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2021年5月の記事

2021/05/31

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白昼――

 木々の梢が無秩序に揺らぐ
 はるか上方を巨大な雲の塊りが過ぎてゆく

 一瞬とてやまぬ挙動こそ長大無限な時間軸の表象 ・・・

 いや、かれらが己の意志で動くことは決して、ない
 すべてはお主のなせる業

 お主の姿は見えぬ
 確かめるのは かれらの所作を捉えるわたしの視覚
 あるいはわたしの触覚

 さやさや さやさや さや さ さっ !

 微々たる葉擦れが乱雑なる音響 轟々たる爆音に膨張し
 忽然
 青雲は闇に歿した


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夜――

 わたしは小屋の暗黒にじっと身を潜める
 お主は激烈な咆哮の獣となって襲いかかる
 窓ガラスを破り
 迫る 飛び掛かる
   叫喚!

 わたしの右足に食らいつく ・・・
 そんなはずはない! これは夢なのだ! 醒めねばならぬ!

 夢のなかの明晰なる夢見 ・・・
   ・・・ わたしは覚醒する

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払暁――

 さやさやさや さやさやさや

 お主はそうやって太古の昔 地球の創始から ずっと ずっと 大宇宙を吹き渡っているのだ

 森羅万象悉有佛性!

 わたしは自己憐憫にまみれ わたしだけの壺中天で嘆息する

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2021/05/29

粘菌と曼荼羅

 多様な植物(菌類)としての形態(多細胞性の子実体)を呈しながら生活環の中で単細胞でアメーバのように運動して微生物を捕食する時期がある。植物とも動物ともつかない原始的な生物、原生生物、「粘菌」は動物の生態と植物の生態が相互転換をくりかえす。

 その生物の原子には先祖の記憶が内蔵・蓄積され、進化とともに多様な子孫へ受け継がれてゆく。
 かくして「個体発生は系統発生をくりかえし」、生と死も相互転換をやめない。

 生きものに限らない。鉱物、植物、動物、人間社会、宇宙の運行・・・森羅万象、あらゆるものの生と死が相互に関係しあい、転換し合っている(当然ながらここで植物動物の区別はなくなり、有機物無機物の差異も男性性女性性の差異も無と化す)。

 こうして万物の根源たる粘菌は無限に分岐(進化)の道をたどり、その多様性が呈する生体は絢爛たる曼荼羅模様に喩えることができる ・・・・・・・・・・ 魅力的な発想、思想だ。

 南方熊楠は野の人でありながら、独学で生物学・博物学をおさめ(渡英中、大英博物館にも職を得ていた)、後年、昭和天皇に粘菌を主とする生物学の進講したことで知られる。
 その学問は生物学の域をはるかに超え、民俗学、人類学、生態学など広汎に及び、帰国後生涯を過ごした那智山中での研究・思索は曼荼羅世界への止揚に至った。


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       「熊楠、生命と霊性」安藤礼二 2020年河出書房刊

 本書は熊楠のくり広げた膨大な学問・思想体系を宗教的側面から考究したともいえよう。

 著者は熊楠の粘菌・曼荼羅という世界観を鈴木大拙の禅世界と対比させる。密と禅。

 この両巨人の交流は熊楠が在英、大拙が在米中に開催された万国宗教会議を端緒とするという(コロンブスの大陸発見400年を記念して1893年に開催されたシカゴ万博に合わせて宗教会議は開かれた)。
 この会議には日本から若き碩学たちが各宗派、すなわち臨済宗、真言宗、天台宗、浄土真宗から参加した。
 臨済宗の代表は大拙の恩師となり、真言宗の代表は熊楠の生涯の師となった(このあたりが近代日本哲学の起源となりそうである)。

 その後大拙は「日本的霊性」に著わしたように、禅における「現実の認識における様々な対立項(精神と物質とか主観と客観、無限と有限など)をひとつに止揚させる」作用を霊性として捉えた。

 一方熊楠は、動物と植物の生態をくりかえす「粘菌」(ミクロな存在)に曼荼羅という伝統的な宗教概念が内蔵され、曼荼羅(大宇宙・マクロな存在)の中心にある「大日」に「心」の源泉(法身=如来蔵)があると考えた。

 霊性と曼荼羅。密と禅は生命の起源を共有していると著者は述べる。

 熊楠のあとには柳田国男、折口信夫といった民俗学の系譜が連なり、大拙のあとには西田幾多郎らの哲学の系譜が連なる。

 粘菌の有する多様性が、両性具有、同性愛(男色)にも通じる、と著者は論を展開させる。
 人間が無意識にも持つLGBTへの共感を示唆しているようだ。が、そうはっきりと表現しない。もっと正面から主張してもいいと思う。

 もうひとつ読みにくいのは、繰り返しの叙述が多く(繰り返すが、と著者も述べているが)、方向性も定まらないようで(多様性を強調するためなのかどうかわからぬが)、内容があちこちへ飛躍し(とぼくには思える)、なかなかついて行くのに苦労した。ぼくのような洞察力にすぐれない読者には、難解である。

 生命の起源、宇宙の創始について何か述べられているものはないか、そんな期待がちょっとあって読んだのだが、この領域には触れられていない。


 

 

2021/05/28

地下の雪国

 地下鉄の窓ガラスに女の姿が映つてゐる

   雪国に行つたときに見た記憶がある

 でもこの女は 白いマスクをしてゐる

   そのマスクが ツンと 上を向く


 おや その向かうにも 白いマスクたちが 項垂れて ・・・

   雪原の たをやかな うねり ―――

 ぼくは駒子の白くやはらかな乳房の感触を 指先に思ひ出す


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2021/05/27

月蝕

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 地球がいたずらをする
 月は怒る  

 でもね、陰影の濃淡をT氏はこよなく愛したんだよ
 違い棚や床の間 軒ひさしが生みだす翳も
 はかなげな女体の皮膚のうねりに寄り添うかげりも
 同じように愛撫した・・・

 不埒な悪党どもは濃密な闇に巧妙に身を隠す
 薄笑いを浮かべながら禁断のフルーツを頬張って 堕ちない
 蛇は愛想笑いするばかり

 神さまの蒔く種はときどき不公平だ

 星雲は無限の彼方へ遠ざかり
 時間の移ろいは一刹那の百億分の一にも満たない

 月の心情をぼくは須弥海の底で夢に見る

 

2021/05/26

オリンピック、まだやる気か?!

 紙面を思い出し、走りながら腹が立って仕方なかった。

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 正気の沙汰と思えぬ。アスリートにとって一生に一度という、発想だか信念だか分からぬが、そんなことを主張する人物がJOCのトップにいる。国民の命は二の次でいいのか。馬鹿も休み休みにしてほしい。

 世の中おかしくなってる。
 政治家はどいつもこいつも、初めに開催ありき、で無能な指導者の掛け声のもと、突っ走ってる。それも次の政局に右顧左眄しながらのみっともなさ。

 ホントに学習できない輩どもだ。
 去年3月、入国制限をかけるのに躊躇した結果、どうなったのか、国内感染をコントロールできた国々がどれだけ厳しく「鎖国」体制を敷いたのか、・・・・・・・

 現在の感染状況を「屁のようなもの」といって辞任した経済プロフェッショナルの内閣参与の品格の低さ。任命責任をだれもとらぬ。

 マスコミも信用できぬ。
 アメリカの複数の有力紙が開催に異を唱えているのに、しかも日本国民の過半数は開催に反対という声を自らの調査結果で得ているのに、社説で態度をはっきりさせない。
 いずれの形にしろ、開催されたらされたでそれを報道するわけだから(ときに感動を呼ぶような論調をたぶん交えながら)、下手に旗幟鮮明にしたくないのだろう、とこれも下心が見え見え。

 IOCの「ぼったくり」姿勢も腹立たしさの対象としては同列にある。日本もなめられたものだ。情けない。国難に際して我が国の主権を主張すべきじゃないか。

 アメリカでは日本への渡航中止勧告を出し、国連の事務総長はコロナのパンデミックを戦時状態と述べた。

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 こんな状況で開催されたとして、そしてもしも感染がとんでもなく拡大し、もしかして医療が崩壊して大勢の死亡者が出たり、とそんな結末に至ったとしたら、参加した日本選手たちは後悔しないだろうか?
 あんなに悲惨な状況の可能性が喧伝されていたのに自分たちは反対の声も上げず、「アスリートとしてできること」として精一杯競技したんだ  ・・・・・・ それはその通りだろう。選手を攻撃しないでください。それもそうかもしれない。

 でも、やっぱり、ちょっと違うんじゃないか。
 世界中が戦時状態にあるんだ。リスクコントロールは人類全体が関わるべき、これは判り切ったことだと思うのだが。

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 この記事を書いたあと、本日付けの朝刊で朝日新聞が社説で「五輪中止」を主張したというニュースを見ました。
 全国紙で初めてのようです。

 

2021/05/21

乗り換え駅のホーム

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 見知らぬ駅。
  何百年も居眠りして乗り過ごし、カンパネラの降りた駅まで来てしまったのだろうか。
   いや、同じ駅だ。
    飴のように伸びきった車両の後方のドアから乗ったのだった。

 間違えた?  ・・・・・・ でも、なぜ間違えたんだ?
  いつも乗っているはず、なのに。

   たしかにぼくは過ちをおかした―――
    千年前この駅でぼくを裏切った女の心情を、ぼくは瞬時に理解する。
      思い出す。その千年前、僕は女を裏切っていた!

 階段をぼくは登ってゆく。
 地上へ続く曲がりくねった長い消化管。

 ホームで飲み込まれ、咀嚼され、胃液にまみれ、体中の水分と汚濁を吸い取られ、それでも悔恨はウンザリするほど長い暗黒の帯となって僕のあとにくっついてくる。

 空腸、回腸、結腸、直腸、そして出口 Aから  ・・・・・・
  ぼくが見るのは間違いなく、膨らみ続ける無限大の宇宙。

    無限小の糞塊!


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2021/05/20

玉乗り

 おおきなボールの上でぼくは両足を素早く前後に動かす
     タッタッタッタ
  足の下でコロコロと回る地球

 雲と見わけのつかぬ霧雨が顔面に衝突してくる
    プツプツプツプツ


 ぼくは前傾姿勢でやつらを両断する

  海よ割れよ!

 霧雨と見わけのつかぬ雲が道を開けて両側に切り立った壁をなす

 行く手に約束もなしに現れた ――― 南無不動明王

 お前とは違うぞ、俺様が乗っているのは邪鬼だ!

 ぼくの鼓動が地球に伝わる
    ドンドンドンドン、ドキドキドキドキ


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2021/05/18

ワクチン接種後ジョギング再開

 ワクチン接種後はおとなしくしていた、というより何とはなしに気だるさや疲労感があり、体を動かす気持ちになれなかったが、4日後の今日、走ってみた。

 朝から小雨もよいだったが、午後は上がっていた。
 湿度が高いせいなのか、運動不足のためなのか、なかなかペースが上がらない。
 すぐ息が切れそうになるので無理せず、所々歩いた。9キロを1時間半近くかかった。

 エンゼルスの大谷選手もワクチン接種後体調がなかなか戻らず、それが今シーズン出だしの頃の不調だったとか。
 彼と比較すべくもないが、あれだけのアスリートすら副反応に困ったというのだから、この老体の走力に困難が生じるのはむべなるかな、か。

 もっとも若い人たちの方が副反応は強く出ると言われている。それだけ免疫反応が強く出るってことらしい。
 それにもう一つ、ワクチンの接種量が欧米と同一なのもどうかという意見もある。もっと少ない量がいいのではないかと。

 そういえば2回目の接種間隔をもっとあけた方が抗体量は多くなるって報告が今日あった。
 イギリスではより多くの人にまず接種するために3週間後ではなく、「やむを得ず」12週間後に行ったところ、中和抗体の量は3週間後接種に比較して3.5倍も多かったと。

 とにかくこの感染症はまだまだ分からないことが多い。緊急事態宣言の効果も未だ明らかではない。

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2021/05/17

2回目のワクチン接種

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 先週金曜日に2回目のワクチン接種を受けた。
 連日メディアのどこかで副反応の記事が出ている。接種数日後に死亡したとか、これまでに30数名が亡くなったとか、これだけを見るとひどく不安になる。内容はほとんどがワクチンとの因果関係は不明と、極めて不親切というか無責任である。
 とは言えやはり、射つ前は不安になる。

 当日。今回も午後の外来終了後(というより終了前から催促あり。予約者はすべてこの時間までに接種終了、ぼくが最後だった)。
 経過は以下の通り。

・注射;前回は非常に呆気なかったが今回は少し痛かった(インフルエンザに比べれば弱い)。
・当日夜;前回は就床間近になってちょっと注射部位が痛みだしたのでアセトアミノフェンを服用したが、今回はあまり痛みが強くなる予感がなかったので、鎮痛剤は服用せず就眠。明け方近くに尿意とともに発汗あり、痛みもやや増強していたのでカロナール500mgを服用。熱発していたかもしれない。
・翌日;痛みは減弱(再度の鎮痛剤服用は不要)、発熱もなし。軽い頭痛が少々。
・翌々日;痛みはほぼ消失、眠気あり(前回同様)、頭痛消失。

 勤務する4つの医療機関では少しずつ接種が進んでいる(まだ遅々としてはいるが)。
 受けた人たちの感想を聞くと人様々だ。
 注射部位の痛みは多くが「腕が上がらないくらい」という。消失まで3、4日ほどか。発熱は翌日(朝からの人も、24時間後に突然の人も)でほぼ収まる。倦怠感の頻度が結構髙く、2、3日続くことが多いようだ。
 ぼくの場合、何とはなしの眠気、疲労感、頭痛が2、3日。1回目と2回目であまり差はない。
 接種の2回を比べてみると、2回目が強く出ることが多いとされているが、そうでもないようで、1回目の方が辛かったという声も聞く。
 ほぼ全員がどこかのタイミングで解熱鎮痛剤を服用。

 飲酒については控えるように言われているが、ぼくはほぼいつも通りに飲んだ。2回とも週末金曜日ということもあったし。
 で、翌日の頭痛だとか倦怠感というのも二日酔いとの区別はつきにくい。まあ、医療従事者として褒められることではない。

 全体としては接種後3日くらいでほぼ回復しているが、若い人たちの方が強く出るという傾向は言われている通りのようだ。重大なケースは出ていない(大学病院では数千人規模中、数名が入院したという話が伝わるが詳細は不明)。

 以上は自分を含め、まわりの数10人についての結果であるが、接種しないリスクと比べれば接種した方がはるかにいい、怖がることはない、という感触だ。
  (あくまで個人の感想です)

 我が国の接種状況は全くお寒いが、アメリカやイギリスの例を見ると、ふた月後にはかなり進むのではないかという気がしないでもない(淡い期待か)。
 外来でも患者さんの多くが現状に悲憤慷慨される。
 もう少しの辛抱、とにかく今は若い人たちに近づかないよう気を附けましょう、と話す。

 

2021/05/13

銀河宇宙と 三千世界・曼荼羅と

 宇宙の構造についてちょっと調べてみた。
 太陽の直径は140万㎞、地球を含む太陽系の直径は148億㎞、太陽系を含む銀河系は太陽を含めて2000億個の恒星が集まったもので直径が10万光年。
 数百から数千の銀河は銀河団なるグループを形成しこの直径は数千万光年。
 銀河団がさらに集まって直径1億から数億光年の大きさのグループ、超銀河団、銀河群をなし、今や多宇宙ビジョンなる概念が提唱されているという。・・・想像のかなたである。検索した画像を次から次へあまり見ていると気分がおかしくなってくるので途中でやめた。

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 佛教の世界観に三千大千世界なるものがある。

 直径840万kmの海の真ん中に須弥山(標高56万km)があり、海に浮かぶ4つの島(四大洲)のひとつ(贍部洲・直径1.4万km、髙さ10500km)に我々は棲息する。
 須弥山の周りを月や太陽が巡り、四天王や帝釈天・梵天などが護る神の世界がある。
 須弥山のさらに上に5層の世界があり、そのてっぺんが有頂天。
 海の下には金輪・水輪・風輪の3層(高さ190億km)ある。

 以上をすべてひっくるめて一世界とし、一世界が千個集まったものを小千世界、小千世界が千個集まったものを中千世界、中千世界が千個集まったものを大千世界(三千大千世界、略して三千世界ともいう)という。
 三千大千世界は無数にあり、その中心に存在する佛さまが大毘廬舍那如来。

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 ・・・・・・・・ 古代インドに発祥した仏教思想であり、かの民族の膨大な演算可能感覚を連想させるものだ。
 佛教の世界観を現代の宇宙ビジョンと対比させると、いずれにしても無限に近いもの同士の比較となる。

 むろんお釈迦様はこのような世界のありようを説きはしなかった。ただただ色即是空、空即是色と残したのみだ。

 大毘廬舍那如来は華厳経において中心的な存在として扱われる尊格だが、密教においては大日如来と同一視される。
 密教の曼荼羅の世界観では、生命あるものも無いものも時空も区別されず、一切は大日如來の遍き光の中に包含されていると説かれる。

 すなわち、すべては垂直方向に伸びる過去から未来への時間軸の中に統一されており、一方で即身成佛の境地を体得したものにとって、周囲に存在するすべての世界は大日如来と一体化した密厳国土。
 これすなわち同次元の水平構造の中に一切が並立することを意味するのでは ―― しからば、アインシュタインの虚数軸にも繋がる、とは言えまいか?
 否、答のない問いには向かい合っても詮無い。

 しかし、それにしても日々地上の惨憺たるさま、もっと宇宙的にものを見られぬのか、 ―― といったところで、これにも反応は期待できぬ。嗚呼、歎息あるのみ乎。

 

 

2021/05/10

ビッグバン以前の宇宙と 初めてのパスタと

 ゴールデンウイークの間も感染の勢いが止められない。
 感染症を歴史に学ぼうと書いた
 天然痘、ペスト、マラリア、スペイン風邪などなど、数々の疫病と戦ってきた。膨大な人口が失われたが、結局人類は今に至るまで生き残ってこられた。
 この厄災、1年を過ぎてもなお昏迷を続けているが、いつかは収束、終息するのだろうと、だれもが思っている。
 たしかに、人類の歴史、地球の歴史、宇宙の歴史から見たら、ほんの一瞬の現象に過ぎないのだろう。
 いや、我々が「今」直面している悲惨な状況は決して他人事のように高みから俯瞰してやり過ごせるものではない。

 いったい、これからぼくたち人類はどこへゆくのか?

「世界のすべては進化の過程にある」という。人類は「超進化」し、「超人間」となる。向かう先の見通し、救済の可能性についての道筋は語られた

 いったいどこから来たのか?
 ・・・・・・・ 宇宙は膨張を続けていることが明らかにされた ・・・・・・・ ならばと、それを逆に遡ると、膨張を起す前、ずっとずっと前は宇宙(の元というべきか?)はごく小さくて、原子よりもはるかに小さいということがわかった ・・・・・・・ それが137億年前に、1の何10乗分の1秒、つまり1億分の1億分の1億分のそのまた1億分の(とにかく限りなく短い)1億分の1秒という短時間で3ミリほどの大きさに急激に膨張して(インフレーションといわれる)、そこからあっという間に(?)、1億倍の1億倍の1億倍の(途方もない)大きさになり、 ・・・・・・ さらに大爆発のビッグバンにより現在のような宇宙になり、 ・・・・・・・ その過程で「もの」がくっつきあったり、離れたりして宇宙が生れ、それから色々と進化が起きて、137億年後の今に至っている ・・・・・・・・。

 で、だ。ビッグバンの起こる前の宇宙はなかったのか?
  ・・・・・・・ あった。ある「1点」がインフレーションという大膨張をおこして、 ・・・・・・ ・その「ある1点」はどうして生まれたんだ? ・・・・・・ 虚数という時間軸があって、ここでは時間と空間、過去・現在・未来の区別がつかない。それがある瞬間、実数の時間軸に変わり、 ・・・・・・つまり無から有が生れた ・・・・・・・・?

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 こういった思考、論議に活躍するのは専ら物理学者、数学者で、この人たちの説明を聞いてもぼくのアタマにはすんなり入ってこない(受験の時は理科系だったけど)。

 ぼくの疑問は、「ある1点」はどうして生まれたのか? 生まれたのちに始まった進化の過程は「なぜ」進み、「なぜ」、淘汰が行われたか?
 ・・・・・・・ しかし、まあ、現時点では要するに、まだ未解決な部分も多い、ということらしい。
 科学で解明がなされるまではすべては神の御業だった。それが科学の発達で、神でしかなしえないといわれていた諸々の領域、聖域がどんどん狭められてきた。天動説から地動説への転換、リンゴが地上に落ちる理由の発見、さらに相対性理論だの不確定性原理だの、量子宇宙論だの、神の介在しない宇宙のありよう、その追求は今なお行われ続けているということだ。

 しかし、その極限まで突き詰めたところのさらにその先は?  ・・・・・・ いや、これは我々の思考の及ぶところのものではないということなのだろう、今更だけれど。2500年前に孔子様は仰った。未だ生を知らず、焉んぞ死を知る。

 こんなことばかり考えながらゴールデンウイークを過ごしたわけではない。

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 オムライスに再度挑戦、・・・かなり完成の域に近づいた。
 前回の自己採点は60点と言った。今回は80点。味はかなりイケてる。ふわっと感が出るとさらに良し。それとあとは手際良さが改善されれば満点だ。

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 第2弾は初めてのパスタ。
 ベーコンと野菜入り、塩・ニンニク風味。自己採点60点。
 パスタの茹で具合は良かったが、先に炒めた野菜類とのからめ具合が行き過ぎて、焼きそば風になってしまった、舌触りが悪く減点大。
 次回、リベンジ。・・・しかし、火を恐れなくなった、火をうまく利用できるようになった。・・・人類の進化と共通しますな。

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 シンガポールにいる孫①②はふたりとも5月が誕生月。リモートでお祝いした。

 現状ではまだかの地を訪問できない。それどころか、日本の感染状況が悪化したため、ランクを下げられ、シンガポールへの入国はできなくなってしまった。
 アメリカ、イギリスはワクチンの効果が如実に現れている。
 昨年1月以来の諸々の政策の誤り、やはり我が国におけるコロナ禍は人災だと思わざるを得ない。

「宇宙になぜ我々が存在するのか」村山 斉 著(2013年講談社刊)
「ビッグバン以前の宇宙」和田 純夫 著 (1991年岩波書店刊)






2021/05/05

「サピエンスの未来」立花 隆 : 世界のすべては進化の過程にある

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 コロナ禍、五輪開催云々・・・俗世のやる瀨ない愚かしさの日々も、人間の、人類の、地球の、宇宙の、長大な時間の前にはほぼ無にも等しい。そんな風に考えれば、波立つ心中、少しは鎮められるか、どうか。

 人間はどこから来て何処へ行くのか。・・・・・・・・・・「哲学と宗教」の観点から人間の由来から現在までが総合的に解釈され、また科学的な見地から人類、宇宙の歴史と未来が「宇宙誌」として語られた。
 これらすべてをひっくるめて、人間というものを「進化の過程」で見直すのはどうだろう。

 この作業に多大な功績を残したのは、19世紀後半から20世紀中頃に生きた古生物学者でありイエズス会司祭であったフランス人、テイヤール・ド・シャルダン。
「サピエンスの未来」の作者は、かれの主著をもとにその思想を読み解く。

 シャルダンは、「進化史の中での人間を位置づけ未来を考察すると、この宇宙全体は進化の過程にある」と結論した(キリスト教徒にとって人間の誕生を科学的に説明することは危険だ。人間の誕生は神の御業だから。事実、彼の主張はその死後数十年経ってようやく世間の日の目を見た)。

 生物の進化を考えるとき、時間を遡ると(ヒトから猿人、爬虫類、両生類、魚類・・・)生命の誕生に留まらず、――物質も進化してそこから生命が生れたわけだから――地球の誕生、宇宙の誕生、さらにビッグバンにまで行きつく(生物の誕生、無機物の誕生、無機質を構成する原子、粒子・・・と無限の小に向かって)。

 (ただ、「物質も進化してそこから生命が生れた」といったところで、無機質が進化して色んな化学反応が次々に起こり、その臨界点から生命の誕生に向かってなんらかの「ジャンプ」が起こったと考えざるを得ない。)

 そして行く末、未来はどうなのか。
 宇宙がどんどん膨張し、太陽の死は物理学的には約束されたものであり、地球にも死は訪れる(その過程で当然、生物は死滅する)、らしい。その先も宇宙は膨張を続けるとすればそれは無限の大へ向かっている。
 宇宙の過去・未来、ふたつの無限の間に存在する人間はどっちを向いても絶望するしかない。

 しかし、ふたつの無限に加えて、もうひとつの無限軸「無限の複雑さ」を持つ系を考えてみたらどうだろう。時間軸(過去~未来)、質量軸(電子~生物~地球~宇宙)にまたがる複雑軸。

 物質が「複雑性」のある臨界点を突破したとき生命が誕生し、「物質圏」の上に「生命圏」が拡がった。
 生命が複雑性を増し、ある臨界点を突破したときヒトが誕生し、「精神圏」(思惟能力を持った人間集団の意識全体、人類全体の共同思考)が生れ、「精神圏」は「生命圏」の上に拡がっている。
 この過程はひと続きだから、物質と精神(肉体と魂)という二元論は誤まり、ということになる。

 人類はホモサピエンスの段階に到達することによって有機体としての最上空に達し、あとはその髙さを維持して飛ぶだけ・・・ではない、現在が進化の終点ではない。人間そのものが今なお形成されつつある、進化の途上にあるのだ。無限の中にある人間を思えばそれは明らかなこと。

 そしてこれから、 ・・・・・・ 共同体の内部にある求心力が増強し、新たな現象、「超進化」が飛び出してくる。人類は超進化により「超人間」になろうとしている(それはニーチェのいう超人とは異なる)。
 個としての人間存在をはなれたもので、個体が進化しなくとも、社会という新しい存在様式を通して人類の進化は可能なのだ。

 シャルダンはさらに語る。

 宇宙は至高の統一体に向かって無限に合一してゆく方向にある。その中に在って人間も、高度に一体化しながら、至高の統一体との合一をめざす方向に進んでいる。

 精神圏にあって人間社会は高次の結合体になってゆく。共通の中心に向かう求心的な運動を共有する人間同士は、ある意味で、神を共有するのと同じこと(人類の集合的無意識、ということか)。

 全宇宙、全世界が進化しつつあるのだから、神の側も進化し続けなければならない。
 進化は神の創造のひとつの形なのだ。

 パウロの言葉を借りれば、充溢(神と世界からなる有機的は複合体)においては神は単独に留まるのではなく、神はその全体が一切の中にある。

 しかしどうなの? 現実はそう簡単ではないぞ。憎悪と混乱、分断に溢れているじゃないか。
 いや、にもかかわらず、新しい型の人間が世界のあちこちに現れているのだ。

 すでにシャルダンの生きた18世紀か19世紀ころから、「ホモ・プログレッシヴス」として出現している(と、ふたつの世界大戦を経験したシャルダンは述べる)。
 人類社会に、知的・社会的大動揺が起こり、それに加速されるかたちで人類(精神圏)の分裂が進んでいるけれども、「ホモ・プログレッシヴス」は世界のあちこち、あなたやぼくの精神の一部にも存在しているのかもしれない。

 「伝説の東大講義」のサブタイトルがあるように、もともと1996年の夏に行われた講義にその後、手が加えられ「新潮」に57回にわたって連載された、その一部が本書。20年以上経った2021年2月に刊行されたわけだが、解説者の序言にあるように、宇宙の長大な時の流れに比べれば大した遅れではない。

2021/05/04

山小屋補修 恨みの雨

 先月の山開きで出窓からの雨漏りが発覚しており、補修に出掛けた。

 屋根裏にスズメバチの巣が出来たり、出窓の壁から何者かの大量のフン(?)が落ちていたり、外に停めた車に乗った猿たちがこちらの窓に向かって威嚇を仕掛けたり、20年余りの間にポツンと一軒家にはいろいろと「事件」が起こってきたものだ。

 事前に近所の塗装屋さんに状況を相談すると用具1式揃えてレクチャーに来てくれ、言われた通りの手順で、とにかくもやってみた。
 雨漏り箇所と思われる壁の傷んだ隙間に発泡スチロールなどを埋め込み、その上から、鉄砲のような装置に嵌め込んだコーキング剤のボトルからコーキング剤を塗ってゆく。 ・・・・・・・ と、工程はこれだけなのだが、そう簡単にはゆかない。

 粘稠度の高い練り歯磨きのような修復剤がまわりにはみ出したり(予め周辺を養生しておき刷毛で拭い取るはずだったが高所でできず)、うまく欠損部を埋められなかったり(ゴム手袋の指先で塗りたくる)、揚句、修復すべき部分のまわりには修復剤が醜く乱雑な文様を描いた。

 脚立の最上段まで昇り足場に意識を集中しながら(高所恐怖症!)、ようやく塗り込め終えたころから雨が降り出したではないか。
 何たる無情の雨!
 急ぎ、余った発泡スチロールで被えるかぎり被い、一応作業終了。

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 濡れそぼった身体を虚しく湯に沈めれば、窓の外にホーホケキョ。
 声はすれども姿は見えず。

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         うぐひすの声際立たせ午後の雨

 石油ストーブで暖をとり、鍋と酒で己を慰め、今朝、起きてみれば雨漏りの跡。
 現場検証すると修復箇所はまだ乾いておらず(ここから滲み込んだのか、あるいはほかに漏出部位があるのか)、そそくさと退去。
 先日来たそば屋さんに寄って昼食。
 また修復し直しだ。ヤレヤレ。

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          アクリルに歪む五月の山模様




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