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2021/08/01

オリーヴ・キタリッジの生活 

オリーヴ・キタリッジ、ふたたび」は、すでに老域にある主人公の夫との死別、74歳での再婚、その相手との死別、独居中の心臓発作、入居した老人ホームで過ごす86歳までを描いた、老人文学とも呼ぶべき作品であるが、本作はこれに先立つこと10年程前に発表された。
 元中学校の数学教師だった主人公の40代から70代までが前作同様、13の短編からなる連作で描かれている。

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  「オリーヴ・キタリッジの生活」 エリザベス・ストラウト 2012年 早川文庫(2010年刊)

 各連作中、主人公はしばしば入れ替わり、大元の主人公オリーヴは時に脇役、端役を演じることで全体の流れの中で印象をかえって際立たせており、これは「ふたたび」に繋がる手法。
 時間軸が所々でいきなり前後したり(回想とかで)、小さな町の世界ながらたくさんの登場人物の名前が次々に飛び出してくるので(意図的な不親切っぽい作為?)油断ならない、時々読み返す必要がある、と、これも「オリーヴ・キタリッジ、ふたたび」で提示されていること。

 40代のオリーヴはまだ女盛り(大女だが)、1歳年下の夫ヘンリーは人間的にいわゆる「良い奴」で、自己主張が強く(あからさまな態度にはあまり出さないが)頑固なオリーヴとは必ずしも相思相愛(古い表現か)とはいえず、意見の衝突することはしばしば。

 もう若くはないヘンリーが娘ほどの年齢のアルバイト女性に対してかなり思いつめた恋情に駆られたり(むろん成就することはない)、オリーヴもひょっとした隙間に若い男に好感を抱いたり(70代になっても)、と、お元気というよりは、人間が年齢に関わりなく内蔵する感情・意志をさり気なく表現している。著者の人間性によるものなのだろう。

 中年から現役を退いた老年期、夫は脳卒中で倒れ、介護施設で他界し、溺愛する一人息子は鼻っ柱の強い嫁と離婚し、「多産系」女性と再婚し、自分から離れてゆく(子離れができないのは一種哀れ)。

 この間、教え子の自殺企図、街の顔役の愛人(若くない)とそのかつての恋人の苦い再会、老境に近い男女の不倫・離婚への幻想、若い娘の摂食障害と持病の心臓病での急逝などなどが、綾織物のように入り組みながら語られる。

 ―― オリーヴは目を閉じて、土壌や、出てくる植物のことを考えた。すると学校の隣のサッカー場を思い出した。教師をしていた日々のこと。・・・・・・・ ああいう秋の日の空気には美しいものがあった。また汗をかいて脚を泥だらけにした若い身体にも、思い切りヘディングしようとして突っ込む元気な姿にも、美しさがあった。ゴールが決まったときの歓声も、がくっと膝をついたキーパーも、また美しかった。・・・・・・・ そういえば、と思い出す日々がある。まだ人生の盛りだった中年の夫婦として、ヘンリーと手をつないで帰っていった。ああいう瞬間には、静かな幸福を味わうという知恵が働いただろうか。おそらく、わかっていなかった。たいていの人間は、人生の途中では、いま生きているということがわからない。だが、いまのオリーヴには、何かしら健康な、純粋な、記憶として残っているものがある。あんなサッカー場の瞬間が、オリーヴの人生にあった最も純粋なものかもしれない。そのほかに純粋とは言いがたい記憶も多々あるということだ。・・・・・・・・・・

 だれしもが老いて、あるいは老いずとも、いずれこの世を去る。良い悪いではなく、どうにも思うに任せぬままの生きかたで存在する、せざるをえない。どの登場人物にも儚さ、やるせなさといった風情が漂う。

 最終場面で互いに連れ合いを亡くした老人同士が川端で出合う。

 ―― いま青い目がオリーヴを見ていた。弱々しく、また誘うような、不安げな目、と思いながらオリーヴは静かに腰をおろし、手のひらをジャックの棟にあてた。心臓の鼓動がわかる。いずれは止まるのだろう。どんな心臓も、いつかは止まる。だが、きょうはまだ“いつか”ではない。日当たりのよし静かな部屋というだけ。・・・・・・・ 若い人にはわからない。・・・ この男に添い寝して、その手がオリーヴの肩に、腕に乗っていて ・・・ そう、若い人にはわからないだろうが、くたびれた年寄りになっても、引き締まった若い肉体と同じように、求めたいものはある。いつだって恋愛を無駄にしてはいけない。・・・・・・・・

 かれらのさりげない挙措や装い、背景をなす美しい自然の移ろいを描きながら、そんな人間に対する作者の目は暖かい。

 ―― オリーヴの目は閉じていた。疲れた全身に、これでいいのだという感謝が ―― また、これでいいのかという気持ちも ―― 波になって寄せていた。・・・・・・・・ よくわからない。この世界は何なのだ。まだオリーヴは世を去ろうとは思わない。 ――

 ふたりは寄り添いながら「オリーヴ・キタリッジ、ふたたび」へと晩年の旅を続ける。

 2作の連作集は本作から「ふたたび」へ、各短編順番通りに読み進むべきものだ。



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