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2020/12/30

Go To 鎌倉三たび

 世間のコロナ禍を視界の隅に捉えつつ、また鎌倉へ行った。先週末のこと。
 小一時間(とちょっと)かけて、小人数(老妻とふたり)、土曜の昼前、電車はガラガラである。

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 鶴が丘八幡宮もさすがに人出は前回ほどではない。
 大銀杏下の狛犬も予防のマスクを着けさせられている。この前を通って家内安全、厄災退散を祈願するのだから、なんともはや、二の句が継げない。

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 全国どこの寺社もそうなんだろうけれど、これだけの奉納酒、いったい誰がどのように消費するのか、・・・俗世間の勘繰りを入れてはいかんのだろうな、・・・などと思いながら国宝館を訪れたが「当分閉館です」と。

 で、今回は鎌倉の南方、大町のあたりを散策した。

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 若宮大路を南下、一の鳥居を左折してしばらく行くと、蛭子神社にぶつかる。
 蛭子(ひるこ)は「えびす」とも読むんだそうで(よくわからない。日本神話の昔話に出てくるんだとか)、七福神のひとつ、恵比寿様を信奉するのだと。
 もとは近くの本覚寺の境内にあったのが明治時代の神仏分離の憂き目にあってこの地に移されたのだとか。小ぶりだが、存在感のある造りだ。

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 さらに東へ進むと妙本寺と、これは源家2代目頼家の家臣比企一族が日蓮上人に帰依して創建した日蓮宗最古のお寺。
 紅葉がまだ散らずに残り、二組の男女がたぶん結婚式用の前撮り。人気は少なく、いい写真が撮れたことだろう(でも、今だけだぞ)。

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 ここから南へ人家の間を辿ると八雲神社に至る。「鎌倉最古の厄除の社」とある。
 厄には前厄とか本厄とかあるが、我々くらいの老夫婦になるともうそれに相当する齢はないらしい。
 この長寿時代、何かあってもいいんじゃないかとも思うが、古来の伝統に抗うのはなかなか骨が折れそうではある。
    
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 この神社から東へ小径をたどり、小川(逆川という)を越えると妙法寺なるお寺に着く。
 妙本寺といい、妙法寺といい、似たような名前で混乱するが、ここも日蓮宗のお寺で(南無妙法蓮華経の妙ですね)、日蓮上人がこの鎌倉の地に布教に際して初めに結んだ草庵を創建の始まりとするのだとか。

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 受付でおばさんが太いお線香2本に火をつけて拝観料と引き換えに持たせてくれる。
 まずは本堂にお香を立ててご本尊に合掌ののち、ずずっと奥へ、奥へお詣りくださいという。

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 仁王門(仁王像は朱塗りがかなり残っているが慶派の血脈をひいているように思われる)から続く石段は苔石段として有名らしく(紅葉や公孫樹の落ち葉で苔むす様子は窺えずちょっと残念)、立ち入り禁止、脇の階段を上ると法華堂という江戸時代の品のよいお堂があり、さらに上ると、悲劇の皇子護良親王のお墓のある少し開けた場所から相模湾の眺望が素晴らしい。

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 この日も天気に恵まれた。日頃の行いの良さの賜物かとひとり悦に入る。

 ここらからは家内とは別行動。

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 ぼくは南へ下り横須賀線を越えると長勝寺なるお寺に至る。
 ここも日蓮宗のようで、上人を四方から四天王が守護して立つ像に興趣を唆られた(なんて言い方、罰当たりと叱られるかな)。

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 さらに南下すると「辻の薬師堂」。
 ホントに「辻の」というだけあってか、小さなお堂で、木食上人云々という石碑が狹い境内に建てられており、これはもしかして木喰の作像があるのかと覗き込んでみたが、暗くて全く見えない。
 案内の立て看板も文字が剥落してよく読めないが、薬師三尊などの仏様たちが坐すはずのところ、本物は国宝館に収められ、レプリカが安置されているということらしい。

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 ここら鎌倉の南の地、大町界隈では妙の字のつくお寺ばかりで日蓮宗所属が多いのかと思っていたら九品寺に行き当たった。これは極楽往生の様式9種を示す、ということでご本尊は阿弥陀如来、故に浄土宗。
 新田義貞の開基になると説明板にある。

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 少し東に案内通りに進むと光明寺。浄土宗のお寺で本堂、山門ともに江戸時代に再建されたとあるが、壮大な構えだ。
 本堂の廊下伝いに小堀遠州作とされる浄土式庭園があり、その奥に大聖閣という阿弥陀三尊を安置するお堂が端正な趣きを放っている。鳳凰をてっぺんに戴き、全体が金箔で飾られたら金閣寺もきっと一目置くに違いない、とそんな感懐を催す建物である。
 大聖閣を正面に見る廊下に椅子が設えてあり、しばし休息。

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 つらつら考えるに・・・鎌倉は三方を山で囲まれた狭隘の地だ。そこに建長寺、円覚寺といった禅の大寺院とともに日蓮宗、浄土宗と諸派乱立、それぞれの伽藍の面積は相当部分を占めたと現地を歩いて容易に想像される。
 が、ここは寺町ではない、幕府の開かれた武家の都市だ。御家人たちの邸宅だって狹くはなかったはず。だからだろう、墓所に不足し山肌に多数の洞が掘られた。
 南都北嶺の旧仏教の時代を過ぎ、禅、浄土、法華という新仏教が全く同時代にこの地に勃興したとい事実は、中世に生きた人々の多様な価値観、人生観がお互い排除しあいながらも並立したということであり、ずいぶん健康的な時代だったな、と思う(小林秀雄さんが同様のことお話になってたかしら)。

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 すぐ南はもう材木座海岸。かなたに富士山が霞んで見える。
 疲れて重い足を引き摺りながら砂浜を歩いた。
  (・・・ここから材木座の思い出。そうして翌日、金沢文庫へと続きます。)

 

 

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