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2021/07/11

壺中天

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 ゆうべぼくは女の腹の中にいた。
 吸い込まれたのか。いや、それは最初だけだ。そうだ、なんとなくこの女に飲まれてしまうって予感があったのはあのレストランでだった。 
 確かにあの晩、ぼくは彼女のひと息で吸い込まれ、飲み込まれてしまった。

 きのうに限ったことではない。このごろは自分から入り込む。

 こんな掘立小屋の中にレストランがあるなどとは外見からして到底思えないのだが、ぼくが入ってゆくと女はちょっとだけ妖艶にしなを作ると、たちまちスレンダーな体を古びた壺に変える。

 そのおちょぼ口から、ぼくはすーっと入り込む。

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 初めてのとき、ぼくをひと息に飲み込んでしまったような女だけれど、入り込んでみると腹の中は、黒くはない。黒いどころか、明るく目映いばかりの金銀に輝いているのだ。
      
 この小さな空間で、ぼくは胎児のように膝を抱えて座る。

 座り心地はすこぶるいい、というより、何ものにも触れずに座っている、腹の中にふんわりと無重力状態で浮かんでいるって感じだ。
 そしてなんの感触もないはずなのに、体中に妖しい刺激が緩やかな波動として伝わってくる。

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 周りには幾重もの襞があり、滴が垂れているので手で掬ってみると、なんと、酒じゃないか。
 ひとたび口にすると、喉元に喩えようもない味覚。
 酒ばかりではない。
 襞の間からはぼくが食べたいと思う料理が次から次へと出てくる(食欲を見抜かれている ! )。
 どれもみな、この世ならぬとしか言えぬ味わいだ。

 やがて、全身が  ――  心臓も、脳も  ――  酔いと浮遊感にひたひた浸り、ゆらゆら、ゆらゆら、搖れては揺らぎ、搖らいでは搖れ、・・・・・  気がつくと何やら聞えているのは、あれは、・・・・・  ああ、・・・・・  潮騒だ。

 寄せては返し、返しては寄せ、 ・・・・・ (一定のリズム) ・・・・・  穏やかで、やさしく、・・・・・  そう、子守歌。ぼくが羊水の中で聞いたメロディーだ。なんという快さ、なんと和らいだ心地。

 酒精が全身に滲みわたり、脳髄が恍惚を自覚し、瞬時、腹(壺)の外の世界が網膜に映ずる。
 ぼくが、壺の中と、外を、まったく同時に、蝶のように飛び跳ねている。
 夢を見ているのだろうか。

 ぼくは女に問いかける。
「君はぼくのマザーなのかい?」
「いいえ、わたしはまだ、あなたのマザーではありません。わたしはまだ、生まれていませんもの ・・・・・ 」
生まれていない、だって?
「そう、あなたのファザーだって、まだ生まれていませんもの ・・・・・  」
 父も、母も、まだこの世に生まれていないのに、・・・・・  じゃあ、ぼくは  ・・・・・・・・ ?

 金銀にまばゆく輝く女の腹の中を浮遊しながら、ぼくは同じく、腹の外を飛び跳ね、ゆらゆら、ゆらゆら、揺れている。

 両親が未だ生まれる前のぼくの時間、壺の中と外、夢ともうつつとも見わけのつかない空間、そのあたりを、ぼくは漂っているらしい。

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