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2021/01/23

秋篠寺の思い出 続き

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 秋篠寺は7世紀終わりごろ光仁天皇の勅願により創建されたとされる。光仁天皇の後、皇位を引き継いだ桓武天皇が七堂伽藍を整備した、ということは、都が平城京から平安京へ遷る頃のことだが、その前に長岡京に短期間遷都があった(桓武さんは気紛れだった?)。
 最澄、空海がそれまでの旧仏教(南都六宗と呼ばれる、宗教というよりは教学)から唐の最新仏教(インドから伝わった天台、真言)の導入を試み始めた時期に当たる。
 密教の影響はまだ齎されてはおらず、従って美術史的には天平時代の影響下に諸佛が造立されたわけだが、創建当時からの原型をそのまま残すものはなく、わずかに、伎藝天、梵天、帝釋天の頭部だけが当時の名残りを留めているようである。
 堂塔伽藍も現存するのは講堂跡に再建された本堂、それに秘佛大元帥明王を安置する大元堂ともに鎌倉時代のものだ。
 美術史的価値を云々するのは不毛だ。本堂に戻ろう。

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 素晴らしいのは伎藝天ばかりではない。
 本尊薬師如来は厳しい表情、見開いた眼など貞観佛の特徴を備え(実際は室町期の作らしい、とまたも美術史的分析)、須弥壇のすぐ下から手の届くほどの距離に拝することができる。素木仕上げなので、木肌の文様、傷み具合などが詳細に観察(ではない、拝観!)することができる。

    近づきてをろがみ見ればみほとけは木肌あらはにいにしへの笑み

 (をろがむ=拝む)
 須弥壇中央の薬師如来、脇侍の日光・月光菩薩、その両脇に梵天、帝釈天が鎮座するが、十二神将が左右に6体ずつ、薬師三尊を守護するが如くに立ち並び、こちらはいかにも鎌倉時代の作らしい(また分析!)写実味を横溢させている。

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 秋篠寺は近鉄西大寺駅から1キロほど離れた場に位置する。奈良での宿泊は市内だから、ホテルへ戻るときは西大寺駅まで歩くことになる(バスもあるが時間の制約がある)。
 寺の南門を出て(バスが着く東門が通常の出入り口になっているがお寺は南門が正門)、畑中の小径(歴史の道という案内表示がある)を辿る。

 秋艸道人の歌碑、「あきしの の みてら を いでて かへりみる いこまがたけ に ひ は おちむ と す」が境内にある。

 駅までの帰路、畑中の道を歩くときは右手の方角に生駒山はある。現在は住宅が立ち並び、容易にかの山を見通すことはできない。
 どこか、夕暮れを目にすることのできる場所はないものかと、探ったことがある。
 南門を出てすぐに右折し、しばらく行くと秋篠窯という陶器を作る工房があり、そのさらに先まで行くと僅かな空き地から遙か彼方、ほんの少しだけ生駒の山なみ(の一部)が望めたことがあった。今はどうか判らない。
 懐旧の情ばかりが脳裡をよぎる。去年(こぞ)の雪いずこ、・・・いやいや、感傷に耽ってはいけない、今日は一日雨、今夜あたり本当に雪になるらしいが。


       Aiduyaiti  
 

 

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