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2021年1月の記事

2021/01/31

ウエストサイド物語

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 年末年始にテレビの特集で放映していた番組の録画を昨夜ようやく見た。
 「ウエストサイド物語」
 1961年アメリカで制作されたミュージカル映画で、翌年から日本では大ブームとなった。
 どれくらいの興行収入があったのか知らないが、リピーターが全国に跋扈し、おれは何回観た、わたしは何回観ました、何十回観たよなんて人もいて、とにかく日本中が沸いたのを憶えている。
 当時中学1年生であったぼくは母の友人の娘さん、大学生のお姉さんからチケットを貰って見にいった。

 マンハッタンの貧民街に住むポーランド系アメリカ人とプエルトリコからの移民、ふたつのグループの縄張り争いを、「ロメオとジュリエット」を原型としてミュージカル仕立てにしたもの。
 不良少年グループの対立という筋書きなのだが、リチャード・ベイマー、ナタリー・ウッド、ジョージ・チャキリス、ラス・タンブリンといったキャストはみな20代の、60年代風の美男美女で、皆さん揃ってスタイルが抜群。
 プエルトリコ人グループのリーダーの妹と、アメリカ人グループのリーダの親友(グループのOB)が恋に落ち、ストーリーは「ロメオとジュリエット」の筋書きをなぞらえて進行する。
 初めて目にする踊りのカッコよさ、ぼくたちは真似して、両手を広げ、片足を跳ね上げる所作を練習したものだった。ジョージ・チャキリスの履いていたバスケットシューズも凄い勢いで流行ったという印象がある。

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(図工の時間に与えられたステンドグラス作成の課題。モチーフにぼくはこれを取り入れた。思えば浮薄といえば浮薄ではあったな)。

 ポーランド系アメリカ人グループは低所得階級で家庭環境に恵まれず、真っ当な大人になれない。プエルトリコからの移民グループは、アメリカに夢を託してやってきたが果たせず鬱屈している(ただ登場人物たちがどのように日々の糧を得ていたのか、経済的事情については具体的に描かれてはいない、これはどうでもいいのかもしれないけれど)。
 双方が抱える問題が次々にユーモアをも交えた歌と踊りでテンポよく表現されてゆく(レナード・バーンスタインによる名曲の数々、とくに「Tonight」はくり返し聞いて今も大体憶えている)。

 貧困、暴力、人種差別といった問題がすでに60年代に語られている。中学生だった当時のぼくにはそんな諸事情、背景を読み取ることはできなかったが、半世紀以上前からアメリカ社会の今に連なる病根が描かれていたことに今更ながら驚く。
 当時はジョン・ケネディが大統領になった頃で、ベトナム戦争介入や人種差別に対する暴動が起きており、日本では高度成長時代で東京オリンピック開催に向けて国中が沸いていた。

 私事で甚だ恐縮だが、ぼくは翌年、中学2年のとき同級生に初恋をした。別段この映画に刺激されて、ではない。
 手紙の遣り取りをしたり、教室で目配せをしあったり、程度の今思えばウブもウブ、可愛いものだった。以後のこと、詳細は色々と込み入ってくるので省くが、1年程で幕、でした。

 いつもジョギングすると彼女の家の前を通る(なんせ中学の同級生だから、家も近いわけで、今更未練がましくその前を走っているわけではありません)。
 苗字がそのまま残っており、そこの人の出入りに遭遇したことはない。今は当然苗字は変わっているだろう、現在住んでおられるのは弟さん一家だろう、と勝手に推察している。

 転倒して膝に打撲を受けながらも、昨日レントゲン検査を受けたら骨に異常はなかったので、今日も走った。
 ぼくは余程の方向音痴で、何度も通った道筋のはずなのに目指す地点に素直にたどり着けない。
 しかし良くしたもので、途中、色々な初めての出会いがある。
 お寺も神社も道端の石仏だの、この都会にも大小様々な形で残っているのを目にする。
 いつかジョギングで33カ所巡りでもしようかと思って、この間、遭遇する神様佛様たちの数を数えながら走ったら10数えるのに2時間余りもかかったので、決行する気持ちに至らない。

 今月は合計283キロ走った。生涯で最長の月間走行記録である。
 最後の週に怪我があったのでペースが落ちたけれど、あれがなければ300キロの大記録になった、さあ、来月は、・・・ではない。膝の痛みが完全に取れるまでは当面休息しよう。

         痛む膝庇ひつ駆けて睦月逝く 

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2021/01/30

異界からの光?

       
 夜走っていると、昼間明るいときには目に入らなかったものに気づくことがある。
 あるいは既知のものから全く違った印象を受けたりもする。

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 夕べは驚倒した。
 裏通りを走っていて角を曲がるといきなり巨大な満月が飛び込んで来る、これは空海が荒修行中に四国の洞窟で体験したような異界との交感なのか、・・・などとはつゆ思わず、ぼくが連想したのはかぐや姫。
 ああ、あの月の光に乗ってこちらへ麗人が降臨するのか・・・ 

   満月をさして駆け行くこの身には袖濡らして待つ姫もなし

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 ・・・違うだろう? 何を勘違いしてんのや! 
    煩悩具足。慾は尽きない・・・? ・・・えっ? これって色慾? ・・・まさか。

 

 

2021/01/29

空海と曼荼羅

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 今夜も密、・・・密教。
「空海の風景」は3回読んだが、3回とも読後感が違う。当たり前かもしれない、それだけ齢を重ねているわけだし。
 空海が日本で開花させた密教は、釈迦の教えた仏教とは一線を画すものであると、今更ながら、認識を新たにした。そのように書かれてあり、そのようにかつて読んだはずなのに。
 まあ、いずれ読むたびに新鮮に感じるというのは、記憶を上書き保存する能力が低いせいかもしれないが、不幸なことではないと自分では思っている。日々新たなり、と。

 さて、曼荼羅の絵図は空海によって唐から初めて請来された。
 京都神護寺の高雄曼荼羅に代表されるように金剛界・胎蔵界ふたつに描かれ、修行堂の東西の壁面に掛けられる。
 空海がめざした悟りへの道は即身成佛、生きたまま佛に成ること。
 希求すべき真理の姿は目で見ること能わず、言葉で伝えることも叶わない。そこで成佛への道程を図式や画像に曼荼羅絵としてシンボル化し、五感すべてを駆使してこれに対峙、同化させることで修行者を涅槃の境地に至らしめようとした。
 堂の東面に掛けられる胎蔵曼荼羅絵図は理(=物質的世界観)を意味し、十二の区画(世界)で構成される。西面には九つの区画からなる智(=精神的な世界観)を意味する金剛界曼荼羅絵図が掛けられる。
 彩り華やかな各区画にはそれぞれの世界を支配する佛が配置され、各々分担する役割が示されている。
 身口意、三密の行、すなわち結跏趺坐し、佛の身体的表象である印相を結び、佛の言語的表現である眞言を口に唱えながら、意識は佛の境地を観想しつつ各区画を順次巡る。

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 このように通常は絵画として平面に表現される曼荼羅世界が、京都東寺の講堂においては、21体の佛像によって立体空間として具現されている。
 開祖空海の独創と伝えられ、須弥壇中央に本尊大日如来が鎮座し、檀上は三つの領域に区分されている。
 中央に本尊を含む如来が五体(五智如来)、右に菩薩が五体(五菩薩)、左に明王が五体(五大明王)安置され、五体部の各々は中央に坐す佛尊とこれを四方から囲繞する四佛たちからなり、さらに天部として四天王が須弥壇の四隅、東西南北を守護し、梵天・帝釈天が左右に列座する。
 この空間に身を置き佛たちをより身近なものに体感することで宇宙真理の体得へ導く、それが意図だったのだろう。
 何度訪ねたことか。
 冷気身に沁む寒中であれ、汗に油照る盛夏であれ、薄明の御堂にはつねに峻厳たる空気が充満していた。
 わが身は俗世に棲息するもの、むろん経行(きんひん)であるはずもないのだけれど、真似事の叉手当胸、両手を胸に当て深々と呼吸しながら須弥壇の前を土を踏みしめ逍遥すると、視界に映りゆく佛たちは刻々微妙に姿態を変化させ、あたかもじぶんが宇宙空間を浮遊するが如き錯覚すら催してくる。立体曼荼羅の立体たる所以だ。

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 空海が請来した曼荼羅は絵図として以後様々な形で全国に広まり、また立体曼荼羅として東寺に具象化したが、高野山に創建した金剛峰寺は伽藍全体で曼荼羅を表現するというから、規模はけた違いに大きい(もっとも完成したのは空海入定から50年以上の後だが)。

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2021/01/28

薬師如来にすがろう

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 オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ・・・薬師如来の真言である。

 密教が中国で受け入れられたのはその思想性(究極の目的である即身成仏)ではなく、現実的な呪力(病を治すとか雨を降らせるとか)であった。
 例えば空海が師事し密の奥義を授けられた恵果のそのまた師匠である善無畏(インド僧、真言密教第6祖)は、ときの皇帝玄宗から、日照り続きなので雨を降らせてくれと要請され、そんなことをしたら大変なことになる、と断ったにもかかわらず強制されたため、やむを得ず「密の秘法」を行うと、竜が現れ、天がにわかにかきくもり、電光とともに大雨が降り、長安の街が洪水被害を受け、玄宗は卒倒したという。
 どこまでが真実か、眉唾といってしまえばそうなのかもしれないが、近似現象は我が国でもくり返し惹起されていたのだろうと思う。

 今週、ジョギング中に転倒して、膝を強打したと書いた。
 その後、案ずるような症状の悪化は見られなかったので昨日、恐る恐る走ってみた。走るなんてものではない、速足に毛が生えた程度のスピードで30分ほど。
 まずまず問題なく今日を迎えたが、やはり階段を降りるのに痛みを感じる。左膝のお皿の1点を圧すると痛む。
 で、走るのは今日は控えよう、無理しない、と思いつつ帰路につくと、なんと雪だ。
 これも天の思し召し、無理せず休息せよということならむ、と解した(自己弁護かな、やっぱり)。

 きのうは害毒消滅の秘法は「孔雀明王法」と記したが、病気・怪我ならやはり薬師如来さまがトップではないか、ということでこの佛様を観想しながら、薬師如来の真言を唱えれば負傷はたちどころに癒え、オリンピックに選考されるほどのアスリートに変身・・・なんてこと起きるわけないだろうに、不心得ものが!
 でも、まあ、・・・オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ・・・

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2021/01/27

「眠れないほどおもしろい密教の謎」と「空海の風景」・続き

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 聖徳太子の飛鳥時代に中国、朝鮮を経て伝来した仏教経典は、奈良時代には南都六宗(三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・華厳宗・律宗)と呼ばれる教学の場で国教としての地位を確立していたが、それらは民衆救済のための宗教というよりは、学術的色合い(論)のほうが濃く、単純にいえば(中国的な)教養であり、研究して知識を得ました、だからどうなんだ? となると即答に窮する、実践(即効的利益をもたらすための)としては呪術的祈祷の域を出ていない。

 最澄も空海もこれが不満だった。学んで、それからどうすればいいのか?

 最澄は南都六宗すべてを否定するのではなく、華厳経が説く宇宙真理の絶対存在としての仏陀(釈迦如来)=華厳信仰と、これから止揚された(と彼はたぶん考えた)法華経の「空観」に真の宗教性を希求し、その奥義を天台に求め、入唐後、直ちに天台山を目差した。

 空海はこれに対して天台すら顕教に過ぎないと断じる。
 宇宙の真実や生命の深秘の仕組みを知るだけでなく、知った上で人間は何をすべきかという宗教性を明らかにしなければ意味がないと。
 その即効的手段を求めて空海は「密」の世界に踏み込む。
 きっかけは、ある僧から教えられた「秘法」、すなわち、「ある真言を、ある場所へ行き、一定の時間内に百万遍唱えることで意識下の何かが覚醒し膨大な経文を暗誦できるようになる」、といういわば記憶術。
 これでもって空海は四国山中、苦行を重ね、秘蹟を体験する。
 すでに古代においてインド伝来の様々な「秘術」は仏教とは別経路でチベット、中国を経て日本に断片的に伝わってはいた。
「空海の風景」の作者は、空海が生来「強烈な呪術者的体質」を持っていたから、これに即応できたと類推する。

 空海も最澄同様、華厳経の説く、「万物は相互にその自己のなかに一切の他者を含み、摂り尽くし、無限に関係しあい、円融無碍に旋回しあっている、それは毘盧遮那仏の悟りの表現であり、一歩進めれば密教における大日如来の存在とそれによる宇宙把握になる、さらにもう一歩進め、方法を会得すれば宇宙の密なる内面から無限の利益をひきだすことが可能になる」と信じていた。
 その手法、密教の修行、その具体的方法を手にするために空海は入唐した。

 密教第七祖恵果に師事し、奥義を受け、「密」を体系化したが、これは(たぶん結果として)釈迦の本来の教えとは全く異なるもの、釈迦が否定した修法(護摩など)も含まれる。
 さらに即身成仏、すなわち「煩悩も菩薩の位であり、性欲も菩薩の位である」という「理趣経」の解釈を摂取したように、かれは「生命や煩悩をありのままに肯定したい体質の人間だった」、「小乗的な解脱を死と苦のにおいのする暗くさびしいものと感じ、生命を暢気で明るいものとして感ずる性格だった」と司馬遼太郎は推測する。性欲は人一倍あったろうにそれを観念に昇華することもできたに違いない、とも。
 加えて作者は、当時の唐は世界最大の都市であり、異民族との交流も盛況を極めており、空海は国家や民族といった狹い概念から飛び出して、グローバルな、普遍的世界に身を置くという、それまでの日本人には想像だにできぬ極めて稀少にして貴重な体験をし得たとも指摘する。
 
 密教の修行は人間の五感すべてを使って行うもの。
 逆に言うと、修行によって五感のすべてが変容してしまう可能性があるということでもある。
 それだけ密教の力が強大なので、生半可な人間には授けられない、密と呼ばれる所以。

 基本的な修行として三密がある。
 ・口で真言(佛の言葉)を唱える(口密)
 ・手で秘密の印(佛の所作)を結ぶ(身密)
 ・心に本尊(佛の姿、曼荼羅絵に描かれる)を思い描くこと(意密)
 この組み合わせで修行を行うことにより佛そのものに「同調」(同化)を迫る。

 修行により超能力が獲得される、その例を日本史の中で「密教の謎」の著者は挙げる
 ・聖徳太子は「四天王の呪力」で物部氏を討伐した。
 ・「毘沙門天の霊力を移封した剣」で坂上田村麻呂は東北を制圧した。
 ・平将門の乱は「真言宗最大の秘法」で鎮圧された(?)
 ・菅原道真の怨霊に「水天の真言」でわたり合った天台僧
 ・源頼朝が帰依した荒法師・文覚上人の法力
 ・南朝の王権と三種の神器を守った密教の力
 ・永遠のライバル上杉謙信と武田信玄のすさまじい「呪法合戦」
 ・「第六天魔王の力」で天下に君臨した織田信長 etc

 真言で有名なのは光明真言で、オールマイティなご利益がもたらされるという。曰く、
 「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」

 東大寺の大仏の建立の理由のひとつに天然痘退散祈願もあったと。
 さて、そのご利益はどれほどであったのか?

 コロナ禍の今、害毒消滅の秘法は「孔雀明王法」だそうである。
 孔雀明王の印を結び「オン・マユラ・キランテイ・ソワカ」

 非常事態宣言は出されたが、未だ収束の方向性は定かではない。
 ・・・オン・マユラ・キランテイ・ソワカ・・・・・・オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン・・・

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2021/01/26

「眠れないほどおもしろい密教の謎」と「空海の風景」

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 昨日の今日、どうなることかと案じたが、左膝の痛みは大分楽になった。朝は階段を降りるのにちょっと気を使ったが。

 さて、秋篠寺、唐招提寺と古寺回想を書き連ねたが、宗教上、その背景の時代と主な登場人物の流れを見ると、
・741年:聖武天皇、全国に国分寺・国分尼寺建立を命ず。
・745年:聖武天皇、東大寺大仏建立発願。
・752年:東大寺大仏開眼。
・753年:鑑真来日。仏教徒になるための戒律を授ける制度確立のため
 (留学僧栄叡らの招請に応じて743年から6回の失敗を重ねた末。井上靖「天平の甍」に詳しい)
・754年:鑑真が本邦初の授戒。
 (聖武太上天皇・光明皇太后・孝謙天皇らに菩薩戒、沙弥・僧に具足戒。於;東大寺大仏殿前)
・759年、鑑真、唐招提寺の地を与えられこれより建立開始。
・776年から780年の間ころに光仁天皇の勅願により秋篠寺創建(詳細不明)。
・781年:桓武天皇即位
・784年:長岡京遷都
・794年:平安京遷都
・804年:最澄・空海、遣唐船で唐へ渡る
・805年:最澄帰朝
・806年:最澄、天台宗を開宗
・805年:空海、密教第七祖恵果に師事し、奥義を受ける。
 (第一祖は大日如来、第三祖から実在。空海は第八祖)
・806年:空海帰朝

 聖武天皇が東大寺の大仏建立に執念を燃やしたのは疫病天然痘の終息祈願のためとされるが、律令体制下の当時、佛教は鎮護国家のためのいわば国教となっていた。
 平城京を中心に南都六宗と呼ばれるもので、宗派というよりは仏教の教理を学ぶ学術集団のようなものだった。
 桓武天皇は中国風の専制君主であろうとし、既成の南都仏教に批判的、最澄が目指した謂わば新仏教である天台教学を庇護した。
 最澄、空海は同じ年に唐へ渡るが、先着した最澄は留学先を(結果的には)誤まる。
 空海は密教の後継者としての指名を滞在わずか2年で受けて帰国、その後真言宗を高野山に開き、その法灯は今に続く。

 改めて密教なるものが、日本史の背骨を貫いていることが、本書を読むとわかる。
 そして「空海の風景」を三読、空海の神がかり的(というのは妙な表現だけれど)天才性というものをあらためて認識する。

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2021/01/25

好事魔多し?

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 こういう諺に該当するのかどうか。
 故障しないように心がけようなんて言ってた矢先、走っていて転倒してしまった。
 信号待ちで割に広い舗道を行ったり来たりし、青に変わったので急いで渡ろうとした途端、地面に足が絡んで、あっと言う間もなく前方へのめり込む、両手のひらと両膝にほぼ同時に衝撃、続いて疼痛。
 地面に這いつくばった視線の先に女性二人の姿(薄暗くて年齢不詳)。大丈夫ですかと声を掛けられたら恥ずかしいという思いと、気遣って声を掛けてほしいというかすかな願望が、やはりほぼ同時に脳裏を掠める。
 結果的にはすぐに起きあがってジョギングを再開したから、彼女らとぼくの間に何らかの交信が実現する時間も生じなかったわけである。

 走っていて転んだ記憶は4回(実際はもっとあるかもしれない)。
 皇居で1回(ちょっとした段差)、帰宅ラン中に1回(道路を横切ろうとして少し盛り上がった中央分離帯のブロック)、帰宅後に1回(地下鉄出入り口付近の段差)、いずれもトレーニング中だが、パリマラソン(石畳のコース)でも転倒した。

 ぼくのフォームの欠点で、スピードがゆったりしてくると摺り足状態に近くなる。腿を上げなければならないのに、水平移動に近くなり(路面と足底の間が短くなり)、結果、路上との摩擦を生じやすくなり、ちょっとした凹凸で躓く。

 もっと年をとったら、転倒は大腿骨頸部骨折に繋がり易くなる。ご高齢の患者さんには転ばないように気を付けてね、なんて言っときながら、なんて医者だ。

 今日は穏やかに晴れ上がって気分よく走れそうだ、とこれがいけなかったのか、のろい速度で駆けるときは意識して足を上下動させねばならなかった。好事魔多し、とは言え、これくらいの傷で済んだのは幸運じゃないか、とちょっぴりショックの我と我が身を慰める。
 ジョギング再開の直後は痛みで早歩きほどの速度だったが、それから約1キロ、なんとか走って帰ってこられた。
 浴槽に膝を立てて座ると、ちょうど湯から突き出た両膝のお皿が赤く擦り剝けている。
 擦過傷と打撲で、骨に重大な損傷はないと思うけれど、3階へ上がるのに結構痛む。明日起きてみれば重症度がはっきりすることだろう。

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2021/01/24

伽藍なら唐招提寺

 連日回想の古寺巡り、今日は唐招提寺。
 一番お気に入りの佛像は秋篠寺の伎藝天と述べたが、伽藍なら何といっても唐招提寺。
 帝の命を受けた遣唐使の懇願により、日本に佛教の戒律を伝えるため、苦難の船旅の末来朝した鑑眞が晩年を過ごした寺である。

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 南大門を入ると真正面に、天平の甍も高く鴟尾を戴いて寄棟造の金堂が鎮座し、背後には入母屋造の講堂、金堂と講堂間の東西には小さな二階建ての鼓楼と鐘楼が、講堂の東には細長い東室と礼堂、さらに校倉造の経蔵、宝蔵などが配置されて建つ。
 伽藍には天平と鎌倉、ふたつの時代様式が保存されている。
 金堂の吹き放しとなった正面には八本の、エンタシス様式と呼ばれ、その原型は古代ギリシャ神殿に遡るとされる太く円い柱が屋根を支えて並び建つ。

   
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   おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそ おもへ
 
 大寺の丸い柱が落とす月影を踏みながら思索を重ねて歩みゆく。
 秋艸道人会津八一の一首、境内でどれほどくりかえし口ずさんできたことだろう。

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 この伽藍の魅力は何といっても建物の配置の妙だ。
 寺域をあてどもなく逍遥すると、網膜の上を過ぎる御堂は時々刻々、佇まいを変え、互いに前後に重なり合うさまは微妙に移ろいゆく。それは建物の大小、奥行きや配置具合といったものがもたらす遠近法の精妙さ、華麗な巧みの技とでも言うべきか。

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 そして並べられた棟、軒、庇、塀や樹木、苔むす庭、玉砂利といった伽藍のひとつひとつに当然ながら陰翳が寄り添っているさまは、陰陽が織りなす小宇宙である。

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 ここは歩きながら視界を動的に楽しむお寺だ。亀井勝一郎は「大和古寺風物誌」の中で「伽藍の交響楽」と表現したが、言い得て実に妙である。

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2021/01/23

秋篠寺の思い出 続き

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 秋篠寺は7世紀終わりごろ光仁天皇の勅願により創建されたとされる。光仁天皇の後、皇位を引き継いだ桓武天皇が七堂伽藍を整備した、ということは、都が平城京から平安京へ遷る頃のことだが、その前に長岡京に短期間遷都があった(桓武さんは気紛れだった?)。
 最澄、空海がそれまでの旧仏教(南都六宗と呼ばれる、宗教というよりは教学)から唐の最新仏教(インドから伝わった天台、真言)の導入を試み始めた時期に当たる。
 密教の影響はまだ齎されてはおらず、従って美術史的には天平時代の影響下に諸佛が造立されたわけだが、創建当時からの原型をそのまま残すものはなく、わずかに、伎藝天、梵天、帝釋天の頭部だけが当時の名残りを留めているようである。
 堂塔伽藍も現存するのは講堂跡に再建された本堂、それに秘佛大元帥明王を安置する大元堂ともに鎌倉時代のものだ。
 美術史的価値を云々するのは不毛だ。本堂に戻ろう。

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 素晴らしいのは伎藝天ばかりではない。
 本尊薬師如来は厳しい表情、見開いた眼など貞観佛の特徴を備え(実際は室町期の作らしい、とまたも美術史的分析)、須弥壇のすぐ下から手の届くほどの距離に拝することができる。素木仕上げなので、木肌の文様、傷み具合などが詳細に観察(ではない、拝観!)することができる。

    近づきてをろがみ見ればみほとけは木肌あらはにいにしへの笑み

 (をろがむ=拝む)
 須弥壇中央の薬師如来、脇侍の日光・月光菩薩、その両脇に梵天、帝釈天が鎮座するが、十二神将が左右に6体ずつ、薬師三尊を守護するが如くに立ち並び、こちらはいかにも鎌倉時代の作らしい(また分析!)写実味を横溢させている。

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 秋篠寺は近鉄西大寺駅から1キロほど離れた場に位置する。奈良での宿泊は市内だから、ホテルへ戻るときは西大寺駅まで歩くことになる(バスもあるが時間の制約がある)。
 寺の南門を出て(バスが着く東門が通常の出入り口になっているがお寺は南門が正門)、畑中の小径(歴史の道という案内表示がある)を辿る。

 秋艸道人の歌碑、「あきしの の みてら を いでて かへりみる いこまがたけ に ひ は おちむ と す」が境内にある。

 駅までの帰路、畑中の道を歩くときは右手の方角に生駒山はある。現在は住宅が立ち並び、容易にかの山を見通すことはできない。
 どこか、夕暮れを目にすることのできる場所はないものかと、探ったことがある。
 南門を出てすぐに右折し、しばらく行くと秋篠窯という陶器を作る工房があり、そのさらに先まで行くと僅かな空き地から遙か彼方、ほんの少しだけ生駒の山なみ(の一部)が望めたことがあった。今はどうか判らない。
 懐旧の情ばかりが脳裡をよぎる。去年(こぞ)の雪いずこ、・・・いやいや、感傷に耽ってはいけない、今日は一日雨、今夜あたり本当に雪になるらしいが。


       Aiduyaiti  
 

 

2021/01/22

秋篠寺の思い出

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 「日本彫刻美術」・・・50年程前、ぼくが奈良へ通い始めた頃買い求めた本で、奈良国立博物館の向かいにあった永野鹿鳴荘という写真屋さんを兼ねた書店(日吉館の並びにあり、現在はカフェ)から刊行されたもので刊行年は記載がない。定価200円とだけある。
 86ページの中に日本の仏像が飛鳥から江戸に至るまで、写真とともに解説され、各時代の特徴を知るのに非常に役にたった。
 仏像を前にしてはその制作年代を推測し、当たると喜んだ、そんな他愛のない時代があった。仏像は観るものではない、拝むものだ、とは重々認識してはいたのだけれど。

 で、一番好きな仏像は? となるとこれは何といっても秋篠寺の伎藝天だ。
 本堂を入ると左手にライトを浴びて立ちおわす。須弥壇上だから、下から見上げることになる。
 お顔をわずかに傾げ、右手を胸の前に掲げ、中指と薬指が親指近くまで軽く曲げられ、腰をややくねらせ、わずかに開いた両足は今しも、つっと踏み出すかのよう。
 表情は微笑しているようにも見えるし、思惟の内に沈潜しておわすようにも見える。
 眺める方向、ライトの当たり具合によっても変わるし、左右へ歩むとそれにつれても表情は変化する、なによりこちらの心の持ちようによっても変容を遂げる。頬に涕を流しているかに見えたこともある、これはまさに当方の内部の表象でもあったか、たぶん。
 肉感、腰のくねりから愛おしい佳人(むろん想像上の理想的ミューズ)へ想いを膨らませることもときにあった、これもこちら側此岸の妄念には違いない。

   さまざまに思ひいだきておろがむも御佛ゑみて語らざりけり

   うつし世に命うけたるこのゑにし佛の前に涕ながるる

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 50年余りのむかし、大和路の初旅でこの寺を訪れたのは歳の瀬で、土間からの寒気と震えるような感動に身の引き締まる思いで凝然と佇んだのを憶えている。
 本堂前の庭に小さな休憩所があって、夏休みにお詣りした折りなど、そこにからだを横たえて休息し(不遜!)、また本堂に出向き、と何時間もこのお寺で過ごしたものだった。

 この佛さま、お顔(頭部)は天平時代の脱活乾漆造で、首から下は鎌倉時代の木造による補作とされるが、全く違和感がない。
 本堂は鎌倉時代の再建とされるが、こちらも天平様式を思わせる。
 正面の扉の所々は長年、風雨に曝され痛々しくもある。
 これからも補修に補修を重ねてゆくのだろうけれど、数百年、あるいは千年の年月が過ぎたあと、木造の佛さまはどのようなお姿でおわすのか、微笑みはなお残されているのだろうか。拈華微笑? ・・・ぼくには想像すらできない。

   破れ戸の御堂に立てる伎藝天ゑみをかしげて何思ふらむ

   面かしげゑみておはせる伎藝天ちとせののちもかくあらめやも

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   ほの暗き御堂にをはす御佛の指先過ぐる初夏の風
 
 

2021/01/21

先の見通し

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 これで少しは正常化するのだろうか?
 株価は期待を込めて上ったが、この国の悲劇的な分断はコロナ禍とともに惨憺たるもの。楽観視する人は少なかろう。
 我が国だって同じこと。政治家の本性が露見し、右も左も要するにまともな政治家など皆無に思える。朝な夕な、テレビが伝えるニュースにはウンザリするばかり、ワイドショーの類も同じこと。だが、やはり見る。見てはウンザリを繰り返す。先は見通せない。

 ワクチン接種どうするか。
 同じ病院で、月に1日非常勤でやって来る同級生と偶々顔を合わせ少時雑談、この話題に至り、「俺は受けるわ、こわいけどな」と。同じ年で(ともに2浪ってこと)、普段は自分のクリニックを開いている。さてどうしようか、考えあぐねる。

 コロナ禍で走ることが非常に増えた。
 要因①娘一家がシンガポールへ転居し孫ふたりの相手をすることがなくなった。
 要因②誰とも会わない、從って外で飲むことがなくなった。
 このままだと今月は生涯で最長の月間走行距離を記録しすることになりそうだ。
 走るっていっても超LSDだ。
(註;Long Slow Distanceの略。長くゆっくり走るという意味。コカイン、マリファナとは全く違います)
 無理せず、マイペース、唯我独走、故障しないように心がけよう。

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 夜走っていると、今まで気づかなかったものの新発見、少なからず。

 

2021/01/20

大寒

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 小寒から立春までの寒の内の中間点。
 1年で最も寒い時季とはいえ、きのうに比べれば風はなく穏やか。
 走る、走る。
 でも、春の日はなお遠い。
 それでも、走る、走る。
 走り、走って、自らわが身を護る。

          邪鬼祓ひ福呼ばんとて寒稽古

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2021/01/19

コロナ後遺症 & 医療総力戦

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 今日は終日川向う、お隣県の病院の外来。
 地域の基幹病院で多数のクラスター(500床のベッド数に300人余りの感染者!)が発生しており、他山の石にあらず、緊張感がそこはかとなく漂っているかというと、そうでもない。
 患者さんたちが溢れてこちらへ回ってくるどころか、感染を恐れての巣篭りで減っている。電話で再診というのもある。
 受診控えで持病の悪化がずっと懸念されてきたが、この地区でもこれからどうなるのやら。

 今年初めに紹介されて来たコロナ後遺症の呼吸不全の患者さんが、再診にみえた。
 労作で呼吸苦が出るのは変わらない、酸素なしでないと息苦しいと。
 さらに深刻なのはコロナ禍で仕事を中断せざるを得ない状況で、在宅酸素療法が導入されたため、医療費負担が苦しい、身体障害者の認定は受けられないものだろうかと。慢性呼吸不全が認定されるとその障害程度によって医療費の減免措置がある。
 1か月経ち、CTスキャン検査を受けてもらうと、かなり陰影が消退傾向にある。指先の酸素飽和度も酸素なしでもほぼ正常。これでは障害者認定は無理そう。
 で、正確なデータを取ろうと動脈血を採取して直接酸素濃度を測ることにした。

 動脈からの採血なんて何十年ぶりだろう、なんて不安を表情に浮かべてはならない。
 通常の静脈からの採血とは違って(腕をゴムバンドで駆血したりせず)、指で拍動が触れる動脈に垂直に注射針を突きさすと、血圧に押されて血液が自然に注射器の中に入り込んでくる。
 そういえば年末、オフィスビルのクリニックで検診が混雑してインフルエンザ予防接種を行う看護師さんの手が回らなくなったとき、予防注射をさせられたっけ。こちらも何十年ぶりかの手技だったが、特段、その後、受診者からのクレームはなかったというのでほっとしている。

 話を戻す。動脈血の採血は無事終了。酸素濃度は正常範囲に保たれている。
 要するに呼吸苦の原因は下肢筋力低下によるものなのだ。
 やはり初診のとき、ぼくの抱いた「希望がないわけではない」という印象は「希望バイアス」ではなかったようだ。
 何週間もほぼ寝たきりで筋力が低下、このため自重を移動させるために(結構肥満体型のお方である)困難を来していると考えられる。心不全による呼吸困難は他の検査所見から否定的。
 通院で呼吸リハビリを継続してもらうことにした。
 大丈夫、希望が持てます、酸素もいずれ不要となるかもしれませんね、と説明すると、暗い顔つきだったのが明るくぱっと輝いた(ように見えたのは自己満足というものか)。

 しかし、注射にしても動脈血採血にしても、まだやろうと思えばできるものだ。窮すれば通ずか(でも気をつけろ、変な自信を持つなよ。自分で思うのと他人が傍から見てる評価はしばしば、というより大抵異なるからな)。
 日本中で医療が逼迫している。最前線で頑張る人たちの後方支援として、我々老兵にもできることがあるのかもしれない。
 リタイアした看護師さんたちにもあちこちでお声がかかっている。医療総力戦だ。
 開業医の方々も、自宅待機中の感染者の人たちを積極的に往診して回ったらいいと思うがどうだろう。

 今日は風が吹いて無闇に寒かった。
 風に向かって走ると苦しい。不整脈が起きているのでは、と時々頸動脈に指を当ててみたが、別段異常はない。
 寒さの中を走るのはやはりきつい、ただそれだけのことではあった(でも、よくやるよなぁ)。
 走り終えても達成感はなかった。
 今日こそご褒美だ。週末ではないが、熱燗を(ちょっと)一杯(プラスアルファ)。
 
          さらに一枚厚着で走る月の下

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2021/01/18

無心に駆けることはできない

 走ることが習慣になり、走らないことが罪悪のような強迫観念に駆られて(そんなオーバーな。嘘デス)、連日走っている。
 これだけ頑張っているんだから、自分へのご褒美、一杯くらい・・・、という誘惑にうっかりすると負けそうになる、弱いわたくし。

 今日も走りながら考えた。
 昨晩走っていて「無心の心境」に至ったかのような錯覚に陥ったのを思い出し、それなら一層のこと、無念無想の境地を目差そうと、途中から「行」に入ることを試みた。

 坐禅のとき雑念を払い、無をめざすために数息観という所作がある。呼吸に合わせて数を数えるもので、息を吸いながら「ひと~」吐きながら「つ~」と数えて行く。
 1回の呼吸で「ひと~つ~」「ふた~つ~」と数え、10まで行ったらまた1から繰り返す。10回の呼吸がワンセットということ。
 セットが進むにつれて呼吸を整え、次第に呼吸数が落ちて行く。1分間に6回くらいまでは落とせるか。

 ただ、走るときそんな悠長な呼吸では追い付かない。数を数えるのもむつかしい。
 坐禅では吸気を「臍下丹田に落とすように」、つまり下腹部が膨らむように吸い込んで、腹をへこませながら吐くから、応用編としては、「すっすー、はァーはァー」と頭の中でリズムを刻みながら走ってゆけばいいわけだ。
「すっすー(で腹を膨らませ)、はァーはァー(で腹をへこます)」「すっすー、はァーはァー」

 で、やってみました。
 無心になるために、ただただ、ひたすら、「すっすー、はァーはァー」を唱え雑念を払う。
 しかし、続かない。何も考えずに走れるのは、「すっすー、はァーはァー」がせいぜい10回くらいか。
 あたりの光景が次から次へと反射的に様々のことを考えさせる。

 坐禅では目を半眼、半分つむり、その視線の先を見つめて気持ちを集中させる、だったら同じように少し視線を落し、路面を見つめながら「すっすー、はァーはァー」といけばいいんじゃないか。
 これが長く続かないのは当然の理。そんな風に視界を狹めていたら危なっかしくて仕方ない。当たり前じゃないか。

 気を取り直してまたくり返しても、雑念は沸きに沸く。
 マスク姿で立ち話するお姉さんたちを目にするや、マスク越しに品定めはするし(無意識に、デス)、抜き去ってゆくお姉さんの形のいいお尻を追いかけたり(スケベじじいが! でもストーカー行為には見られません。走っている限りは、たぶん)、要するに己の内部に潜む煩悩、慾があからさまになるばかり・・・・・・
 無心の行の試みは、単に業の掘り返しに終わった。寒いぞ、寒い。

         さらに一枚重ねて走る寒の内

 

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2021/01/17

人生はマラソン、のようなものか・・・そして117

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 夕方、寒くなりかけだったけれど今日も走った。
 心拍数が120を超えない程度のスピードが体感できるようになった。
 無理はしない。そのペースで1時間半ほど走ると10キロくらいになる。
 今年に入ってから走らなかったのは1日だけ。今年一番の寒さだった日。これは気持ちが負けてたんだなあ。
 走りながら今日も考えた。

 人生はマラソンのようなもの。まことにうまい比喩、だれが考えたのだろう。
 走歴15年余りにして、そう思う。フルマラソン67回完走の体験から言えること(あくまで個人の意見デス)。
 人生はマラソン、なんとなれば・・・
① 準備が必要。
 フルを完走するには月間200キロの練習を少なくとも1回は達成すること。
 レースにむけての体調管理。特に1週間前からの食事。いわゆるカーボローディング。
   (誰が人生100年時代の生活設計を、なんて想像したことだろう)
② レース中のペース配分。
 序盤は無理せず、周囲のランナーに流されないこと。
 それに給水、給食。携行するエネルギー食。
  (自分の弱点、リスク管理はできているか?)
③ 何より大事なのは「己を知ること」。
 苦しさとの戦い、どこまで頑張れるか。「根性論」と表裏一体。これは日常の鍛錬の経験値そのもの。
  (究極、人の世、だれにも正確なアドバイスなど受けられない)
④ そして結果は決して想定できない、ということ。
  (人生は無常)

 で、同年代の顔ぶれ、様々な生き方が浮かぶ。
 最初からペースを上げ過ぎて故障した奴。
 不慮のレース中断。
 タイムの絶頂期を過ぎたのち(かつての業績をネタに)長寿時代を延々と走らざるを得ない奴。
 かく言うわたくし・・・「可もなく不可もなし」、ってそれを言っちゃあお仕舞い、かしら。
 同級生の過半数はたぶん、「それなりに良い思い」をしたのではないか。
 2割が色々な分野で教授と名のつく役職を襲い(黄金の世代と呼ばれた?)、3割が大病院の院長になり、3割が開業して一国一城の主となり(たいてい地域医師会の幹部になっている)、・・・(以上の数字はぼくの感覚)・・・ぼくは残りの(うだつの上がらない??)グループに組み込まれる、のかな。

 そして今日は、117・・・阪神淡路大震災から26年になる。
 あのときぼくは駆けつけたかったけれど、病院ではなんの動きもなかった。
 で、バイト先の病院がカトリック系で、そのグループで医療スタッフを派遣するというのに便乗させてもらった。
 新幹線で神戸まで行き(確か神戸だと思う)、そこからバスで目的地にたどり着くまでの道筋、倒壊しかかった家々の悲惨な光景に胸が詰まったのを覚えている。
 修道院に寝泊まりし、被災した方々の言わば健康相談に対応した(すでにDMATなどが最前線でトリアージなどの医療を展開していた)。

 その後、東日本大震災のときは、家族から「年だから邪魔になるだけ、辞めとけ」と強烈な反対にあった。
 内科学会でも個人で勝手な行動は控えてください、とお達しがあった。
 震災の後遺症は西でも東でも今なお色々な形で残っている。
 義援金以外になにかぼくたちに出来ること、日々の中で考えなければならないのだろう。

 色々なことが走りながら頭をよぎる。
 そのうち、何も考えずにただ黙々と走り続けている自分に気がつく。
 ランナーズハイなんぞではない。心拍数はたぶん120以下だ。
 これって「無心の心境」、所謂「心身解脱」の境地に近づきつつあるんだろうか、なんて妄念も起こる。
  ・・・んなわけ、ねえだろう? チコちゃんに叱られるぞ。
     「ぼーっと走ってんじゃねえよ!」

 明るいニュース。
 卓球の日本選手権で石川佳純選手が大接戦の末、優勝したと。
 こういう「ベテラン」(まだ27歳だぞ)選手の活躍に夕陽のランナーは感涙を催すのであります。

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            汝(なれ)もまた堪へて立つや冬木立


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2021/01/16

あなたならどうする?

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 先日、外来看護師さんのPCR陽性になった件
 ご主人も3人の男児も陽性で、症状から二組に分かれて港区の病院に入院になった由。今のところ一家まとめて、「中等症ないし軽症」の扱いなのだろう。
 行政の方々、区をはるかに越えて東京中でやりくりの様子、涙ぐましいご健闘だ。
 先にぼくは「行政の怠慢」みたいなことを言ったけれど、この行政とは政治家とその下につく官僚たちのこと、現場、最前線では苦戦奮闘の日々なのだ。
 ご主人が喘息持ち、ご本人(看護師さん)は解熱せず消化器症状が出始めていると。夫婦ともに30代後半である。
 若い人たちに大声で言いたい。
 これは他人事ではないんだ! 君たちだって、君たちの家族だっていつどうなるか、危ないんだぞ!
 子供たちだって学校、幼稚園、保育園から即座にオフリミットになる。
 そうなったら、さあ、どうするんだ、だれがだれをケアするんだ? ちょっとは考えてもみろよ!

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 近隣の大学病院から肺炎患者の入院受け容れの要請が相次ぐ。コロナ検査は陰性。
 この大学病院ではコロナ病棟を設置中で、それに非該当の患者さんが引きも切らずに紹介、転送されて来る。
 当院(きょうは地元地域の病院勤務)では地域連携が比較的うまくいっている。機能分担がまずまずだ。
 彼ら大病院は先進医療でもってコロナ対策にあたり、我々は「中等症以下」を受けもつ。
 日頃から、当院と大学病院のトップ同士のコミュニケーションがうまく機能しているからだと思うけれど、いつまでも続くものではない。本当にギリギリのところで医療が支えられていると感じる。

 外来診療中に、きのう勤務したクリニックから電話。
「区から連絡あり、医療従事者へのワクチン接種開始にあたって希望者を募っている、閉め切りは来週火曜日、接種を希望するや否や」
 ぼくは「高齢者」かつ「医療従事者」に該当するから、接種が開始されれば最優先となる。
「〇子先生(クリニック院長)はどうなの、接種受けるの?」
 訊ねると受話器の向こうから「連絡している先生方、皆さんそう仰るんですよね」と苦笑の声。やはり副作用が心配なのだ。
 最悪のパターンとしてアナフィラキシーショック。これに対応するのはクリニックでは危うい。
 で、バイト先の病院のどこかで受けることとし、こちらはお断りした。
 まだ、効果も副作用も、詳細は不明な点、大なのだ。

 ワクチンなんかに頼るな、己れの免疫力を高めよう、ってわけで今日も走った。
 どれほどの効果があるのか、今流行りの「エビデンス」は数値で表せないけれども、とにかく走った。

   寒緩み身を鍛へんと駆けにけり

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     今日は3月並みの暖かさ、明日からまた寒くなるとか。やれやれ。

 

 

2021/01/15

1年間のツケ

 午前中、オフィスビルのクリニックでの診療中に保健所から電話あり、昨日受診された発熱患者さんの検査についての件。
 要点は3つ。
 ① PCR結果が陽性、症状から取り敢えず自宅待機、②保健所から連絡するが業務が逼迫し、少し時間がかかる、③家族が濃厚接触者なので検査を受けるように勧めてください、と。
 濃厚接触者は保険診療になる。当クリニックではコロナ対応での保険診療による濃厚接触者検査は行っていない。
 家族はどこを受診したらいいのか、それを教えて欲しいと尋ねるとしばらくお待ちを、と。折り返し、すぐに近隣の施設を教えてくれる。コロナ対応の施設が公表されていないので手間がかかる。

 ご本人に電話連絡し、上記を伝える。様子を訊くと、この1週間全く熱が下がらない、咳が出るという。
 で、咳が悪化したり、呼吸困難感が出るようなら(今のところそれはないと)、保健所に受診施設についての指示を仰いでくださいとコメントするが、話終わるまでに、すでに懸念が駆け巡る。
 先に保健所で教えてくれた施設は単に濃厚接触者の検査を行うのみで、治療は行っていない。
 受診が必要になるとすればおそらく入院の可能性が高い。
 そこへたどり着くまでに、まず、保健所に電話が繋がらない(過日ご近所の息子さんの例あり)、繋がっても保健所でも受け入れ先の確認に手間取る、そうでなくとも業務は逼迫・・・・・・
 電話を切ったあとも何となく後ろめたい気になる。
 先のぼくのバイト先の病院もコロナ陽性の救急対応は現在できる状態ではない(目下調整中、公的病院ではないがとにかく要請が急なのだ)。

 今日がコロナ上陸1年目。
 昨年春先から今冬の事態の重大さは言われていたのに、行政が怠慢だった。「準備期間」はあったのに。
 中国トップを国賓で迎えるとか、オリンピック開催云々とかで、外国人の入国制限が遅れたのが手始めと考えると、現状は単に厄介な疫病ではあるにせよ、人災と思えてしまう。
 しかし、かく言うぼくにしたって春頃は、インフルエンザ並みかも、などと高を括っていたし、それに「専門家」の皆さんのいうこともいろいろと変わったし、と言い訳がましく今、これを議論してる場合ではない。
 とにかくここまで来たら非常事態宣言の対象範囲を前回同様、全国規模に拡大しないと収まらないのではないか。感染拡大予防と経済両立は有り得ない。時限立法で特措法に強制力を持たせる必要もあると思う(権力者に濫用の危険性はあるが、あくまで時限で)。

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2021/01/14

若き日の歌 ・・・ そして今は

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 一昨日の続編。整理中にもう一つ「古文書」の発見があった。
 1970年、入学したが、1年目は原則全寮制で、他学部の学生ともども4人から8人が一緒に起居。二部屋が与えられ片方は勉強部屋、もう一方は寝室。今では考えられない環境だ。
 男子ばかりで、いわゆる古き良き時代の雰囲気が幽かに残っていた。
 その寮制が何十周年かを迎えるにあたって(だと思う)、寮歌を作ろうということになった。
 文集同様、だれが言い出したのか、寮生か大学当局か、こちらも詳細の記憶は全くない。

 懸賞金が出るという。作詞、作曲にそれぞれ5000円。で、ぼくも応募した。
 10数作が集まり、学生による選考委員会らしきものがあり、そこでぼくのが選ばれた。
 1万円を手にしたわけだが、むろん仲間との飲み代となって忽ち消えた。
 以下、恥を忍んで詞を記す。題は「行雲に感ず」
 
   行雲に感ず 茫々たり前途
   落日に思う 縹渺たる我が想い
   君に勧む 更に尽せ一考
   学びて習う 楽しからずや
   いつまた聞かん 我らがこの日の息吹きを
   いつまた聞かん

   草木に感ず 飄々たり光陰
   玉露に思う 寂々たる人の日々
   君に勧む 更に尽せ一杯
   学窓去れば波濤は高し
   いつまた踏まん 我らがこの日の轍を
   いつまた踏まん

 見ての通り、旧制高校なるものがあったころの寮歌(「ああ玉杯に花うけて」とか「紅萠ゆる」などなど)のイメージを意識した内容である。
 メロディはAm(イ短調)の暗いイメージですな。出典が一応ありまして、

「行雲に感ず」・・・中国古典から(あるいは禅語として)行雲流水の行雲
「君に勧む 更に尽せ・・・」・・・王維が友に贈った惜別の歌
       渭城の朝雨 軽塵を浥す
       客舎青青 柳色新たなり
       君に勧む更に尽くせ 一杯の酒
       西のかた陽関を出ずれば 故人無からん
「学びて習う」・・・論語:学びて時に之を習う。亦説ばしからずや。朋有り、遠方より来る。亦楽しからずや。

 とは言え、なんともはや、気取ったもんだ。今目にすると汗顔の至り。
 それに、「落日に思う 縹渺たる我が想い」・・・この「思う」「想い」重なりを何とか回避すべきだったな。

 しかし、まあ、こういう弊衣破帽に親しむ雰囲気が当時はあったわけだ、満場一致で選ばれたということは。
 どうせすぐ忘れられ、歌われなくだろうと思っていたら、卒業を前にしてサッカー部(一応6年間所属、ほぼ控えでした)の納会があったおり、下級生たちが歌ってくれて、おお、まだ生きておったか、と感動したものだった。
 今では女子学生も増えて、女子寮なるものもできたと聞く。こんなアナクロな寮歌なんぞは消滅しているに違いない。

「学窓去れば波濤は高し」・・・どうせ卒業したら世間は厳しいぞ、なんてことを1年生の分際で悟ったような顔で詠った。

 むろん、誰にしろ、これまでいろいろあったに違いない。ぼくなんざ、周囲に波風ばかり立てて来た。
 きょうのバイト先は、その寮生活を共にした(部屋は違っていた)同級生がつい去年まで院長だった病院。

 彼の、波濤は高し・・・苦労はぼくとは桁違いである。
 だいぶ以前、研修医教育の講習会で偶然顏を合わせてから(ふたりとも同じ職位にあった)、時折、酒席をともにして来、数年前から誘われて彼の病院でバイトをさせてもらっている。

 彼は20年以上にわたって院長として地域医療に貢献し、都から災害拠点病院の指定を受けたり、大学からの研修医も毎年大勢受け入れ、病院大改築を行う、などなど多大な業績を上げてきた。
 その彼がいきなり職を解かれて院長補佐に。大学人事である。
 関連病院としての事業継続云々以前に、他の関連病院でお荷物になっている教授を送り込んできた。
 病院経営の経験は全くなく、棚ぼたで転がってきた権力の振るい方が滅茶苦茶だというのは、パートのぼくが傍で見ていても明らか。
 そこへもってきてコロナ禍だ。現場は大変である。

 連日伝えられる「医療崩壊」とは別次元での問題(裏事情)、これはたぶん他の多くの病院がそれぞれ様々な形で抱えているものだと推察する。だから余計に厄介なのだ。

 さて、この楽譜ノート、値段シールが貼ってある。1冊なんと72円である。

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2021/01/13

身近になったコロナ感染

 週2回バイトに行く病院の外来看護師さんが発熱しコロナ陽性、すでに発熱しているご主人からの感染らしい。濃厚接触者ということで外来スタッフが全員PCR検査実施したと。
 きょう午後、全員の陰性が確認された。

 ぼくの外来診療にいつも付き合ってくれる看護師さんとの会話。
「あなたがPCR陽性だったとしたらぼくも濃厚接触者になるんだろうか?」
「一応サージカルマスク、フェースシールドはしてますけど」
「15分以上続けて近距離にいることはないよ」
 ひとりの患者さんの診療時間は数分で、患者さんが入れ替わると彼女は検査説明や処方箋などの対応で診察室を出入りする。
「でも、累計では完全に15分を超えますね」

 陽性になった看護師さんは抗原検査でその場で結果が判明した。
 7歳、5歳、3歳の男児がおり、ご主人を含め病院へ検査を受けに来なければならないが、自家用車はない、公共移動手段は使えない、で、やむなく、本人が4人分の検体(唾液)採取用の容器を持って帰宅した、採取後、発熱の体を押して病院へ自転車で届けに来るという。
 地区によっては、あるいはタイミング次第では区で専門のタクシーを手配してくれることもあると聞いたが、あてにはできないのが現実のようだ。
 その保健所の指示は家族全員が自宅待機せよと。幸い今のところ軽症の部類に入るからこれでいいのかもしれないけど(ホテルは満杯だとか)、重症化したらどうするのだろう、子供たちはどうなるのだろう、よく知った人たちのことだから懸念される。
 そして我が身にも、ごく身近になって来たと感じる。

 国はようやく3月から無作為抽出の検査で国内の(無症状者の)感染状況確認を始めるという。
 いつこの話が出てくるのかと思っていたが漸く、だ。遅いけど、やらないといかんだろう。

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2021/01/12

若き日のことばたち

 先日本棚を整理していたら懷かしい印刷物が出て来た。同級生が集まって創った全129ページからなる文集である。
 50年前、ぼくは若かったと書いた。このときは部屋の本を眺めながら昔を思い出そうとしたのだったが、このような出版物をものしていたことには全く思い至らなかった。

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 ぼくたちが大学に入った1年目、誰が言いだしたものやら、クラスで文集を出そうということになった。
 仔細は全く記憶にない。編修後記を見ると、夏休み前に告知し、クラス全員に寄稿を勧奨している。費用は大学に掛け合って出してもらったと聞いたような気がする。出資した覚えはない。
 1971年1月刊行となっている。ワープロもないころの話で原稿は当然手書きだった。
 文字も所々かすれた部分はあるがなんとか読める。

 内容は問わずということだったのだろう、目次を見ると、詩歌、紀行、論説・随筆、小説・戯曲とジャンル分けがされ、各々の題を眺めるとこれはもう一大総合文芸誌の趣きである。
 こんなにゲージュツ家に溢れたクラスだったろうか?
 クラス80人のうちの約半分が寄せている。
 日々雑感の類からシュールなものまで、政治的なものから純文学風のものまで、種々雑多、読み返すと実に面白い。かなりの手練れ者もいる。

 あいつってこんなこと書いていたんだ、と今にして感心やら感動するとともに、著者の顔貌がくっきりと思い浮かぶ。
 それから後5年間、同じ授業を受けたわけだが、この文集が折々の話題になったとか、作者の人格が見直され尊敬を集めたとか、その記憶もまた全くない。
 ちなみに後年、文筆で世間に名を馳せた者もひとりとしていない。

 で、ぼくの「作品」はというと、鎌倉の鶴岡八幡宮あたりを舞台に、歴史とそれに向かい合う自分について、間違いなく小林秀雄を意識したであろう内容が綿々と書き綴られてある。それも歴史仮名遣いで。
 多少の羞恥の念に加えて、今も大して変わっておらんなぁという溜息交じりの感慨。

 旧友たちはことばを残し、それから半世紀が過ぎた。この間、数人が鬼籍に名を記した。
 書き残されたことばたちが、学生時代を、それから現在に至るまで途切れ途切れの様々な交流のときを思い出させ、そしてぼくは今、自分の立ち位置に目を落とす。
 盛年重ねて来たらず、嗚呼。

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2021/01/11

成人の日の皇居ラン

 久しぶりに皇居の周りを走った。1年以上のご無沙汰だ。
 北の丸公園の駐車場に車を停め、園内をウオーミングアップして回ると着飾った女子の集団。都内で成人式はほとんど行われていないから、おそらく同級生同士、連絡を取り合ってここで久闊を叙しているのだろう。ほぼマスク着用、密ではあれど密閉には遠い。
 一生に一度の成人式がコロナ禍で中止、とさかんにメディアで伝えられている。

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 ぼくは二十歳のとき成人式に招かれなかった。区からの招待状が届かなかったのだ。2浪中で3度目の入試を目前に控えていた。
 どうせ俺なんか2浪は招待されないんだ、なんてちょっといじけていたような気もするけれど、しかし、当時、女子のことは分からないが男子が区営の公会堂に集合して区長さんたちからお祝いのメッセージを頂くなんて習慣があったのか、記憶定かでない。
 1070年1月のことで、東大安田講堂のデモ隊占拠で入試が中止になったのはその1年前、よど号ハイジャック事件はその3月、大阪万博が始まるのも3月。高校の同級生もかなり多くが浪人していた。よって互いの遣り取りの記憶は全くない。むろんケータイなどなかったし。
 長男、次男の頃は、地元に立派な芸術劇場なるものが完成していて、ここでの式にふたりとも出席したのかどうか、これも記憶が朧であるが、長女の時は妻がいろいろと段取りをして、着付けだの記念写真だの、二次会出席のための着替えだのと、送り迎えやらなにやら使い回されたかすかな記憶がある。

 一生に一度の行事、それは確かにそうだろうけど、だからそれが中止になったからってどうなんだ、・・・なんて言っては反感を買うだけなのかもしれない。
 でもね、・・・と爺さんはつぶやく、・・・一生に一度のことがどうこうなんてのは、これから他にいくらでもあるんだよ。君たちにとって成人の門出がこんな国難ともいえる事態と正面衝突していた、これはとんでもない経験だ。ここからの出発、将来得難いものだと回顧するときがきっと来ると思うよ。

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 その爺さんは今日も走った。
 走り出して、どうしてこんなに息が上がるんだろうとよくよく(でもないけれど)考えたら、ペースがむやみに早い。要するに周りのランナーたちがペースメーカーになっている。言い方を変えれば、無意識に彼らと競っていたのだ。
 負けじ魂ではないのだが、えっ? あのフォームの人に(あるいは、あの体型の人に)置いて行かれるの?、と思ってあとを追う、追うのだけれど距離は少しずつ離されてゆく。・・・・・・こういうのを年寄りの冷や水というのだろう。
 
 でも久々に気持ち良く走れた。距離を稼ぐなら(その必要はないのだけれど)荒川べり、スピード勝負なら(いや、勝負にはそもそも初めからなってないんだよ)皇居周回コースだ。
 2周だけだったが、終わりころは寒風が身を差し始めていた。
 帰宅後、風呂で暖まり熱燗と寄せ鍋。また明日からルチーンワークだ。

       樹々の間に成人式の晴れ着映ゆ

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2021/01/10

春日野の思ひ出

 けふもジョギングした。年末から連続15日だ。
 街中の公園では親子連れが気持ちのよい日向を楽しんでゐる。

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 自粛の日々は続く。
 大和路をいつ再訪できるのか、見当もつかない。思ひ出を辿らうと思ふ。

 春日野とは若草山西麓、春日大社から東大寺、興福寺の寺域を含み、奈良市街地東部へかけてひろがる台地で、平城京の東郊にあたる。
 芝生で被はれ、春日大社の森には杉、楠、赤松、紅葉、公孫樹、欅、藤、馬酔木など多様な古木、巨木が、さながら原始林の趣きをなす。 
 浅茅が原は春日野の南面をなし、緩やかに波打つ芝が陽に映えるとき、あるひは霜に輝くとき、ひときは美しい。

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       木洩れ日の春日の森に落ち葉踏み たゆたふわれはいにしへ思ほゆ

       をじかなくあさぢがはらに露ひかり いてふ散りしき秋深みゆく

 さうして芝生に群れたり、林間に彷徨する鹿たちの佇まひは四季折々の風景のなかで訪問者の心を慰める。
 万葉集においてすでに奈良の鹿が詠まれ、当時は野生の鹿だつたらしいが、767年に春日神社が創建され、主神の建御雷命(タケミカヅチノミコト)が鹿島神宮から遷る際に白鹿に乗つてきたといふのが由来とされ、以後神鹿として尊ばれるやうになつた。

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 鹿の角は1年周期で自然に生へ変はるが、秋の発情期には鹿同士が傷つけあつたり、また人間に対しても危害を加へる恐れがあるため、この時期江戸時代から、「角切」として風物詩となつてゐる。

       雨けぶるあさぢが原に草をはむ角なき鹿のすがたわびしも

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 興福寺の五重塔の南の石段を下りると猿沢の池がある。秋艸道人が初めて奈良を訪ねたをり、「わぎもこ が きぬかけ えやなぎ みまくほり いけ を めぐりぬ かさ さしながら」と詠んだ歌碑が池畔にあるが、この水面に揺れて映る五重塔の姿も一興である。

       塔うつす池のみなもに風わたり 來し方思ふ波のふるへに

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2021/01/09

密な将棋

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 ジョギングを終わってスタートした公園に戻って来ると珍しい光景に遭遇した。
 二組が午後の暖かな陽射しを受けながら将棋を指している。仲間なのだろう、何人かが取り囲んでじっと眺めている。いや、あれこれ周りから茶々を入れているのかもしれない。 
 かなり「密」ではあるが声は聞こえて来ない。みなご高齢の御仁ばかりとお見受けした。
 かつて、といっていつの頃なのかうまく思い出せないけれど、こういう長閑な光景ってよく目にしたように思う。

 コロナ禍で鬱屈した気分をこうやって晴らしているのだろうか。
 出向いている人たちはたぶん、あまり基礎疾患だのなんだの、厄介な健康問題は抱えていないのだろうと推測する(ぼくの希望的憶測、あるいは正常性バイアス?)。

 定期的に外来通院される高齢の方々は、このコロナ禍の日々、ほとんど外出を最低限にされている。
 こうして外出されている人たちというのは先ずもって感染者ではないと思う。
 危ないのは、やはり無症状の20~50代の人(患者さん)たち。接するとどうしても身構えてしまう。
 差別、偏見というのとは違うけれど、自分の中に無意識に世代間の断裂を作っているのではないのか、と考えてしまう。むろん、業務上、やるべきことはやる、逃げはしない、でも、どこかで、そんな自分の姿を見透かされている気もする。

 秋艸道人會津八一先生が、早稲田で教鞭を執っていたころ、教え子たちに示した規範、「学規」が思い起こされる。

深くこの生を愛すべし
・顧みて己を知るべし
・學藝をもって性を養ふべし
・日々新面目あるべし

 ぼくにとっての警策だ。

「おい、その手はないぞ」
「そりゃあ、だめだわな」
「手持ちのその駒を打った方が」
「でも、やっぱりこれだと思うがな」
 茶々、合いの手を入れる声が聞えるよう。

 危うい日々はまだまだ続く。

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2021/01/08

検診要注意

 今日からオフィスタワービルにあるクリニックでの勤務開始。
 一般診療以外に検診も行っており、20人から多い時で40人くらい。
 昨年、非常事態宣言が出たあとは受診者が激減したが、今年はまだそれほどではない。
 多くは20代から50代のむろん無症状の人たちばかりである。コロナ感染者が混じっていてもおかしくないから、気を使う。

 遠隔読影の仕事を引き受けている他の検診専門施設もきのうから業務が始まり、肺がん検診のCT画像読影依頼が入り始めている。
 こちらはリモートなので感染の可能性はない。ぼくと北海道在住のドクターふたりでダブルチェックする。東京は大変です、とコメント欄に書き込むと、こちらは早朝から雪かきで参ってますと。

 毎年必ず数人の肺がんが見つかる。今年はコロナ感染者対応が優先とされ、状況も切迫しているから、がんであろうと緊急性のない患者の手術は先送りされる可能性が高い。
 要精検者をどのように専門病院へ紹介するか、クライアント施設は頭を悩ますかもしれないが、受診者(患者さん)はそれ以上に焦ることになる。

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 夕方ジョギングがてら、馴染みの店の前を通りかかったら(というより様子を見に行った)、自粛の張り紙。
 辺りの店も閑散としていた。小規模店は深刻だ。
 でも、この緩い緊急事態宣言でもって1か月でどれだけの実効性を発揮できるのか、実に心もとない。

 ロックダウン相当の措置がとられなければ、再燃するのは他の国々を見たって明らかだ、国民にお願いするだけでは追い付かない、地方行政で収まる問題でもない、政府の覚悟、決断が最重要、まともな議論に応じず閣議でとんでもない法解釈をやらかしてしまった与党がこれくらいのことできんでどうする、しかし、野党も対案が貧相で全然あてにならないし、と言っておそらく誰が舵取りをしたって困難だと思う、大切なのは民に寄り添う為政者の姿勢なのだが、・・・・・嗚呼、また溜息。

2021/01/07

分断

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 ポピュリズムでアメリカ国内は分断され、揚句、信じ難い暴動で民主主義の歴史に汚点を残す。
 日本はコロナで政治家と国民の間に分断を生じている。

 世界中が落ち着きを失い、火事場泥棒がほくそ笑みながら、侵入する。

     寒き夜に憂ひを払ひて駆けるかな

 いや、いくら駆けても払い去ることなどできませんよ。

 今日は風も強かった。各地で豪雪の被害。どうしてこう、次から次へと厄災は起こるのだろう。

             ため息を燗で飲み込み松納め

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2021/01/06

コロナ対応なんとかならないのか

 きょうは地元の病院の初出勤。
 きのうの病院同様、スタッフの皆さんと交わす新年の挨拶も、お互い、「おめでとうって感じじゃないよね」。
 果たして、年末年始中は近隣の施設でオープンしていないところも多く、発熱外来は連日大賑わいだった、PCR陽性も多い日は10件ほどあったと。
 この間、リモートでの多数の読影依頼例でぼくがコロナ疑いと診断したうち、PCR陽性の患者さんはすでに対応病院へ紹介されていたが、陰性の患者さんが3人、個室に入院中。
 病棟へ出向き、主治医からのコンサルトに応える。
 中に2回PCR陰性だが、画像からコロナを否定できない患者さんがおり、3度目の検査を勧めた。個室管理は継続すべきだというと、担当看護師さん「駄目ですかあ」と歎息。現場は本当に疲弊している。
 近隣の大学病院からの要請で、PCR陰性の肺炎患者さんの紹介入院も途切れることがないようである。

 今日は全国的に新規感染者が最多、東京は1500人超え。
 医師会の幹部たちが頭を揃えていくら自粛を「お願い」したところで、そもそも医師会とは個人開業医が主体の組織であり、「最前線」にいるわけではない、したがって「医療界の代表として」医療崩壊を叫ぶことが白々しく受け止められもするのは無理ないことかもしれない(医師会員が交替で地区のPCRセンターで検査対応しているとはいえ、一部だ)。
 もっとも医師会の政治力は(かつてほどではないにせよ)侮れるものではないから与党へのプレッシャーとなっている面は確かにあるのだが。

 東京都からは各医療機関に受け容れベッド拡充の要請がなされてはいるが、追い付いていない。大学病院間でも受け入れ数に格差があるのは経営を考えれば起こり得ること。
 病診連携(大病院と開業医との機能分担)のシステムはかなりうまく稼働しているが、今起こっている状況では病病連携が必要だ。つまり大病院同士で機能分担するということ。
 スタッフの確保も喫緊の課題。となれば都道府県を越えての、しかも官民の垣根を取り払っての医療資源集約が必要だ。
 当然利害関係が働くから病院同士での協議は現実的ではないだろう。
 こういう時こそ政治家の出番なのだ。具体的には厚労省と文科省(の官僚)がまとめ役を果たす(この省庁間の垣根が問題。だから政治家の出番なのだ)。
・・・しかし、・・・無理だろうなあ、・・・今更急に・・・でも、春から言われてきたことじゃないか・・・・・・

 夕刻近く走りに出た。今日は陽が出て暖かくなるっていう予報だったが、雲って寒かった。たくさん着こんでスローペースで走った。

          今はただ黙してゆくか冬木立

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2021/01/05

コロナ後遺症

 色々後遺症について話は聞いていたが、初めて拝見した。

 先月バイト先の病院に受診した新型コロナ肺炎の患者さんが戻って来られた。
 この病院ではコロナ対応ができないので受け入れ可能な病院へ紹介したのだが(最初に対応したのは院長)、暮れには携帯酸素ボンベ付きで退院、あとはよろしくと逆紹介となり、今後継続的にフォローアップが必要ということで、ぼくの外来へ受診となった。

 症状の発現から初診に至るまで10日ほどあり、徐々に呼吸苦が昂じて受診、抗原が陽性で転入院となり、人工呼吸器のお世話にはならずに済み、安定したということで10日ほどの短期間に酸素付き(在宅酸素療法)で退院に至ったと、報告書にある。

 安定したとはいっても少し歩いただけで呼吸苦が出る状態なので、本来なら呼吸リハビリを行いながら在宅へ移行するのが普通だが、受け入れ先としても病床の稼働状況が相当に逼迫しているものと想像される。

 呼吸の仕方の学習、呼吸筋の強化、日常動作の工夫など、少しずつ外来通院でのリハビリとなる。
 CTを見ると肺が全体的に線維化し拡がりにくい状態にあるが、結構呼吸可能な領域が残されているようなので、希望がないわけではないが、何しろ初めてのケースなので確信は持てない。

 当初はこの感染症、「厄介な風邪」という程度の印象だったが、1年の間に敵の様子が段々明らかになるにつれ、認識を新たにせざるを得なかった。

 それにしても、と思うのは、基礎疾患は全くなく、喫煙もせず、先月上旬まではごく普通に過ごされていた方である。
 今後いろいろと危険因子が解明されていくのだろうけど、現時点ではなぜ、このような方に「不運な当たりくじ」が割り当てられるのか、「どこで」こういう「選別」が行われているのか、ただただ理不尽という感慨しか湧かない。

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2021/01/04

コロナ禍のCT画像から見えるもの

 午後から仕事初め。
 出勤すると一応習慣で「おめでとう」と言ってはみたものの、素直に謹賀新年の気持ちから出た言葉ではない。例年とは違うな、と感じるのは挨拶を交わすスタッフの皆さんにしても同様で、休み中も対応に追われた由。

 帰宅とともに手を洗い、顔を洗い、鼻腔に指を突っ込んで洗い、うがいをし、シャツを着替え、ケータイを消毒し、・・・・・・煩わしい日々が再開。

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 出勤前も、帰宅後も契約施設からリモートでのCT読影依頼があった。
 PCR検査の結果が判明するまでに時間がかかるから、担当医はあやしければCT検査で肺炎の有無を確認することになる。
 当初、無闇にCT検査をすべきでないという声があったが、現場の対応としては止むを得ぬことだ。

 依頼のあったCT画像を振り返ってみると、第2波までは疑い例はほとんどなかった(この施設ではたしか2例のみ)が、最近は、あくまで印象だが、新型コロナ肺炎該当例が1割、疑い例が2割、残りが非コロナ肺炎といったところ。増加傾向は確かだ。
 悩ましいのは、コロナ肺炎と通常の肺炎の双方の特徴を有するケース。
 特に高齢者で寝たきりに近い(とCT上想像される)患者さんはかなり多彩な表情を示す。
 介護施設に入居中の方だと、スタッフもピリピリして、早めに受診させる(ぼくがあるバイト先の病院から往診する介護施設でも同様)。
 明らかな肺炎像があればほぼ即入院となる。

 誤嚥を繰り返していたと思われるケースも少なからずあるが、一部に新たな肺炎(新旧の判断はCT画像から大体つく)としてコロナに特徴的所見が見られると、PCRの結果が出るまでは(すぐに結果の出る抗原検査が陰性の場合)個室管理となる。スタッフの対応も厚くならざるを得ない。

 肺炎でなくとも、問題点が浮き上がるケース。
 例えば肺気腫。通常のレントゲン写真では相当進行した状態でないと異常は指摘できない。肺炎の有無の確認が第一の目的だが、喫煙者であれば禁煙外来受診を、というコメントがつくことになる。
 先日は超早期の肺がんと思われるケースがあった。
 コロナが心配で受診されたのだが、こちらは陰性。半年後再検査して拡大傾向があれば外科に回って頂くことになる。CTの威力絶大。まことに幸運な方である。

 非常事態宣言が漸く出る模様。自宅でも寬げない生活が続きそうだ。

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2021/01/03

独走ハーフマラソン

 独走といってもレースで断トツの記録を出したわけではない。
 鬱陶しい日々が続く中、荒川の河川敷を21キロとちょっと、走った。ひとりで走った、故に独走である。
 ハーフマラソンが行われるはずのコース。
 マラソン大会は去年の春からことごとく中止になっている。今年も開催の見通しが立っている大会はない(こんな状況でホントにオリンピック開催するのか?)。

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 浮間の公園に車を停め、ゴルフ練習場前の土手の道をスタート。

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 京浜東北線の下をくぐり、新荒川大橋の下をくぐり、

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 岩淵の水門を越え(このあたりが5キロだったか)、
    
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 街中を走るのとは格段に気分が違う。心地よい。
 広い道、車は当然走らず、ランナーはボチボチ、サイクリストが時おり過ぎて行く。

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 鹿浜橋、江北橋をくぐり、

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 扇大橋の手前で折り返し(ほぼ10キロ地点)、

 いつもなら1キロ7分から8分くらいかけて走るのが、こういう環境だとペースが上がる。30秒から1分くらいは早い。
 とは言え、まあ、かつての面影はないけれど、・・・いや、それはもう言わんのじゃ。

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 コースにはランナーの姿は少ない、独り占め、
    My course、My run、My way!・・・

 最後の1キロはちょっと頑張って5分台でゴール。
 途中写真を撮ったり、脇道にそれたり、心拍数が上がり過ぎぬよう調整しながらでもっての記録(むろん非公式である)、2時間23分は上出来。

 走れば気分爽快、憂いも愁いもリセット。さあ、明日からまた頑張ろう・・・家に帰り、パソコンを開くとリモートでの読影依頼。
 あ~あ。年末年始4日の休日はあっけなく終了だ。

 

2021/01/02

冬枯れ

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 今年元旦のトップ記事である。かの国の世界支配戦略の恐ろしさというのかあざとさというのか、底知れぬ。
 我々の察知できていない水面下ではもっと「実効支配」が進行しているのかもしれない。
 香港では悲劇が真綿で首をしめるようなやり方で実行されている。

 正月早々明るい記事がまるでない。

 コロナ感染は拡大しているとはいえ、とうに明らかなはずの、「20~50代の元気な人たちが弱き高齢者に感染させ、これを重症化させ、ベッドを占拠させ、救えるはずの患者を無為に失いつつある」という構図はいよいよあからさまになってきている、これがポイントのはず。
 我が国でも年代間での分断化が起きている。

 しかもこんな状況でまだオリンピック開催の是非如何云々などとやっている。IOCの意向で世界中から多くの人たちが来日し、しかも無制限に国内を移動できる、なんて冗談じゃないぞ、全く。だれが責任を取るんだ。都知事ももう少し頭を冷やしたらどうだ。

 ニュースに接するたびに憤懣が募る。

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 で、今日もまた、走りながら考えた。
 なあ、世界中のみんな、国境を越えて1か月、頑張ろうよ。それで世界が今以上に滅茶苦茶になるとは思えない。経済はいずれ取り戻せる。世界中がそろって歩みを少し遅らせるだけのこと。みんないっしょに遅れれば怖くない。富める国から余剰物資を不足地域に届けよう。ぼくたち地球人だろ?・・・(これはドラえもんだったか)・・・38億年前からいっしょに進化してきたんじゃないか・・・絵空事、夢想だろうか?(You may say I’m a dreamer ・・・これはジョン・レノン)

 リモートでの胸部CT読影の依頼が連日入る。肺炎像を呈するケースが多い。
 この人たち、PCRが陰性だったら、たぶんぼくの外来にも受診に来る。偽陰性だってあるはず。休み明けの外来が正直ちょっと恐い。でもこの画像の向う、現場では年末年始も厳しい戦いが続いているのだ。

  冬枯れの林を駆けて汚濁世の憂ひ消えよと息つぐ我は

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       (途中の中学校の校庭で見た今年初の霜です、ピンボケですが)
  

2021/01/01

あらたまの年たちかへり

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 年あらたまる、といって、だからどうということでもない、昨日から今日へ1日過ぎただけのこと、時間は連続している。今日も10キロ走り、走り初めではあろうけど昨年末から5日連続だし、酒精との濃厚接触はクリスマス・イブ以来休みなしである。

 新年おめでとうございます、と年賀状が届く。だれに返信出すべきか。ここのところ年末を費やしての年賀状作りはやめ、正月明けてしばらく経ってから寒中見舞いにしている。それにしてもその体裁を考えねばならぬ、面倒くさいなぁと思いつつも、消息を知らせ合うべき知己も少なからずあり、この歳になるとなかなか等閑には付せないぞ、とも思いなおす。

 相も変わらず、テレビは年末に録画済みであろう馬鹿騒ぎのバラエティー番組ばかり。

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 雑煮を喰い、昨年同様、我々夫婦それぞれの両親の菩提寺へ詣でる。

 どちらも初詣で賑わうお寺ではないのだが、今年は人出が多いのはコロナ禍での巣篭りにうんざりした善男善女が好天気に誘われてのことか。

 となりに住む娘一家がシンガポールへ行き、去年を思えば寂しいが、今夜もテレビ電話で孫たちとお喋り、現地の生活ぶりを紹介してくれる。便利な世の中になったものだとしみじみ思う。

 今年は所謂年男になる。干支の周回、すでに6週目を終えんとしている。
 7週目に入り、さて・・・といって新たな感懐はない、嘘つけ、なきにしもあらず、だろう? あァ、まあね。でも、これをつぶさに陳述することもなかろう。
 今日まで、そして明日から・・・これは吉田拓郎さんの歌だったっけ。
 地上の星よ、教えてくれ・・・これは中島みゆきさん。
 知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりていづかたへか去る・・・これは方丈記の鴨長明さん。
 而して・・・・・・未だ生を知らず、焉んぞ死を知る・・・・・・こちらは言わずと知れた孔子さま。

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