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2021/01/22

秋篠寺の思い出

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 「日本彫刻美術」・・・50年程前、ぼくが奈良へ通い始めた頃買い求めた本で、奈良国立博物館の向かいにあった永野鹿鳴荘という写真屋さんを兼ねた書店(日吉館の並びにあり、現在はカフェ)から刊行されたもので刊行年は記載がない。定価200円とだけある。
 86ページの中に日本の仏像が飛鳥から江戸に至るまで、写真とともに解説され、各時代の特徴を知るのに非常に役にたった。
 仏像を前にしてはその制作年代を推測し、当たると喜んだ、そんな他愛のない時代があった。仏像は観るものではない、拝むものだ、とは重々認識してはいたのだけれど。

 で、一番好きな仏像は? となるとこれは何といっても秋篠寺の伎藝天だ。
 本堂を入ると左手にライトを浴びて立ちおわす。須弥壇上だから、下から見上げることになる。
 お顔をわずかに傾げ、右手を胸の前に掲げ、中指と薬指が親指近くまで軽く曲げられ、腰をややくねらせ、わずかに開いた両足は今しも、つっと踏み出すかのよう。
 表情は微笑しているようにも見えるし、思惟の内に沈潜しておわすようにも見える。
 眺める方向、ライトの当たり具合によっても変わるし、左右へ歩むとそれにつれても表情は変化する、なによりこちらの心の持ちようによっても変容を遂げる。頬に涕を流しているかに見えたこともある、これはまさに当方の内部の表象でもあったか、たぶん。
 肉感、腰のくねりから愛おしい佳人(むろん想像上の理想的ミューズ)へ想いを膨らませることもときにあった、これもこちら側此岸の妄念には違いない。

   さまざまに思ひいだきておろがむも御佛ゑみて語らざりけり

   うつし世に命うけたるこのゑにし佛の前に涕ながるる

       Akisinoji_gigeiten

 50年余りのむかし、大和路の初旅でこの寺を訪れたのは歳の瀬で、土間からの寒気と震えるような感動に身の引き締まる思いで凝然と佇んだのを憶えている。
 本堂前の庭に小さな休憩所があって、夏休みにお詣りした折りなど、そこにからだを横たえて休息し(不遜!)、また本堂に出向き、と何時間もこのお寺で過ごしたものだった。

 この佛さま、お顔(頭部)は天平時代の脱活乾漆造で、首から下は鎌倉時代の木造による補作とされるが、全く違和感がない。
 本堂は鎌倉時代の再建とされるが、こちらも天平様式を思わせる。
 正面の扉の所々は長年、風雨に曝され痛々しくもある。
 これからも補修に補修を重ねてゆくのだろうけれど、数百年、あるいは千年の年月が過ぎたあと、木造の佛さまはどのようなお姿でおわすのか、微笑みはなお残されているのだろうか。拈華微笑? ・・・ぼくには想像すらできない。

   破れ戸の御堂に立てる伎藝天ゑみをかしげて何思ふらむ

   面かしげゑみておはせる伎藝天ちとせののちもかくあらめやも

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   ほの暗き御堂にをはす御佛の指先過ぐる初夏の風
 
 

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