に向かえばとりあえずは近々ピークアウト、ということにはならないのだろうか?
 解らない。メディアは重症者数が最多更新したと伝えているが、実際どうなんだろう?
 
 各種報道の仕方にはこの1年間、ずっと疑問を抱き続けてきた。確かに我々が初めて相手にする難敵で、起こっていることのすっきりした解釈がそう簡単にいかないことなのは分かっているけれど。

 

 

2021/08/23

コロナの厄介な後遺症 ・・・ 息切れ・呼吸苦

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 コロナ感染から回復後も後遺症に悩まされる人々の存在が報道されているが、たしかにここのところ、自宅療養が解除になった患者さんの受診が続いている。

 発熱外来でPCR陽性となり、軽症と判断され、発症から2週間ほどで自宅療養は不要と保健所から伝えられても(今のところ検査結果の集約、療養体制の判断・指示は保健所主体)、咳や息切れが続いたり、新たに出現したり(息切れや呼吸苦がひどくなったり)で、(コロナの受け入れができない)我々中規模病院の呼吸器外来受診となる。

 この間、PCR検査以外にはレントゲンなど画像診断はなされていないケースがほとんどだから、患者さんは自分のからだにどのようなことが起こっているのか判断がつかず、不安だ。
 オンライン診療で治療薬の処方が行われても、テレビ電話程度では限界がある(むろん、その対応だけで済む場合も少なからずあるのだろうけど)。

 発症から3週間程度経っているとはいえ、コロナ感染の確定診断はついているから、やはり診察では少々緊張する。
(疑い例対応が多かった時期は完全武装の検査着だったが、現在は発熱外来として完全に一般の動線と切り離されており、診察室では通常のマスクとフェースシールドのみ)

 問診→聴診→検査が通常診療の原則ではあるが、去年からの経験を踏まえ、問診→CT→聴診の順。
 CT画像で肺炎の趨勢がほぼ見当がつく。まだピークを越えていなのか、納まりつつあるのか、すでに治癒に至っているのか ――。
(これはぼくの臨床能力に帰結するものではもちろん、ない。この1年間に専門医の間でやり取りされた多くの情報交換の賜物である)。

 自覚症状としての息切れ・息苦しさと、CT画像上の乖離の多いことがほとんどだ。
 つまり、咳とか息切れ・息苦しさの程度(じっとしていても苦しいのか、歩いたり階段を上り下りすると苦しいのか、仰向けになって寝ると苦しくなるのか ・・・)と、CT画像から推定される呼吸機能の温存程度(テレビなどでよく表現されるのは「肺が真っ白になってる」。肺胞部分はCT上黒が主体)。
 さらにパルスオキシメーターで酸素飽和度を測定しても(歩行後に呼吸苦症状が出ても)、全く低下しない。

 気のせいばかりではない、現状で実施可能な検査では簡単に測れないファクターがあるようだ。

 治癒過程にあると、損傷を受けた肺は広がりにくくなっているという事情も関与しているか。これはCT所見で推測可能。
 (皮膚のケガが治る過程で、かさぶたができるとそこの皮膚は引っ張ても伸びないのと同じようなものといっていいかもしれない)。
 あるいは闘病中の臥床が長くなり、筋力(特に下肢の)が落ちて、労作に困難感を生じている場合もある。
 重要なことは発症から治療ないし経過観察期間を過ぎて、我々のような一般の呼吸器外来を受診できる患者さんは、現状からさらに進行することは(おそらく)ないだろうということだ。
 
 予後は決して悪くはない(長引くにしても)と話し、CT画像を提示しながら、「この線状につながった濃い部分は怪我に喩えればかなり治癒したかさぶた、そのまわりのやや灰色っぽいところは、まだかさぶたにならず、傷口がグジュグジュと炎症がくすぶっている状態で ・・・・・・・・ 」といった具合に説明するとほぼ納得していただける(と思っているのはぼくだけかもしれないけれど)。

 最近は当たり前のように世に喧伝されているパルスオキシメーターに関しても看過しがたいものがある。
 そもそもこの検査が最も正確なのは新生児・乳児であって、成人の場合はあくまで病態変化の判断の目安と考えなければならない。
 だから酸素飽和度が93%を切ったら危険というのもキケンな判断で、もともとの値からの変化の程度・速さを考慮しなければならない。
 98%であった人が短時間に95%になったとしたら急速に悪化している可能性があるかもしれない。

 こういった「常識」を「専門家」たちが声を大にして言えないのは、入院病床の逼迫が背景にあるからなのかもしれない(ホントにそうだろうか?)。

 今は我々一般病院ではコロナ受け容れができず、積極的治療に貢献できないけれど(病院により「諸事情」があるので)、軽症に投与できる治療薬(すでにいくつかある)が早急に認可され、供給されたら、局面は大いに良化するのは明らかだと思う。

 感染者が増えているわりに重症者は少ないという統計はあるにしても、患者さんたちpatientsは苦しさに堪え、戦っている。
 この老生、お手伝いできそうな(と自分では思ってる)場面まだ続きそうだが、言うまでもなく、これは決していいことではない。

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2021/08/20

秋近し ?

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      ビル風も味方にならぬ暑さかな

 日中は暑さが戻り地上での歩行は日陰を選ぶ。
  ビル風は熱風を送ってくるばかりだ。

   で、ひとたび地下鉄に乗るや、冷房いと強し。
     温度差が、きつい。

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 が、夕されば吹く風心地よく、虫の音すだく。
   秋の気配 ・・・・・

 いや、気をつけよ。まだまだ分からぬ。

 負けてはいけない。
  免疫力強化 !

   公園には見知らぬ仲間たちが黙々と走っている。

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2021/08/16

馬はなぜ走るのか

 走って(ジョギング、早歩きでもよい)、汗をかくと(人さまざまなかき方があるだろう)、誰しも(むろん全員が、ではない)、多かれ少なかれ(かなりの差はあるか)、ハイな気分になる(のではないか)。
 アドレナリンが脳を刺激してとか、脳内モルヒネが働いてとか、とはよく言われること。
 なぜ、こういうメカニズムが人間の内部に出來上っていったのか?

 石器時代以来、人間の身体は狩猟による食料確保に適合すべく、進化を遂げてきた。
 生きるために走る。走るために生まれた
 そうして食物連鎖における最上位を獲得した。

 他の動物、たとえば馬はどうか。
 馬は草食動物なので食物連鎖は下位の被食動物(上位はチーターとかライオンなど肉食系)。

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   「馬はなぜ走るのか やさしいサラブレッド学」 辻谷秋人 三賢社 2016年刊行

 副題にあるようにサラブレッドが対象だが(そしてむろん競馬が舞台なのだが)、そもそも「馬は好きで走っているのか」から始まって、「人の価値観、馬の行動原理」「馬だから競馬はできた」と受け、「競争馬に必要な能力」、「馬はどのように走っているか」、「馬はこうして競走馬になる」と展開し、「馬にとっての報酬」「馬にとっての幸福とは」で終わる。

 著者は生物進化の歴史から、馬の動き方、常歩(なみあし)・速歩(はやあし)・駈歩(かけあし)・襲歩(ギャロップ)への脈絡を語る。 ・・・・・・・・ 魚類は脊椎を左右に動かして泳ぎ、上陸を果たした両生類は陸上を泳ぐ、つまり胸ビレと腹ビレを地面に引っかけて前進し、このヒレ=前肢・後肢の動き方は馬の常歩と同一である、爬虫類では速歩を、哺乳類になって駈歩・襲歩を獲得する。二足歩行の人間も両生類の常歩を捨てたわけではない。たとえば幼児の這い這い(あるいは大人の四つん這い)での前進は両生類や馬の常歩(左後肢―左前肢―右後肢―右―前肢という順番)の運肢となる。・・・・・・・・

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 さらに、多くの科学的知見を取り入れ、・・・・・・・・ 四肢骨の構造や筋肉(速筋・遅筋)、走行中の呼吸法、有酸素・無酸素運動の人間との比較、レース中の運肢の変化(スタート、コーナー、直線)、レース距離への適合性、血統の重要さ、・・・・・・・・ そうしてレース現場で実際に起こった状況(ディープインバクト、オフェーブルなど)を解析してゆく。

 加えて、生産牧場と育成牧場の関係、競馬場に関してはダートと芝の違い(単に土と芝だけの違いではない。砂のまじり具合とか、芝の種類・性状の違い、外国と日本の違い)、などなど、競馬に全く無知なぼくにとっても非常に面白い。

 で、馬はなぜ走るのか?

 馬は好きで走っているのではない、人間の要求を受け入れて(否応なしに?)走るようになった。より速く走れる馬となるべく交配を重ね、走るために生まれてきた。走らなければ、走る場がなければ、競馬がなければ、馬(サラブレッド)の生きる場所はない。 ・・・・・・ 著者の結論である。

 しかし、これは動物愛護の観点からはいかがなものなのか?
 最後に筆者は語る。

 彼らは人間から走ることを求められている。 ・・・・・ 走る場所があって、彼らが走ると喜ぶ人がいる。それは悪いことではないし、むしろ幸せなことと言ってもいいのではないか ・・・・・ 実は私たち人間が求めている幸せというのも、案外そういうことではないかと思ったりする  ・・・・・・・・

 食べられないために、走る、逃げる。
 ウイルスとの戦いでは今のところ我々は逃げきれていない(先行逃げ切りの失敗、政治的失策!)、最後尾グループが少しずつ捕獲され続けている(・・・などという表現は不適切か)。

 猛暑と各地で大雨災害を惹き起こすような天候のくりかえしで、思うように走れない今日この頃、たまたま競馬好きの息子が読み捨ててあった本書が一服の清涼剤になったかどうか、いやいや、敵も手を変え品を変え、人類を脅かし続けている。年内にはピークアウト、沈静化できることを切に期待する、祈る。

 

2021/08/12

夕蝉

 

       夕蝉や わがもの顏に 雨上がり

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      久々の暑さ凌ぎかと思いきや、大雨注意報が同梱。
        またもや「今まで経験したことのない」災害のおそれ、か。
          列島全体に悲憤と気疲れが重積してゆく。

 

 

2021/08/11

パラレル・ワールド、リアル・ワールド

 

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 五色の彩りが次第に単一色の闇に向かって収束しつつある天を仰いで、人々は恍惚としている。真昼の猛暑の名残りはまだ燃え尽きないらしい。――― 思わずため息をひとつ。

 と、まだ明るく暮れなずんでいる上空の雲の彼方から、足穂君があの一人乗りのプロペラ機を旋回させながら舞い降り、薄闇の林の中を歩いていたぼくのすぐ間近に着陸したのです。
「やあ、しばらく見ない間にずいぶん大きくなったね。百閒先生と探索したときは少年だと思っていたけど」
「ああ、あんたの年に追い付いたよ」
「それでため口か。ぼくの方はさほど年嵩喰ったとは思ってないんだけど」
「少年は老い易いんだ」
「で、学は成ったのかい?」
「おお、もう、宇宙は極めたようなもんだ。もっともほとんどの奴らは認めんのだが ・・・」
「聞いたよ。恩師の悪口たたいて ・・・」
「ふん、知ってたか。佐藤(春夫)のダンナのこと、ちょこっと批判を垂れたら、ハイ、サヨナラってお払い箱よ」
「それで文壇を去って ・・・」
「諸国放浪の旅ってわけよ」
「なるほどね」
 
 会話を遮るためでもあるのか(そんな筈はないのでしょうが)、足穂君が ―― (あの時と同じく) ―― いきなり尻ポケットから拳銃を取り出すと、あたりの樹々やら、はるか上空の雲やら、四方八方、無茶苦茶に撃ちまくりはじめたのですが 、―― (するとまた、あの時と同じように) ―― たくさんの美しくない月が落ちて来る、地面に衝突して破裂する、砕け散ったかけらが頭に冠のようなものを被って、そこらじゅうに転がりだす、といった光景が再現されたのでした。


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「まだ撃ち足りない、全然足りない ・・・」
 足穂君はつぶやき、茫然としていたぼくに一瞥をくれると、
「それにしてもヤケにシケた顔してるじゃねえか。ご時世とはいえ ・・・」
「ああ、まったくそうなんだ。世の中みんなパラレル・ワールドだなんて騒いでるけど ・・・」
「そうじゃねえってんだろ?」
 ぼくは頷きました。砕け散った月たちを見下ろしながら、
「世間じゃ、魑魅魍魎のように跳梁跋扈する不埒なこいつらと、終わったばかりの大運動会が全く違った世界に同時に存在するものだ、なんて言ってるけど ・・・」
 言いかけると足穂君は、
「そりゃあ違う。ふたつ別々に見えるのは実は全く同次元に同時に存在するものだ、な?」
 と、ぼくの抱く感懐を見透かすかのように言うのです。


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 同じひとりの人間の中に、善と悪、良・不良、愛・憎悪 etc  ・・・ 相反する感情が共存している、それが人間てもんじゃないか 。
 ぼくはまた頷きます。
「パラレル・ワールドじゃねえ、すべてリアル・ワールドだ」
「同感だね、まったく」
 祭典として運動会が開かれたら観る、観れば楽しい、大いに感動もする ―― 当然だ。開催に反対していたくせに「手のひらを返して」という批判は、的外れもいいところだ。
 足穂君のいう通り、すべて、ひとつの個それぞれに内蔵されるリアル・ワールドなのだ。


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 足穂君とこうして話をしているこの林の中が、リアル・ワールドとは別次元のパラレル・ワールドに感じてしまう、これはちょっと不思議なこと、と思っていると、
「なあ、そのうちオレのことをもう少し詳しくブログに綴ってくれよな」
 足穂君は言い残すとまたプロペラ機に飛び乗り、あっという間に雲の彼方へ飛んで行ってしまったのでした。


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2021/08/09

祭のあと

     

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                 しばらくは 祭の余韻 原爆忌

 

      

2021/08/05

今年の百日紅

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 暑い。むやみに暑い。猛烈な暑さだ。
 いつの間にか今年も百日紅が咲いている。
 この季節に生まれた娘も早や二児の母となり、シンガポールで最初の夏を迎えている。
 安全・安心は東京とは比較にならない。外国人へのワクチン接種も始まっているとのこと。

       さるすべり 異国情緒で咲きにけり

 この花にそんな趣きはないのだが、はるか彼方へ連なる飛行機雲を見ているとそんな気がする。

 

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      これまでの「今年の百日紅」のうた

2021/08/01

オリーヴ・キタリッジの生活 

オリーヴ・キタリッジ、ふたたび」は、すでに老域にある主人公の夫との死別、74歳での再婚、その相手との死別、独居中の心臓発作、入居した老人ホームで過ごす86歳までを描いた、老人文学とも呼ぶべき作品であるが、本作はこれに先立つこと10年程前に発表された。
 元中学校の数学教師だった主人公の40代から70代までが前作同様、13の短編からなる連作で描かれている。

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  「オリーヴ・キタリッジの生活」 エリザベス・ストラウト 2012年 早川文庫(2010年刊)

 各連作中、主人公はしばしば入れ替わり、大元の主人公オリーヴは時に脇役、端役を演じることで全体の流れの中で印象をかえって際立たせており、これは「ふたたび」に繋がる手法。
 時間軸が所々でいきなり前後したり(回想とかで)、小さな町の世界ながらたくさんの登場人物の名前が次々に飛び出してくるので(意図的な不親切っぽい作為?)油断ならない、時々読み返す必要がある、と、これも「オリーヴ・キタリッジ、ふたたび」で提示されていること。

 40代のオリーヴはまだ女盛り(大女だが)、1歳年下の夫ヘンリーは人間的にいわゆる「良い奴」で、自己主張が強く(あからさまな態度にはあまり出さないが)頑固なオリーヴとは必ずしも相思相愛(古い表現か)とはいえず、意見の衝突することはしばしば。

 もう若くはないヘンリーが娘ほどの年齢のアルバイト女性に対してかなり思いつめた恋情に駆られたり(むろん成就することはない)、オリーヴもひょっとした隙間に若い男に好感を抱いたり(70代になっても)、と、お元気というよりは、人間が年齢に関わりなく内蔵する感情・意志をさり気なく表現している。著者の人間性によるものなのだろう。

 中年から現役を退いた老年期、夫は脳卒中で倒れ、介護施設で他界し、溺愛する一人息子は鼻っ柱の強い嫁と離婚し、「多産系」女性と再婚し、自分から離れてゆく(子離れができないのは一種哀れ)。

 この間、教え子の自殺企図、街の顔役の愛人(若くない)とそのかつての恋人の苦い再会、老境に近い男女の不倫・離婚への幻想、若い娘の摂食障害と持病の心臓病での急逝などなどが、綾織物のように入り組みながら語られる。

 ―― オリーヴは目を閉じて、土壌や、出てくる植物のことを考えた。すると学校の隣のサッカー場を思い出した。教師をしていた日々のこと。・・・・・・・ ああいう秋の日の空気には美しいものがあった。また汗をかいて脚を泥だらけにした若い身体にも、思い切りヘディングしようとして突っ込む元気な姿にも、美しさがあった。ゴールが決まったときの歓声も、がくっと膝をついたキーパーも、また美しかった。・・・・・・・ そういえば、と思い出す日々がある。まだ人生の盛りだった中年の夫婦として、ヘンリーと手をつないで帰っていった。ああいう瞬間には、静かな幸福を味わうという知恵が働いただろうか。おそらく、わかっていなかった。たいていの人間は、人生の途中では、いま生きているということがわからない。だが、いまのオリーヴには、何かしら健康な、純粋な、記憶として残っているものがある。あんなサッカー場の瞬間が、オリーヴの人生にあった最も純粋なものかもしれない。そのほかに純粋とは言いがたい記憶も多々あるということだ。・・・・・・・・・・

 だれしもが老いて、あるいは老いずとも、いずれこの世を去る。良い悪いではなく、どうにも思うに任せぬままの生きかたで存在する、せざるをえない。どの登場人物にも儚さ、やるせなさといった風情が漂う。

 最終場面で互いに連れ合いを亡くした老人同士が川端で出合う。

 ―― いま青い目がオリーヴを見ていた。弱々しく、また誘うような、不安げな目、と思いながらオリーヴは静かに腰をおろし、手のひらをジャックの棟にあてた。心臓の鼓動がわかる。いずれは止まるのだろう。どんな心臓も、いつかは止まる。だが、きょうはまだ“いつか”ではない。日当たりのよし静かな部屋というだけ。・・・・・・・ 若い人にはわからない。・・・ この男に添い寝して、その手がオリーヴの肩に、腕に乗っていて ・・・ そう、若い人にはわからないだろうが、くたびれた年寄りになっても、引き締まった若い肉体と同じように、求めたいものはある。いつだって恋愛を無駄にしてはいけない。・・・・・・・・

 かれらのさりげない挙措や装い、背景をなす美しい自然の移ろいを描きながら、そんな人間に対する作者の目は暖かい。

 ―― オリーヴの目は閉じていた。疲れた全身に、これでいいのだという感謝が ―― また、これでいいのかという気持ちも ―― 波になって寄せていた。・・・・・・・・ よくわからない。この世界は何なのだ。まだオリーヴは世を去ろうとは思わない。 ――

 ふたりは寄り添いながら「オリーヴ・キタリッジ、ふたたび」へと晩年の旅を続ける。

 2作の連作集は本作から「ふたたび」へ、各短編順番通りに読み進むべきものだ。



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2021/07/31

七月逝く

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       狂乱の七月逝きぬモノクロに

 

 

2021/07/29

巣篭り

 

     巣篭りや 汗かかねども 筆止まり

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2021/07/19

内田百閒先生、稲垣足穂君と森を探索した話

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 昨日は今夏一番の猛暑だったとか。
 朝、暑くなりそうだとは思いつつジョギングに出たのは無謀か無知か、いずれ2時間の外遊を無事成し遂げられたのは僥倖というべきかもしれません。

 木陰にゴールインした時にはキャップを被ってはいたものの、脳が頭蓋骨の中で蒸し上がり膨張してとろけかかっていたのか、夢見心地すらしたのはアブナイ兆候であったのかもしれないと昨日の今日、思い返しても定かではない、いや、定かならぬことがそもそもキケンなことであったという気もしないではないのであります。

 携行したアクエリアスを飲み干し、しばし休息すると(いつの間にか午睡に落ちていたようです)、待ち合わせた内田百閒先生、稲垣足穂君と森の探索を始めました。
 夕暮れが近づいていたようです。

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 最近百閒先生のご機嫌が悪い。
 口に出すわけではないし、こちらから伺うものでもないから、心中いかにやあらむと「拝察」するばかりではありますが、私同様、「何もかも」気に入らないのではないかと思えるのです。
 しばしば呼び出される足穂君の話では、やたら不機嫌な様子でむやみに彼に発砲を命じるらしい。
 常日頃足穂君はお尻のポケットにピストルを忍ばせているのですが、ふたりで街を歩いていると、いきなり「撃て」と命令するのだとか。

 足穂君にしてみれば何のことかわからぬが、とにかく先生の指さす方向に向かって(彼には目標が見えないといいます)引き金を引く。すると大きな音をたてて月が地上に落ちてきて砕け散るのだそうです。

 そんなことが最近ことのほか多いのだと足穂君は言うので、私は、
「それって親分に命令されて敵を狙撃する下っ端ヤクザと同じじゃないか」
と非難しました。すると彼はなんら動じる風もなく、
「いや、俺は単に俺の宇宙観に則ってやってるだけっすよ」
と事もなげに応えるのです。

「ねえ、先生」
 先を歩いている先生に私が声を掛けると、もう私の内心を見透かしたかのように、
「うるさい。イヤだからイヤなんだ」
と、どこかで聞いたような返事。

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 私たちはそれから默って歩いていたのですが、先生が突然立ち止り、
「奴らがやって来るのが聞える」
と、髙い樹を振り仰ぎながら言うのです。
 私には何も見えませんが、足穂君はそれが当たり前であるかのように、腰を落として身構え、尻ポケットに手を伸ばします。

「稲垣、見えるか?」
「百閒先生、見えません」
「まだお前の宇宙は見えんのか?」
「見えません」

 私にはふたりの遣り取りが理解できず、やや呆気にとられたのですが、百閒先生は、
「あれ、・・・ あれ、・・・ あれ、・・・ あそこ」
と次々にいろんな方角を指さします。
 足穂少年は四方八方、無茶苦茶に(と私には見えました)、ピストルを撃ちまくります。

 すると木々の枝の間や梢のかなたから次々に月(なんとたくさんの!、それも全然美しくない!)が落ちて来て地上で炸裂し、そのかけらたちはみな、頭に冠のようなものを被って、そこらじゅうに転がるのでした。

「これが奴らの正体だ」
 百閒先生は苦々しくそれらに唾を吐きかけ、足で踏みつぶしにかかりました。
 足穂少年も同じ動作をくりかえします。
「これで世界大運動会だとよ」
 私にはようやく理解されました。

 これら月に姿を変えたものたちこそ、今や世界中に猖獗を極めている厄病神の使徒たち(のごく一部)なのだと。
 そうして、踏みつぶされている化け物たちは足下、冠(コロナ)を被りながら様々な人間の相貌 ―― 慾・権力まみれ、自己中、虚言妄言癖、破廉恥漢 ―― を露わにしているではありませんか。

「不届きな輩どもめ!」
 吐き捨てるような声とともに百閒先生の姿は消えてしまいました。と、同時にゴトンゴトンという汽車が通過する音がリズミカルに響きわたります。

 阿房列車内田百閒と自認するくらい汽車に乗るのが大好きな先生には、時計を見ながらゴトンゴトンという規則的な音を数えることで、乗っている汽車の速度が推測できたといいます。だから私たちには聞えないものまで聞えるのかもしれません。

 それは足穂君も同じようなのか、と思っていたら彼の姿は、 ・・・・・・  いや、消えたのではありません。一人乗りのプロペラ機で森の木々の間を自由放縦に飛び回ると、無限の空へ去って行った、もしかしたらジョナサン・リビングストンになったのかもしれません。

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2021/07/14

「我ら」の誇り 二刀流

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 今 無心で喜べるのは 君のことだけだ 

 君は心底 楽しんでいる

 少年の日の姿そのままに
   ただただ 投げては 打ち 走り 
     それが嬉しくて 楽しくて 仕方がない

 何の意図も 邪念も 打算もない
   
 だから 歴史を変えるような
   素晴らしいことが起こった

 君だからこそ
   君の無垢で 誰からも愛される心根こそが
     奇跡のような事態を実現させた

 君だけのための ルール変更
   何ということだ

 君の自然なふるまい 君の一挙手一投足に
   ぼくは心を揺さぶられ
     憚りもなく
       感涙にむせんでしまう

 君は「我ら」の誇りだ

 「我ら」といってそれは このひとつ国の民ではない
   君を見るすべての人々だ

 国境も 人種も 世代も超えて
   君を見るすべての人々にとって
     君は誇りなのだ

 

 

2021/07/13

睡眠障害

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 途中覚醒が最近多い。
 12時前に就床し、2、3時間で目を覚まし(睡眠薬を服用しているにも関わらず、である)、その後朝までうとうとする。
 こんな日は日中とくにスッキリしない。朝起きたときからぐったりしている。
 それでも仕事が始まると眠気などどこかへ行ってしまっている。が、仕事が終わると急激に眠気に襲われ、仮眠に走る。

 睡眠薬のお世話になってもう随分になる。20年くらいは経つか。少量ではあるにしても依存性は生じているように思う。
 睡眠剤の長期連用で認知が進むなんてことが巷間伝えられるが、真偽不明、自分が当てはまるのか、自分では分からない。
 懇意にしている年上の心療クリニックの先生に言わせると、睡眠不足で日中のパフォーマンスが落ちるよりは眠剤を飲んでスッキリ眠ったほうがよっぽどいい、長年服用しているけどどうってことはないさ、とのこと。
 この先輩、認知が入っているとは到底思えない。こういう人が近くにいると心強い。

 しかし、きょうは眠かった。
 午後30分くらいシェスタをとったけれども、起きてからむやみに疲労感がのしかかる。
 意を決して無理やり(ホントに無理やり、である)ベッドから離れ、プランクで体幹に刺激を入れ、それからジョギングに出た。
 蒸し暑い。スピードが全く出ない。必然、ウオーク&ジョグとなる。
 なんでこんな思いしてまで走るのか。心中、苦笑いしながら走る。
 10キロ移動するのに1時間半もかかった。


          なほ走る未練がましく盆の暮れ

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        わが睡眠障害については、くりかえし記している。
           2019年6月 2020年1月
          この間、状況は些か変化しているような、いないような ・・・・・ 覚束ない。

 

 

2021/07/11

壺中天

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 ゆうべぼくは女の腹の中にいた。
 吸い込まれたのか。いや、それは最初だけだ。そうだ、なんとなくこの女に飲まれてしまうって予感があったのはあのレストランでだった。 
 確かにあの晩、ぼくは彼女のひと息で吸い込まれ、飲み込まれてしまった。

 きのうに限ったことではない。このごろは自分から入り込む。

 こんな掘立小屋の中にレストランがあるなどとは外見からして到底思えないのだが、ぼくが入ってゆくと女はちょっとだけ妖艶にしなを作ると、たちまちスレンダーな体を古びた壺に変える。

 そのおちょぼ口から、ぼくはすーっと入り込む。

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 初めてのとき、ぼくをひと息に飲み込んでしまったような女だけれど、入り込んでみると腹の中は、黒くはない。黒いどころか、明るく目映いばかりの金銀に輝いているのだ。
      
 この小さな空間で、ぼくは胎児のように膝を抱えて座る。

 座り心地はすこぶるいい、というより、何ものにも触れずに座っている、腹の中にふんわりと無重力状態で浮かんでいるって感じだ。
 そしてなんの感触もないはずなのに、体中に妖しい刺激が緩やかな波動として伝わってくる。

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 周りには幾重もの襞があり、滴が垂れているので手で掬ってみると、なんと、酒じゃないか。
 ひとたび口にすると、喉元に喩えようもない味覚。
 酒ばかりではない。
 襞の間からはぼくが食べたいと思う料理が次から次へと出てくる(食欲を見抜かれている ! )。
 どれもみな、この世ならぬとしか言えぬ味わいだ。

 やがて、全身が  ――  心臓も、脳も  ――  酔いと浮遊感にひたひた浸り、ゆらゆら、ゆらゆら、搖れては揺らぎ、搖らいでは搖れ、・・・・・  気がつくと何やら聞えているのは、あれは、・・・・・  ああ、・・・・・  潮騒だ。

 寄せては返し、返しては寄せ、 ・・・・・ (一定のリズム) ・・・・・  穏やかで、やさしく、・・・・・  そう、子守歌。ぼくが羊水の中で聞いたメロディーだ。なんという快さ、なんと和らいだ心地。

 酒精が全身に滲みわたり、脳髄が恍惚を自覚し、瞬時、腹(壺)の外の世界が網膜に映ずる。
 ぼくが、壺の中と、外を、まったく同時に、蝶のように飛び跳ねている。
 夢を見ているのだろうか。

 ぼくは女に問いかける。
「君はぼくのマザーなのかい?」
「いいえ、わたしはまだ、あなたのマザーではありません。わたしはまだ、生まれていませんもの ・・・・・ 」
生まれていない、だって?
「そう、あなたのファザーだって、まだ生まれていませんもの ・・・・・  」
 父も、母も、まだこの世に生まれていないのに、・・・・・  じゃあ、ぼくは  ・・・・・・・・ ?

 金銀にまばゆく輝く女の腹の中を浮遊しながら、ぼくは同じく、腹の外を飛び跳ね、ゆらゆら、ゆらゆら、揺れている。

 両親が未だ生まれる前のぼくの時間、壺の中と外、夢ともうつつとも見わけのつかない空間、そのあたりを、ぼくは漂っているらしい。

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2021/07/08

ギターふたたび ・・・ 昔取った杵柄?

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 2週間ほど前からギターを引っ張り出して弾いている。弾き語りといえば聞こえはいいが、ホントのカッコいいには程遠い。
 何を思いたってのことか、自分でわからない。もう10年ぶりくらいだろうか。

 弾いてみて ・・・ 指が動かない、というか開かない。5本指を駆使して弦をフレット上にうまく押さえきれない。
 色々とコードを展開させてみるが和音が濁る。特にF(ドファラ)の類。 
 5分も経たぬうち指先が痛くなり続けられない。
 それでもだいぶまともになってはきた(と思う)。
 指先も少しずつ硬くなってはきたが、タコが出来るにはまだかなりかかりそうである。

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 昔、半世紀も前に記した五線譜が残っている。
 これを再現しようとしたが全くうまくゆかぬ。よくこんなに複雑なコードを押さえられたものだと我ながら感心する。

 指も動かぬが、声が出ない。音域がひどく狭くなっている。音程も歌いながら自分でも不確かなのが判る。
 こんなはずじゃなかった、カラオケで喝采を浴びながら(お追従、ヨイショはあったにせよ)、歌っていたあの頃のおれ(最後に行ったのはもう10年以上前だな)、どこへ行ってしまったんだ。 ・・・ どこへも行きゃあしませんて。老いたのでございますよ。
 そう、たしかに老いたな。昔取った杵柄、などと述懐するのも口幅ったいこと。

 懐メロで登場する同世代の歌手を見て痛々しく感じることも多いが、全然老いを感じさせない人も少なからずおられる。
 小田和正さん、さだまさしさん、松崎しげるさん。海外でもポール・マッカートニーはお元気そうだし、エリック・クラプトンもまだまだ行けてる。先日車のラジオを聞いていたら81歳のリンゴ・スターがドラムを叩きながら昔ながらの歌いっぷりを披露しているのにもびっくりした(もともとあまりお上手ではなかったけれど)。

 ―― 何言ってるんだ、かれらはみなプロじゃないか。
 ―― そりゃあそうだけど、ああいう人たちがいると励みになるよ。
 ―― まあ、そうだな。

 高校、大学の頃は人前でやらかして喜んでいた。
 よくやったものだと慚愧・羞恥の念に今更ながら駆られるが、いやもう過ぎたこと、みんな忘れてるさ。
 ・・・ と、気持ち新たに今夜もしばし修練に励む。

 大きな音が出ないようにサウンド・ホールを塞いでやっているが(それに声もあまり出ないし)、とはいえ、ご近所にどれほど聞えていないか、今のところ苦情が持ち込まれていないのは、我慢していなさるのか、呆れておられるのか、もしや触れてはならぬものと恐れおののいていらっしゃるのでは ・・・ そんなことないか ・・・ でも、注意、注意。
 そして目差すは自己満足の世界のみ。いつかギター抱えてひとりカラオケでも行くか。

       




2021/07/06

日々是眠し

 日々早朝覚醒する。就眠時間と関係なしに目覚めてしまう。中高年者に特徴的現象ではあるが、睡眠時間は短くなる、したがって日中眠気を催す。だからほとんど必ず昼食後に短時間仮眠する。10分か15分だったのが最近はどうかすると30分にも及ぶ。
 帰宅後も眠くなることが多い。夕方もまた仮眠する。これも30分に及ぶことが多い。起きるとぐったりと疲労倦怠感に溺れる。
 夜はすぐに眠りに就くことができる(軽い睡眠導入剤の世話になっているとはいえ)。
 要するに1日中眠い。

 それほど肉体を酷使しているわけではない。となれば気持ちの問題か、ということで、わが身に鞭打って(でもないのだが)、意を決して走りに出れば、まあ走れる。
 しかし、スピードが上がらない。1時間も走るとがっくりと足にくる。前はこんなじゃなかった、ならば前とはどれほど前のことだったか、つい2、3か月前のような気もする。

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 天候のせいだろうか。梅雨。―― それもあるか。鬱陶しい。
 コロナ。 ―― 無論あり、だ。(それにオリンピックのこと ―― 考えたくもない)
 年。―― それは大いにもあろう。それが一番の要因ではないか。たしかに。
 受け入れねばならぬのだ。老いを ・・・・ おいおい。

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 相変わらず気分を害する不整脈、期外収縮は月に2、3日は出る。
 この間は起き掛けに違和感を覚え、アップルウォッチを慌てて装着して記録したら数秒間も心拍記録がとれない。要するに心停止だ。寝起きだし、慌てていたから正確に記録できたかどうか定かではないとはいえ、こんなに長く出たのは初めてだから、心中穏やかではない。
 繰り返されるようならペースメーカーの埋め込みが必要になる。

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 ・・・・ などなど考えを巡らせていると、またグダグダと空虚な時が過ぎ、そのうち雨がぱらついてきたりすることがここのところ多い。で、走る。走るというよりはジョグ&ウオーク。無理はしない。心拍数が120をオーバーしない範囲で。
 走行距離:3月185キロ、4月120キロ、5月133キロ、6月155キロ。―― ほどほどに身の程わきまえて ・・・・

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        暴れ梅雨堪へて咲くや蕎麦の花 

 梅雨らしい降り方には遠い。豪雨禍だ。
 実朝は祈った。

       時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ


 

 

2021/06/29

水無月詠草

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     紫陽花にひかれ踏み入る去年(こぞ)の道
             ( ・・・ いつか来し道 デジャブなるかや)

     蛙鳴き虚空飲み込む湯浴みかな
             ( ・・・ 山辺の露天唯我独尊)

     酸素引き歩む翁のシャツの汗
             ( ・・・ 後ろ姿の寂寞として)

     スマホより梅雨なき国の孫の声
             ( ・・・ 抱き上げたくも叶はざりけり)

     梅雨晴れや古人の言のしたたかさ
             ( ・・・ 明日をな思ひ煩ひそとて)

     水無月の尽きて過日を嘆きけり
             ( ・・・ 残る半ばも疾く逝くものか)

     Half a year is gone
         leaving me along the lane
             without fruitful memory

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2021/06/26

少年老い易く・・・

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 遠くのブランコで遊んでいたとばかり思っていたら
   その少年は不意にぼくの前に現れた
 少年はぼくを誘うように歩いてゆく

 紫陽花の小径が続く
   かなり先まで続いている
 ぼくはどこまでも 後についてゆく

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 なんだか視界がゆがんで
 進むにつれて 少年のうしろ姿は少しずつ 成長してゆくようにも 見えた

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 道が薄暗い森に入り 樫の大木に突き当たると
  彼はなにやら叫び声を上げた
   と 声は森じゅうを駆け巡り 
    その声に狩り出されるように
      木陰から人が 次から次へと出てきた

 見れば懐かしい顔ぶればかりだ

 小学校の同級生たち ・・・
   タカシ君は駆けっこでいつも一番だった
     ぼくはだからいつも二番だった
   ヒロシ君は学級委員に何回も選ばれたっけ
     ぼくは一度きりだ
   トシコちゃんは初めて手を握った女の子
     フォークダンスでね

   みんなあれからどうしていたんだい?
    (小学生の背丈になった少年は かれらと跳ねまわって遊んでいる)

 中学校の同級生たち ・・・
   ドラムのスティックで休み時間になると机を叩いて回っていたヤスオ君
   番長だったテツオ君 ぼくにはなぜだか優しかった
   初めてラブレターを書いたキヨコちゃん 返事くれたよね

   みんなあれからどうしていたんだい?
    (少年は中学生の背丈になって かれらと 跳ね回って遊んでいる)

 高校の同級生たち ・・・
   ニーチェをうるさく語ったゼンジ君
   バスケ部のモテ男ヒロアキ君
   初めてデートしたノリコちゃん

   みんなあれからどうしていたんだい?
    (少年は高校生の背丈になって かれらと 跳ね回って遊んでいる)

 
 どの顔もやけに くっきり はっきりと見える
  あの頃とおんなじ声 おんなじ仕草
   ずいぶん昔のはずなのに
    今は ホントは どこに どうしているんだろう?

 少年はぼくの姿になって
   ぼくは少年の姿になって
     紫陽花の小径を歩いている


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 大木の向うから 潮騒が聞える

   ・・・  これをくぐれば 海が  ・・・

       ・・・  だから くぐって  ・・・ 

          ・・・ 抜けて  ・・・


               ・・・・・ あああ ここは いつもの公園だ


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2021/06/25

備えあれば憂い・・・?

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        備へれど 憂ひは去らず 梅雨の日々

 

 

2021/06/22

小さなサトリ ?

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 いつものように走り出し 下校途中にすれ違った小学生を目にして
  ぼくは俄然何か判った気がした(小さなサトリ?)

 あれは60年前のぼくの姿だ まったくあんな風だった
 ぼくの眼は少年にくぎ付けになり みるみる少年に引き寄せられ
  少年とひとつに 少年そのものになってしまった

 60年という時間の隔たり感はない
 ぼくがいきなり60年前のぼくにもどり
  60年前のぼくが今のぼくを見ている

 何も変わっていないじゃないか !
 60年経っても全く同じだ !

 ほんの一瞬のことだった
 少年は過ぎていった
 その背中を見ながらぼくは思う

 来し方掘り起こせば 過ごした年月なりの少なからざる出来事を
  思い出すことはできる
 でも 君を見ていると 
  一足飛びにこの齢に達した(達してしまった)という感慨に捉われる
 君が今のぼくの年になったら
  君はぼくと同じように愕然と思い知るのだろう
 一個の人間の生がまるで 一炊の夢のようであることを
 そして(ああ)自然は いのちの歴史は あんなにも広大無辺で無窮なんだ とも ・・・

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2021/06/16

自分の肉のステーキを食べる話

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 森の中の小さなレストランに入り、注文取りに現れた若くてスレンダーな女をひと目見ると、ああ、ぼくはきっと彼女に調理されてしまうのだなあ、と確信した。
「何にいたします?」
と訊かれたので、
「ステーキが食べたい、赤ワインで」
と答えた。
「どの辺りのがよろしいでしょうか?」
と言うので、
「色々、部位があるのかね?」
と尋ねると、
「はい、肩とか背中とか、内臓とか、全身、どこの部分の肉もご用意できます」
 なんだか焼肉屋に来たような気がしたけれど、どうも違う様子だ。ちょっと戸惑っていると、
「おまかせコースはいかがでしょうか? 全身の各部分を少しずつお客様のお好みに合わせてお出しできますが」
「うん、それを頼む。でもわたしの好みがわかるのかね?」
 ぼくは怪訝に思って訊いてみた。
「はい、お客様の全身に漂う気配から判断させて頂きます」
 面白そうだと、ぼくは頷き、
「ホントに判るのかい?」
「たとえばお客様、今私を食べたいと思いませんでしたか?」
 ぼくは思わず赤面した。読まれている  ・・・・・・・

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 ほどなく女がグラスの赤ワインとともに、旨そうな匂いのする料理を運んできた。
「頬肉をレアに仕上げたものでございます」
 食べるとなんとも懷かしい味である。どこかで食べた記憶がある。
「旨い・・・」
 頬っぺたが落ちそうだと思っていると、
「お客様の頬肉を夕陽を浴びせながら3時間寝かせたものでございます」
 ぼくはなるほどと思って一気に食べた。懐かしさに涙がうるむ。

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「次は胃を月光に溶いてとろとろと弱火であぶりながら仕上げたものでありまして、長年にわたって蓄積されたイタミが中までほどよく溶け込んでおります」
 口へ運ぶと飲み込みが早い。はらわたまで沁みとおる。積年の恨みが氷解し実に穏やかな気分になる。

 それにこの赤ワインの芳醇さ。
「お客様の赤血球をリンパ液とともにブレンドし、5年寝かせたものでございます。少し澱が目立ちますがそれがこちらの特徴かと・・・」

 女はぼくの気持ちを見拔くかのように説明し、それから次々に料理を運んできた。しかも来るたびに、手や顔がぼくにだんだん近づいてくる(なんといい香りだ)。

「これはお客様の肺に星の砂をまぶしながら、ケガレを濾過し、食べやすくしたものでございます」
 なるほど、この説明はぼくの肺腑に落ちた。

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 料理は続く ――

(脳)「好き嫌いはおありかと思われますが、いえ、性格ではございません、それなりにそれなりでございまして・・・」(愛嬌&嬌態)
(心臓)「お口の中にしばらく含まれますと、小心でガラスのように割れやすく儚いおいしさにドッキリとして、動悸を自覚されることがあるかもしれません・・・」(上品な媚態)

 女の解説によれば、食べたもの、飲んだものは直ちにもとの部位に運ばれるという。
 そうか、すべて無駄なく、血となり肉となり ・・・・・・

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 ぼくはなんだか奇妙な気分になっていった。
 自分を食べている自分がいる。食べられている自分がいる。それを見ている自分がいる。
 いったいどれが本物のぼくなのかしら。

 食べたものはどれも旨い。旨いと感じているぼくの感覚はどこから生まれるのだろう?
 調理に供された部位は嚥下、消化され、もとの場所、本然の姿に還る。

 うむ、この肉は ・・・・・・ どこの部分か訊き損ねたが、ナイフで小さく切り、フォークの先に突き刺すと目の高さに掲げ、フォークごとそれを放り上げた。
 肉塊は砕けて金銀の微粒子となって空中に舞い上がったが、すぐに女が現れ、大きく胸を張るとそれらをみんな一息に吸い込んでしまい、そうして肉ばかりではない、次に気がついたときぼくは女の腹の中にいた。

 

 

 

2021/06/15

西に向かって走れ

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 この数日、なんとはなしに疲労感、熟睡感の欠如が拭えない。
 今日は午前中で仕事は終わりだったが、帰宅後午睡を少々。本を読みながら椅子にもたれてまたウトウト。
 これではいかんと筋トレをし、プランクをし、スクワットをし、少し頭がスッキリしたところでジョギングに出たら、途中から小雨が降り始めた。

 走るに従ってだんだん勢いを増してくる。頭上は暗雲低く垂れこめ、時おり雷が鳴ったが、西の方角を見ると明るい。コースを変更し西を目指して走ると、ほどなく舗道に降雨のあとは見られなくなった。

 帰宅後2階に上がる途中できょうも、数秒だったが2段脈が出現。短時間といえど気分不快である。

 ここのところ左前胸部を中心に不安定ななにかが蟠っている気配を感じることが多い。大概は気配(あるいは予感)だけで終わるのだが、ときに不整脈が現実に姿を現す。
 さてその原因、誘因を考えてみるに、睡眠不足なのか、酒量が過ぎるのか、はたまた走り過ぎなのか、どうも判然としない。
 で、年齢って奴が消去法的にどんと居座る。つまるところ、加齢に伴う心臓の刺激伝導系の異常、ということか。嫌な奴だが、馴れ合っていかねばならないのかもしれぬ。

 西に向かって、夕陽に向かって、走れ。走るんだ。

          梅雨空に雷鳴犬を走らせる

    

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