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2020年12月の記事

2020/12/31

コロナ禍の1年

 昨日で仕事は終わったが、コロナは終わらない。バイト先の病院でも玄関前にテントを張って年末年始の発熱外来を開いている。スタッフの皆さん、本当に頑張って戦っている。ドクターも看護師さんも技師さんも。

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 感染者がきょう東京では1300人を超えると。
 そろそろ収束に向かうだろうというぼくの予測は全く的を外している。まだ峠を越えたようには見えない。

 どこの病院も疑似症例の受診者が増える(当然、本物の患者さんもいる)、PCR検査も増える、PCRの結果に1,2日かかる。で、新型コロナ肺炎が今この目の前の患者さんにあるのか否か、担当医は呼吸器症状があればCT検査を行う。その読影依頼が来る。これはリモート診断だから、ぼくは感染の心配なくコメントを送る。
 もう現場の最前線で戦う気持ちにはならない。歳だから許してほしい。でも、できるだけの後方支援は続けたい。
  非コロナで肺炎所見のある患者さんは後日、大概ぼくの呼吸器外来に回ってくる。ホントにコロナ陰性なのか、確証はない。緊張はまだ当分続く。

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 相変わらず当局は新規感染者の数ばかり発表する。年代は?、基礎疾患は?、重症度は?・・・知りたいことがニュースとして伝わってこないから不安ばかりが先行する。

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 お役所の発表によると、検査を受けた人の半分ちょっとが陽性で、これだけを鵜呑みにすると感染者はほぼ二人に一人ということになる。この受診者はたぶん有症状例か、濃厚接触例だろうから、かほど高率に陽性反応が出るのだろう。

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 全く無作為に1000人とか1万人にPCR検査をすれば潜在的感染者の割合が判る。これを対比、参考にすれば日ごとの感染者が、「爆発的に増えている」のか、「想定内で」明らかになっているのか判るはず・・・専門外のぼくにだって明らかな簡単なことのように思うのだけれど、「専門家」の人たち(それに即製栽培のようなコメンテーターの人たち)、もう少し突っ込んだ現状解釈をしてもらいたいものだと思う。

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 夕方、走った。きょうも夕映えは美しい。
 コロナウイルス、奴は「非生物」だ。世界を混乱させようなぞという意識はないはず。
 しかし、奴に翻弄され続けた1年だった。地球全体が幻影に踊らされているのかどうか。

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2020/12/30

Go To 鎌倉三たび

 世間のコロナ禍を視界の隅に捉えつつ、また鎌倉へ行った。先週末のこと。
 小一時間(とちょっと)かけて、小人数(老妻とふたり)、土曜の昼前、電車はガラガラである。

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 鶴が丘八幡宮もさすがに人出は前回ほどではない。
 大銀杏下の狛犬も予防のマスクを着けさせられている。この前を通って家内安全、厄災退散を祈願するのだから、なんともはや、二の句が継げない。

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 全国どこの寺社もそうなんだろうけれど、これだけの奉納酒、いったい誰がどのように消費するのか、・・・俗世間の勘繰りを入れてはいかんのだろうな、・・・などと思いながら国宝館を訪れたが「当分閉館です」と。

 で、今回は鎌倉の南方、大町のあたりを散策した。

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 若宮大路を南下、一の鳥居を左折してしばらく行くと、蛭子神社にぶつかる。
 蛭子(ひるこ)は「えびす」とも読むんだそうで(よくわからない。日本神話の昔話に出てくるんだとか)、七福神のひとつ、恵比寿様を信奉するのだと。
 もとは近くの本覚寺の境内にあったのが明治時代の神仏分離の憂き目にあってこの地に移されたのだとか。小ぶりだが、存在感のある造りだ。

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 さらに東へ進むと妙本寺と、これは源家2代目頼家の家臣比企一族が日蓮上人に帰依して創建した日蓮宗最古のお寺。
 紅葉がまだ散らずに残り、二組の男女がたぶん結婚式用の前撮り。人気は少なく、いい写真が撮れたことだろう(でも、今だけだぞ)。

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 ここから南へ人家の間を辿ると八雲神社に至る。「鎌倉最古の厄除の社」とある。
 厄には前厄とか本厄とかあるが、我々くらいの老夫婦になるともうそれに相当する齢はないらしい。
 この長寿時代、何かあってもいいんじゃないかとも思うが、古来の伝統に抗うのはなかなか骨が折れそうではある。
    
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 この神社から東へ小径をたどり、小川(逆川という)を越えると妙法寺なるお寺に着く。
 妙本寺といい、妙法寺といい、似たような名前で混乱するが、ここも日蓮宗のお寺で(南無妙法蓮華経の妙ですね)、日蓮上人がこの鎌倉の地に布教に際して初めに結んだ草庵を創建の始まりとするのだとか。

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 受付でおばさんが太いお線香2本に火をつけて拝観料と引き換えに持たせてくれる。
 まずは本堂にお香を立ててご本尊に合掌ののち、ずずっと奥へ、奥へお詣りくださいという。

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 仁王門(仁王像は朱塗りがかなり残っているが慶派の血脈をひいているように思われる)から続く石段は苔石段として有名らしく(紅葉や公孫樹の落ち葉で苔むす様子は窺えずちょっと残念)、立ち入り禁止、脇の階段を上ると法華堂という江戸時代の品のよいお堂があり、さらに上ると、悲劇の皇子護良親王のお墓のある少し開けた場所から相模湾の眺望が素晴らしい。

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 この日も天気に恵まれた。日頃の行いの良さの賜物かとひとり悦に入る。

 ここらからは家内とは別行動。

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 ぼくは南へ下り横須賀線を越えると長勝寺なるお寺に至る。
 ここも日蓮宗のようで、上人を四方から四天王が守護して立つ像に興趣を唆られた(なんて言い方、罰当たりと叱られるかな)。

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 さらに南下すると「辻の薬師堂」。
 ホントに「辻の」というだけあってか、小さなお堂で、木食上人云々という石碑が狹い境内に建てられており、これはもしかして木喰の作像があるのかと覗き込んでみたが、暗くて全く見えない。
 案内の立て看板も文字が剥落してよく読めないが、薬師三尊などの仏様たちが坐すはずのところ、本物は国宝館に収められ、レプリカが安置されているということらしい。

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 ここら鎌倉の南の地、大町界隈では妙の字のつくお寺ばかりで日蓮宗所属が多いのかと思っていたら九品寺に行き当たった。これは極楽往生の様式9種を示す、ということでご本尊は阿弥陀如来、故に浄土宗。
 新田義貞の開基になると説明板にある。

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 少し東に案内通りに進むと光明寺。浄土宗のお寺で本堂、山門ともに江戸時代に再建されたとあるが、壮大な構えだ。
 本堂の廊下伝いに小堀遠州作とされる浄土式庭園があり、その奥に大聖閣という阿弥陀三尊を安置するお堂が端正な趣きを放っている。鳳凰をてっぺんに戴き、全体が金箔で飾られたら金閣寺もきっと一目置くに違いない、とそんな感懐を催す建物である。
 大聖閣を正面に見る廊下に椅子が設えてあり、しばし休息。

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 つらつら考えるに・・・鎌倉は三方を山で囲まれた狭隘の地だ。そこに建長寺、円覚寺といった禅の大寺院とともに日蓮宗、浄土宗と諸派乱立、それぞれの伽藍の面積は相当部分を占めたと現地を歩いて容易に想像される。
 が、ここは寺町ではない、幕府の開かれた武家の都市だ。御家人たちの邸宅だって狹くはなかったはず。だからだろう、墓所に不足し山肌に多数の洞が掘られた。
 南都北嶺の旧仏教の時代を過ぎ、禅、浄土、法華という新仏教が全く同時代にこの地に勃興したとい事実は、中世に生きた人々の多様な価値観、人生観がお互い排除しあいながらも並立したということであり、ずいぶん健康的な時代だったな、と思う(小林秀雄さんが同様のことお話になってたかしら)。

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 すぐ南はもう材木座海岸。かなたに富士山が霞んで見える。
 疲れて重い足を引き摺りながら砂浜を歩いた。
  (・・・ここから材木座の思い出。そうして翌日、金沢文庫へと続きます。)

 

 

2020/12/29

金沢文庫・称名寺

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 ここを訪れたのは3,4年前かと思っていたら9年も前のことだった。過去の記憶、特に時間軸が実におぼろである。
 金沢文庫で「東アジア仏教への扉」という展示が開催されているのを新聞で知り、行ってみたいと思っていたのと、称名寺をまた訪ねてみたいというのがあって、出かけた。

 金沢文庫は鎌倉時代、源流が途絶えたのち執権として世を支配した北条氏の系列に名を連ねる北条実時が創設した日本最古の武家による文庫、いわば図書館だが、この北条実時なる人物、政治中枢の補佐役を演じながら、一方では王朝文化や美術、佛教に精通した文化人としての顔を持ち、権力も大いに利用したのだろう、多数の仏像、絵画のみならず、膨大な文物、仏典を蒐集し、文庫に所蔵した。
 現在は県立美術館として整備され、北条一族の菩提寺である称名寺に伝わる仏像、仏具なども多くその収蔵に含む。

 今回は国宝に指定されている多数の仏典の写本が目玉で、正法眼蔵、往生要集をはじめとする仏教界では重要な文物が出展されており、むろんぼくには見ても解らない、とにかくありがたいものだということだけは、説明から判ったような気になった。

 東アジア仏教への扉というテーマが示すのは、この文庫に収蔵されているような仏典は、インドを発して、中国、朝鮮を経て我が国へ伝えられたが、その原典のほとんどはこの経路の途中(インドも、中国も、韓国も)で失われ、ほとんど現存しないということ。
 つまり仏教の聖典が残っているのはほぼ日本だけ、ということ(なんだそうである)。
 そして現在収蔵されている膨大な資料の中にまだまだ国宝級のお宝が眠っているのだと。
 ははぁ、こういう研究って大変な作業だな、と思うとともに、これを連綿と継続させている(あまり派手ではない、あるいはあまり日の当たらないといったら失礼か)仕事に携わる多くの人たちに敬意を表するばかりである。

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 最近、江戸時代に膨大な仏典を悉く読破し、それらの多くが(ほとんど全部?)、お釈迦さまの教えとしては正しくないんじゃないか、という「大乗非仏説論」を唱えた天才学者についての本を読んだ。
 ちょっと退屈ではあるが、方法論として、オリジナルの教えがどのように加筆、修飾、変容されながら現在に至っているのか、本もののお釈迦様の教えへのアプローチを考える上で、得るところ少なからずあった。
 この人が、この文庫の中を改めたら、どんな解釈、展開が起こったろうか、そう想像するのは面白い(なんて言ったら怒られるかしら)。

 さて、今回ここを訪ねる気になったのは、かかる展示以上に、隣接する称名寺の庭園を見たいからというのが一番。
 この秋訪れた毛越寺の紅葉の印象が鮮烈に残っており、また、9年前、この美術館で開催された「運慶展」での運慶の若き日の作品を目にしたときの感慨が今なお折に触れ蘇るから、といずれ思い出巡りのような気持ちがあったのか。あのとき詠んだ。

      毘沙門の若きまなこが見据えたる空をよぎりて冬枯れの野に出づ


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 金沢文庫の正面にあるトンネルをくぐるとその光景は目に飛び込んでくる。
 浄土を意識した意匠はたしかに、創建者の極楽往生の夢を追尾はさせる、させはするけれど、この情景にさほどの感動はなかった。
 期待し過ぎたのだろうか。それとも過去の思い出が自分の中で美化され過ぎたのだろうか。
 あるいは寄る年波が記憶と現実の間に乖離を生み出しているのだろうか、これは哀しい。
 700年以上の歴史は凛としてぼくの目の前に在るのに、わずか10年足らずでぼくの方が賴りなく歳を重ねてしまったのか、よく判らない。
 風は冷やかなのだが、陽射しは少し暖かかった。

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          冬枯れの浄土の庭に夢いづこ

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 称名寺というから、南無阿弥陀仏と佛さまの名を称える、それだけで極楽往生が叶う、つまりは浄土系のお寺かと思っていたが、真言律宗、ご本尊は弥勒菩薩なんだとか。
 これは腑に落ちぬ、と調べてみると「実時が六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂(阿弥陀堂)がその起源とされる」とウイキペディアにあり、納得。

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         この阿吽の仁王像、東大寺の巨大な仁王象に引けをとらぬ迫力。慶派の作なのだろう、たぶん。

 

 

2020/12/27

材木座海岸にて

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 古い白黒の写真がある。父が勤め先の人たちと鎌倉の材木座海岸へ海水浴に行ったときのものだ。
 日付は不明だが、おそらくぼくはまだ幼稚園児だった。父の胡坐に抱かれている。
 写真ばかりで当時の記憶はない。

 この後まもなく父は発病し、長い闘病生活に入った。

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 今、ぼくはその浜を歩いている。

 父の年齢の倍以上を、歩いてきた。歩いて来れた。

 足元を見る。

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 浜辺の小石にたくさんの穴があいている。

 いったいどれほどの年月が、この石の上を流れたのだろう。

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 浜に、波が寄せては返し、雲は流れ、陽が落ちてゆく。

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 不意に、砂地に、五体投地したくなった。

       父と来し この砂浜に 打ち寄せる 波の行方に ものをこそ思へ


2020/12/25

脇見ラン

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 こんなメールが回ってきた。へえ~っと計算してなるほど、と思う。
 しばらくして気づき、思わず微苦笑。(思わず計算した方、詐欺にご用心!)
 当たり前のことが、見方次第でとんでもないものに見えてしまう。錯覚なのか、トリックなのか、はたまた当方がボ~ッと生きてるだけなのか。

 走りながら考えた。
 走るときは大体遠くを見ながら走るものだ。キョロキョロしながら走ったら危険だ。
 前方の空に浮かぶ雲というものは、こちらが走るのと同じ方向に動いて行く。近づくはずなのに先へ先へ動いてゆく(ように見える)。何か錯覚なのだろうけど、まだ調べたことがない。

 ところがチラチラ横を向きながら走るとすぐ近くのものはどんどん後ろへ流れて行く。
 自分の視線上に捉える遠近の光景、たとえばすぐ傍の並木と、その樹間から向うに見える少し離れた道路脇の電柱や家々などを眺めると、近くのものは素早くどんどん流れ去り、遠くのものは緩やかに過ぎて行く。・・・・・・これはごく当たり前の現象だ。理屈を考えるまでもない。
 だから、前方の彼方を目指して走るとなかなか近づいてこないのがもどかしくなるのも、脇見すると風景は素早く流れゆく。スピード感を味わえる(むろんずっと脇見走行するわけではない)。

 林の中を走っていても同様で、脇見する一直線の視線上で近くの樹々と遠くの樹々がどんどん入れ替わってゆく。気分がいい。どうして今までこういう走り方に気がつかなかったのだろう。
 
 間近のものを見ながら走り続け、ふと気づくとかなりのところまで来ている。
 月日の流れがむやみに早く感じられるのも同じ事だろうか。
 日々をせわしなく送り、いつの間にかずいぶん遠くまで来ている、ずいぶん齢を重ねている。
 年をとるほど時の経つのが早く感じられるのは、年をとるほどその日その日ばかりを生きるだけで前を見る余裕がないから・・・違うな。

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2020/12/23

コロナカノナカ 俺がいなきゃあという自惚れ

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 帰宅すると手を洗い、顔を洗い、鼻腔に指を突っ込んで洗い、うがいをし、・・・まだ今のところ感染していないようだと、確かめた気分になる。明日はわからない。
 累積死亡者3000人のうち、7割が70代以上の高齢者と。

 こんな状況下、いつまで働き続けるんだ、と自問する自分。
 今、辞めたらみんな困るぞ、と自答する自分。

 10月に風邪を引き、咳が長いこと続いた。仕事中は薬を大量に飲み、抑えていたが家に帰るとかなり出る。家族はみな、そんな状態で出勤したら顰蹙ものだから休めという。
 いや、休んだらその穴埋めが大変なんだ、と反論する。毎日数十人の予約患者さんをだれかが代わりに診ないとならない、ホント困るんだ、と。
 いやあ、そんなことない、オヤジがひとりでそう思ってるだけだよ。

 そうかもしれぬ。自分が居なくなったって何とかなるものだ。俺がいなきゃあ、なんて思うのは自惚れだ。今までのこと振り返ってみろよ、辞めたところどこも、そのままなんじゃないのか? ・・・いや、そうじゃないって聞いてるぞ。・・・そりゃあ、気を使ってそう言ってるだけのことさ。

 生涯現役にこだわっているのか、とにかく元気に働けるうちは働きたい、それができれば幸せなことかもしれない、と思うそばから、ホントか? もっと楽しい退役後生活を送ってる朋輩がいるじゃないか、という声が聞える。

 今のところはどこの働き口でも先のこと(契約止め)についての打診はない。
 まだそれなりにお役に立てている、と思い込むのはとんだ勘違いかもしれない。
 俺なんかいなくったって誰か替わりは出てくるものだ。

 斃れてのち已むか、病んでのち斃れるか、いずれ明日のことはわからぬ。
 終盤を勝ち進む力士ではないけれど、一番一番頑張ります、一日一日をしっかり生きよう、ってこと・・・でも、これが結構むづかしいのだと感じるのは、この己の生が未だ切羽詰まっていないからなのだと、また思う(何度目だろう。甘いぞ)。

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 昨日に比べると暖かな日差しに誘われて走った。
 冬至を過ぎたからなのだろうか、何とはなしに日脚が伸びたように感じたものの、夕闇迫るとたちまち汗をかいた上半身に風がやけに冷たい。まだこれからなのだ。

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2020/12/21

冬至

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 きょうは冬至。昼が最も短くなる日で、これから日が延びるにつれて運気も上昇すると言われはする。
 もう一息のところでコロナとのせめぎ合いは続いている、医師会サイドからは次々と緊急事態宣言が出されているけれど来週あたりが峠ではないか、とぼくは思っている。さて、楽観的過ぎると批判を浴びることになるのかどうか。 
 ウイルスが変異を来たしているというのが気になる。

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 防備は強化するにこしたことはない。
 市販のフェースシールドだと透明性が悪く、画像を見るときいちいち外さなくてはならない。
 それに大きすぎて声がこもる。
 仕方ないから部材を組み合わせてカスタマイズ、自分用のをバイト先にひとつずつ置いておくことにした。
 こんなことやってた日があったんだなァ、なんて笑える日が早く来ることを。


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 夕方ジョギングで母校(高校)の前を通りかかったら工事中の現場にご覧のようなイルミネーション。
 おっ、なかなかやるじゃないか。

   柚子浮かべ疫病去れと手を合はす

 かぼちゃは食べなかった。熱燗でも一杯、行きますかね。
 巣篭りで家飲みが増え、酒量増加が一部問題になってるようですが。 ま、気をつけていざ一献!

       

 

2020/12/20

クリスマス・プレゼント

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 娘のリクエストで孫たちへのクリスマス・プレゼントを送った。ほぼ常夏のシンガポールにもサンタさんは来るのだろう。
 WHOが正式に「サンタさんはコロナに免疫があるから世界中を飛び回って大丈夫なんです」ってコメントを出した。

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 こちらは寒い、とにかく寒い。ぼくは寒いのが嫌いだ。だから娘たちが半袖、短パンで市内を闊歩している写真を見ると、ああ、コロナの心配がなくて孫たちはのびのび遊べて幸せなことだ・・・と思うのとは裏腹に、羨望を超えてやっかみ、嫉みが頭をもたげる、この性根の情けなさ、慚愧の念をもって、ここに告白しよう。

 春よ、早く来い。まだ先は長いんだぞ・・・冬至を前に気弱に願う。東京の新規感染者数はまだ峠を越えてはいない。

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2020/12/19

自粛すべきは誰か?

 地元の病院での呼吸器外来。
 慢性肺疾患で通院中の高齢女性(ぼくとほぼ同年代)が、診察の時に「先生これ使ってください」とアルコール綿のキットを取り出す。
 ぼくは患者さん一人一人、診察前後、聴診器をアルコール綿で拭き取っている。それを説明すると、「前の男の人が嫌な感じだったから」と。
 あらためて患者さんの目の前で拭き取って見せ、おもむろに聴診。

 オフィスビルのクリニックで目撃した光景。
 30歳の男性が昼休みの時間帯を利用してビタミン剤の点滴(いわゆるニンニク注射)に来る。常連さんで、すでに院長からの指示があり、診察なしに注射の処置に回る(点滴中何かあれば担当医が対応はする)。これが毎回マスクなしでやって来るのだという。対応するスタッフとしては被感染のリスクがあるからマスクを着けてもらい(当然ながら各回マスク代がチャージされる)、かれは悪びれもせず昼寝しながら精力をつけて(と本人はたぶん思っている)職場に戻る。自費診療(のお客さん)だからクリニック側ではあまり強いことは言えない。

 睡眠時無呼吸専門外来で。
 月1回の受診が原則であるが、止むを得ず来られない患者さんがいる。特に通院そのものに伴う院内(および通院途中に)感染のリスクがある基礎疾患のある(ご高齢の)方々。それは仕方ない。他の科でも状態が安定していればお薬の長期処方は当たり前になっているのだ。
 もう長くこの治療(CPAP療法という)を続けて安定していると、毎月毎月の受診が面倒になるのは人情である。遠隔診療の代替策がないわけではないが、実際には却ってお互い手間がかかり非効率。
 で、「先生、こんなにコロナが流行っていると病院に来るの怖いですよ、2、3か月先の受診にしてもらえませんか」と。気持ちは分かる。
 ぼくだってすべての患者さんの受診間隔が長くなれば負担は半減し、楽だ。でも病院側からは原則を守るように言われている(これを完全に無視すると病院としては年間数百万の取り損ないが生じる)、パートの身のぼくとしては自らルールを外すわけにはいかない。
「まあ、一応予約はしておいて、『止むを得なければ』あなたの方から電話で予約を先延ばしにしてください」とお願いする。相手は、基礎疾患のない元気な40代の男性である。当初は相当の自覚症状があって受診、治療導入に至った筈である。まあ、慣れというのだろう。言い分は分かる。しかし、無症状の(若い)感染者から高齢者への感染が重症化を招いている現状下、古稀を過ぎた医者がこうして診療に当たっているんだ、こっちの方がはるかにヤバイんだぞ! ・・・ とは言えない。

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 まったくみんないいよなァ、・・・このタイミングで総理大臣は大人数で高級ステーキ店で会食、文部科学省大臣は芸者を揚げての宴会、政治家の劣化極まるってもんだ。

 午後、走って来た。アタマに来て、というわけではない。
 お隣中野区に哲学堂という公園がある。
 ここまで小一時間(実際には1時間50分ほど)、小刻みに(ストライド走法は無理、ピッチ走法)、小分けして(途中給水やら写メで立ち止まり)、小人数で(むろんひとりで独走)、・・・あとひとつ何だったっけ・・・ああ、都知事か、なかなか小細工やりおるわ)、走って来た。

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 この公園は明治期に哲学者で東洋大学の創立者が精神修養の場として創った、「哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された」公園で、一画に「哲学の庭」というのがある。
 ホームページによれば・・・宗教・哲学・法を代表する人がそれぞれ同心円上に配置されており、世界の異なった場所の人々が、より相手に近づくことが出来るようになるためには、プラス・マイナス1の原点に返ることが必要という作者の考えが反映されています。また作品には民族や歴史、文化などは違っても西洋と東洋をつなぎ、人間社会の本質を考察し、人類の恒久平和の理想を追求した作者ワグナー・ナンドール(和久奈 南都留)の思いが込められています。・・・
 で、立像は、老子、キリスト、釈迦、アブラハム、エクナトン(古代エジプト王)、達磨大師、聖フランシス、ガンジー、聖徳太子、ユスチニアヌス(ローマ法大全編纂)、ハムラビ(バビロン王。ハムラビ法典制定)、と、超豪華メンバー。

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 しかし、これだけ揃っても、コロナ禍、未だ収束は見通せず、息を乱しつ、溜息もひとつ、ふたつ・・・

        賢人の哲理請ふとや梅開く

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 未だ梅の春なお遠し。梅は菅公道真を引いて・・・これは後付け、です。

 

 

2020/12/18

追懐奈良

 私が初めて奈良の地を訪ねたのは大學に入つた1970年12月、50年前の今頃である。
 入學に至る二年の浪人生活で逼塞を餘儀なくされる日々、怏々樂しまざるところ少からず、數多の書にすがつたが、中でも龜井勝一郎氏の「大和古寺風物誌」には大いに心惹かれ、かの地を訪ねる第一の誘因となつた。

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 ガイドブック片手に懍然たる空氣の中、勞を厭はず、諸寺伽藍を次から次へと時の過ぐるをも忘れ巡ることが叶つたのは、齡二十一にしてこそなせる業であつたか。
   
 旅舍「日吉館」を豫約もなしにいきなり訪れ、泊めて頂けたのは、私にはこの上もない僥倖であつた。
 といふのも、この古びて建てつけの良からぬ宿の、壁やら長押の至る所に、秋艸道人會津八一先生の詠まれた歌の自筆書をおさめた大小の扁額が、ほとんど無造作にといつた趣で掲げられてをり、この先生との邂逅を嚆矢として爾來私淑半世紀、今に至るまで、私の古寺巡りや歌詠みのみならず生き方が受けた影響は計り知れない。教へであり、叱咤激勵でもあつた。

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 時流れ、宿の女主人、をばちやんと呼ばれた田村きよのさんのご高齡により、日吉館は閉鎖され、彼女の逝去後、建物そのものも取り壞されたのは老朽化の故と容易に推察はつく。
 かつては名物となってゐた宿の正面に掲げられた八一先生の書が彫られた看板を、數年前、早稻田大學の會津八一記念館を訪ねた折、展示されてあるのを發見し、巡り巡つてのえにし、懷舊の情を新たにしたものである。

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 初旅の思ひ出としては、東大寺二月堂の舞臺から眺めた夕暮がひときは印象に殘る。

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・・・・・・  群雲を照り染めた夕陽は、大佛殿のかなた生駒の山の端に近づくにつれ輪郭を鮮明にしながら大きさを増し、輝きは朱に朱を加へて燃え立ち、つるべ落としよりもさらに早く、まばゆい光芒はたちまち薄闇にとつて替はられ 、我知らずふつと溜息・・・・・・

 今なほ一醉、瞑目すれば忽ち瞼裡に蘇る。

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 この厄災に、今は遠い地となつてしまつた南京に一夜思ひを馳せ、

      籠りゐる都の夜の一醉に古寺の御佛一睡にこそ見ゆ

 嗚呼、これもまた邯鄲一炊の夢なるか。

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2020/12/16

メメント・モリ

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 走りながら思った。
 死を忘るな。
 この言葉に初めて接したのはいつだったのか記憶に定かではないが、初めて死を恐れる気持ちになったときのことをはっきり覚えている。

 20歳の誕生日間近のある夜だった。
 布団に入ってから眠りに落ちる前、闇を見つめていると突然、人間は死んだらどうなるのだろうという感慨が沸き起こった。
 死んだら・・・あとには何も残らない、・・・・・骸だけが残り、・・・・・意識は、なくなる、・・・・・なくなってどこへ行くのだろう・・・・・どこへ? ・・・・・ただ暗黒の空間(?)だけがあって、意識する自分は永遠に消滅する? ・・・・・消滅なんてことがあり得るのだろうか?・・・・・冥界に去った人々の記憶は残っているけれど、かれらは自分からみれば、存在しない・・・・・かれらを思い出している自分だっていつかは去った人となる・・・・・自分が消滅するなんて・・・・・・なんて恐ろしいことだ!

 翌春ぼくは大学へ入り、50年前の話、あの頃ぼくは若かった、いろんな本を読んだ。死の恐怖を克服しようとして、あるいはそこから逃避しようとして。
 今、それはただの観念に過ぎなかったのだと思う。
 絶望したか? 観念的にはしたかもしれぬ。
 でも、ぼくは現実の日々の多くを安逸に流されながら、送った。
 日常の巷、なんとあまたの享楽が満ち溢れていたことだろう。

 それから時々、何かの拍子に、死を思った、死の恐怖を思った。でも、思いながら、日々を送った。
 様々の欲望が絶えず、メメント・モリから目を背けさせていた。
 それは死が横溢する臨床の現場においてすら、起こっていた。
「慣れ」というものも生じていたろうか? ・・・たぶん。でも、折に触れ、思った、・・・・・メメント・モリ!

 やがて発作性心房細動に悩まされるようになった。
 カテーテル手術で発作が起きなくなったあとも、時々不整脈の発作=心拍の揺らぎの自覚が即、不安定な気分を呼び起こし、そのたびに死の意識がちらついたり、そうでなかったりする。
 心拍が搖らぐと忽ち心情=ココロが搖らぐ。この自覚は脳の記憶を引き出して起こるものではない、・・・・・とすればココロというものは心臟に属するものかもしれない、と解釈するようになり、・・・・・これは観念的に過ぎるのではないか、・・・・・・・50年も前からの観念闘争がおのれのもの思う心の底流をなしていることに唖然と気づく。

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 走り始めたときは碧空だったのが、黄昏、夕映えが眩しい。
 寒い、きょうは今年一番の寒さだとか。
 それでも走ることが出来た。1日を生きた。
 来春、干支は7周目に入る。・・・・・この周回はどこか異界で続けられるのだろうか?

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2020/12/14

歴史に学ぶ感染症

 新型コロナウイルスの性格が少しずつ明らかになり、ワクチンの驚異的な開発が現実化しつつあるが、収束の見通し未だ不明な状況が続いている。ワクチンの効果でアメリカでは来春には、ヨーロッパでは夏までには、元の社会活動が営まれるという予測が出た。日本は再来年になると。詳細は不明だが、にわかには信じ難い報道である。

 今回のパンデミックをどう総括するのか、これは(近い)将来のことではあるにしても、過去の歴史における感染症が当時の社会に及ぼした影響の事実を現状と対比するという、歴史学からの論説には学ぶべき点が多い。

 むろんぼくは、天然痘が流行したのでその終息を祈って奈良の大仏が建立されたとか、アメリカ大陸の発見者たちが梅毒を広めたとか、ペストの蔓延が大量の命を奪ったとか、過去の感染症についてのいくつかの事例個々については多少知ってはいたけれど、それが社会全体にどのように影響を及ぼし、結果、歴史上にどのような形で災禍を残したのか、そういう見方はほとんどしてこなかったようだと、感慨を新たにする。

 100年前の所謂スペイン風邪の流行が第一次世界大戦を戦う各国の兵隊たちの戦闘意欲を失わせ、これが戦争終結に結びついたという話が今回のコロナ禍の経過中ときどき話題に上ったが、このように感染症の観点から過去の多くの事例が列挙された著作を読むと、歴史は繰り返されるという箴言はここでも強烈に頭をもたげる。

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 1985年に邦訳されたマクニールの「疾病と世界史」は人類の先祖の時代から現代に至るまで、人間の生活様式とともに変容を遂げてきた感染症の歴史を語る大書で、著者の博覧強記のゆえなのだろう、話題が時おり時間軸を行きつ戻りつあちこちに飛び、一読でついてゆくのに困難を感じる。
 佐藤優さんの近著にも感染症が社会に及ぼした影響について、政治、宗教まで突っ込んだ論述があるが(10/27)、同じく今年刊行された「感染症は世界をどう変えてきたか」「感染症の日本史」はさらに多くの事例を、前者は世界史の中で、後者は日本史の中で述べている。

 ハマダラ蚊が媒介するマラリアがアレキサンダー大王のマケドニア帝国を崩壊せしめローマ帝国を弱体化した、ペストの流行は中東世界でペルシャの覇権を揺るがせイスラムの台頭をもたらした、さらにペストは中世ヨーロッパを支配したキリスト教(ローマ教皇)への信仰を揺るがせ宗教改革でプロテスタンティズム勃興の誘因となった、大航海時代にスペインの無敵艦隊はイギリスと戦う前にシラミが媒介する発疹チフスですでに戦力を失っていた、ナポレオンがロシア遠征で失敗したのはモスクワ到着前に発疹チフスが軍隊内に猖獗していたからだった、ガダルカナル島の日米決戦ではマラリア対策(特効薬キニーネの確保)の差で日本軍は戦う前からマラリア罹患で戦力をすでに大幅に低下させていた・・・・・・歴史の展開というものが、視点の違いから全く異なる印象をもって迫る、なるほどと新たな感懐、首肯するばかりである。

 感染症への対策はかなり昔から講じられていたようで、たとえばナポレオンは種痘ワクチンを採用していたが、エジプト遠征から早々に退却したのは近隣にペスト禍の情報が伝わっていたからであったという。また、第一次世界大戦がヨーロッパを主戦場に4年以上も続いたのは戦う双方で発疹チフスに対する対策(シラミの駆除)を徹底して行ったためであったのだが、やがてアメリカから持ち込まれたインフルエンザによるパンデミックが戦争継続を不能にしたという笑えぬ教訓が締めとなる。

 ゾーニングとか隔離という意識は日本でも古代からあったようで、たとえば痘瘡(と思われる)人々を山里離れた小屋に住まわせ家人が食べ物を届けたり、医者が往診したなどの記録が残っているとか。
「感染症の日本史」で著者は、江戸時代を中心に現代にいたるまで、徳川家(代々の将軍)や皇室(天皇紀)で正式に残された個人の記録以外にも、市井の人々や政治家、文人たちのの日記や書簡、作品などを詳細に検証することで、未だ医学が現代に比せば著しく未熟であった当時、貴賤上下、感染症対策がどのようなものであったのかを叙述するとともに、疫病に対する罹患者側の意識というものに推測、考察を加え、成果精妙である。

 かく読み解かれてみると現在のコロナ禍は人災である、という感懐を抱かずにはおられない。
・・・昨年9月にイタリアですでに感染が起きており(中国との関係は密で行き来も移住者も多いし一帯一路の片方の端がイタリア)、中国はその情報を知らぬわけはなく、年末に武漢に始まった感染初期情報を明らかにしなかったし(武漢のウイルス研究所からの研究ウイルス漏洩の可能性が否定されていない)、今年1月、我が国ではオリンピック開催と中国トップを国賓として迎えるというスケジュールを背景に春節休みの中国を含む諸外国からの旅行者受け入れ、非常事態宣言前後の全国一斉休校だのなんとかマスクだの、揚句、Go To だStay Home だと矛盾する政策が今なお続けられており、この間死亡者は漸増し、医療機関の疲弊は目を蔽うばかりである。米国では国を分断する大統領選挙前からマスク着用を拒否し、止むことない密集密接の結果、世界最大の感染者、死亡者を生み出し続けている。・・・これが人災でなくてなんなのだ。

 今起きているのと同じ厄災が過去に何度も繰り返されている。歴史に学び過ちを繰り返さぬこと、ぼくたちにはそれが出来るのだと、信じたい。

2020/12/10

65歳以上にGo To の奨励を、20~40代は自粛徹底を

 今日の東京のコロナ感染者が600を超えたと。高齢者層にも広がってきた、重症者・死亡者が増えた、高齢者は極力外出を控えてと。
 いや、違うだろう。新規感染者の絶対数は、20代から30代が多いこと、これに40代を加えると過半数を大きく超えることに注目すべきじゃないのか。

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 20~40代のおそらくは無症状か、ごく軽度の症状で、高齢者に感染させ、高齢者は重症化させているという構図。
 重症者は数が少なくとも対応には多くのスタッフが割かれ、これが医療体制を逼迫させているのだ。

 すでに書いたけれど基礎疾患のある高齢者たちは今更言われずとも極力外出を避けているのだ。
 中途半端なやり方では目先の経済が無意味にアップダウンを繰り返すばかりだ。

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 出発点から甘かったのだ。
 PCRの検査状況がそれをよく物語っている。検査件数が増えたから陽性者が増えたのではない、怪しい状況が出来したので検査が後追いに増えているのだ。
 第2波の頃の動きがそうだ(第1波は論外)。
 陽性者が増え、重症者も増え、約2週間後に死亡者が増え、重症者・死亡数・陽性者数が減るとともに検査件数も減っている。
 要するに「仕方なく」検査せざるを得ない状況がずっと続いているのだ。

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 第3波の現在もそうだ。

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 この先、死亡者数は増え続けるだろうが、重症者数が減少しつつあるから、2、3週間後には死亡者数も峠を越えるかもしれない。

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 しかし、減ったといっても重症者への対応に追われる現場の逼迫度は変わらない。

 経済と感染制御を並行して進めるなんぞ、あり得ぬ話。健康あっての経済だ。
 この状況が続く限り経済は回復しない。
 GoToで効果あるのは分かりきったことなんだから、早いとこ感染を抑えきらなきゃ持続的な効果が生れないのは自明の理。

 声を大にして言いたい。
 20~40代の人たちに4週間、頑張って仕事以外の場から出て頂かないこと。かれらが盛り場や旅先から不在の間(当然補償のため、札は大量に刷ること)、65歳以上の人たちのGo To Travel Go To Eatのインセンティブを大いに拡大したらいいじゃないか。Go Toできるこの年代、単価は低くないぞ(これも言ったか)。・・・だれか聞いてくれるかな、政治家先生。

 老生の戯言に終わることを祈る。

2020/12/08

ワクチン

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 どうしたらこういう発想が出てくるんだろう。
 高齢者や医療従事者から優先的に接種を始めるという。
 前者は弱者であるから、後者は感染対応の現場を担うから、だとか。

 有効性はこれまでのインフルエンザワクチンと比べると段違いに高いという。
 通常この手のワクチン開発、実施まで数年はかかるわけだから、90%以上という有効性が報告されたとき、ぼくはまずは疑った。・・・何か「操作」がなされているんじゃないのか(90%の被験者が予防できたということではない、という補足的解釈を斟酌しても「非常に高い」)。

 有効性云々をひと先づ置くにしても、まだ安全性が完全に担保確認されたといえる状態ではないのだから、弱者に接種するリスクは未知数だ。
 そもそも今回のコロナウイルスの態度の悪さは、これまでのインフルエンザウイルスと異なる面が多々あることが次々に報告されている。
 それをこういうやり方で世界中で開始する、・・・なんだか途方もない人体実験のようで嫌な気分、異様じゃないか。
「今すぐ射てますよ」っていわれたら、ぼくはお断りする。

 英国では女王陛下、アメリカでは歴代大統領3人が腕まくりして待っている。
 日本では来年春以降に接種可能となるのだろうけれど、まずは国会議員の先生たちにこぞって受けて頂きたい。

 このワクチンがこれほど短期間に、本当に能書き通りの結果を生み出すとしたら、とんでもない革命的な技術革新、人類の叡智、危機に瀕したらかかる大発明を成し遂げることができる、大したものじゃないか、・・・しかし思うそばから、熾烈な開発競争の背中を押している様々な政治的思惑が見え隠れする、そう感じるのはぼくだけではないと思うのだが。

 

 

2020/12/07

ポツンと一軒家は冬ごもり

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        ひととせの締めと駆ける日山眠る

 これで今年もこの山道、往復10キロの走りおさめ。

 山小屋を閉める。
 水道の元栓を閉め、屋内の排水管を空にし、不凍液を流し込み・・・那須の冬は寒い。風も強い。
 雪は深くはないが道は埋もれる。

 かつては車にチェーンを附けて子どもらとスキーに出かけたりしたものだ。
 今はそんなこと考えられもしない。

 山よさらば、また会う春まで。

         神妙に扉閉ざして冬ごもり

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 あたりまえだけど、籠るのはぼくではない。山の中の小さなポツンと一軒家だ。



2020/12/06

痰を切る

 昨日のこと。外来診療の合間に、先週に続き、入院中の肺炎の患者さんの診察依頼があった。
 レントゲン写真やCT画像、検査データなどを確認して病棟へ往診。

 解熱傾向あり、ご本人も咳・痰がだいぶ楽になったと。
 聴診するとゴロゴロと肺炎の音に交じってギューギュウと気管支が喘息のように狭窄する音が聴こえる。
「抗生剤の点滴と、痰を切る薬に加えて、気管支を拡張させる吸入剤を使うように主治医の先生に提案してみますね」
「分かりました、あの聞きたいことが・・・」
「何か?」
「基本的なことなんですけど、痰を切る薬っていうのは、痰を抑える薬なんですか?」
「いや、痰を出しやすくする薬です。肺炎で気管支の奥に溜まった痰は、炎症の燃えカスとしてどんどん出してしまうのがいいんです」
「なるほど」
 得心いった様子。

 痰を切るーーー当方ではごく当たり前に頻繁に使う言い方だし、患者さんも処方薬をPCに入力する際、「あっ、先生、痰切りも入れといて」なんて会話はしょっちゅうあること。
 しかし、こちらではごく当たり前、みな了解済みと思ってるものであっても、患者さんには理解困難な一方通行の説明、業界用語って結構あるようだ。
 かの患者さんには、痰を切るの「切る」というのが不可解だったのだろう。
 
 ぼくも幾たびか患者の立場となり、担当医から説明を聞くことがあったけれど、その内容、意味するところ、全部は覚えていない。全部どころか半分ちょっとの気もする。
 パターナリズムとしての主治医に対する無意識裡の信頼が患者側にあると考えるのは、医者側にとっての傲慢な解釈だろう。

 痰を切る、の語尾だけが印象に残る。
 切る? ・・・何を切るんだ?
 不況な会社に勤める人ならば、首切り? 
 ヘアーサロンに勤める人なら髪切り、カット?
 あやうい関係にある男女なら縁切り?
 指切り? これは良くも悪くも約束を求められている方々・・・・・・等々がすぐに連想されるのかも。

 考えてみれば、内々の業界用語の数々、経験を積むにつれ、一般用語に置き換えて、分かりやすく使っていたつもりなのだけれど、医者人生も定年プラスアルファの今になって、また省察を迫られるなんぞ・・・・・・

「このデータ、再検しましょう」・・・サイケン? 債券? 再建? 債権?・・・・・・確かにピンと来ませんなあ。
「この症状、データについては様子を見ましょう」・・・ 思えば都合のいい、問題解決の先延ばしではある。
 まだまだある、枚挙に暇ない。ひとつひとつ例を上げる必要もなかろう。

 患者・医者間のパターナリズムの関係がなかなかに再構築できないのは、何と言っても医者が最後の「切り札」をもっているからなのかどうか、これからも心してゆきたい。

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2020/12/04

歌集「古寺巡禮」

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 過ぐる霜月初旬、トップページに「歌集 古寺巡禮」を掲げぬ。これまで各地の寺社を巡りて折々に詠みし短歌を自撰せるものなり。

 歌詠みの心は日々の生活より生ずるものなれど、筆者においては、旅の空のもと、わけても寺社佛閣に身を置きたるとき吐露せること甚だ多し。

 

 筆者二十歳の冬、奈良への初旅を寺巡りの嚆矢とするに、諸寺諸佛の印象は當時詠みし歌ともども今なほ確乎として腦裏に殘存せるを思へば、爾來五十餘年の歳月の流れ、抱く感懷ひとしほならざるはなし。

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 讀者諸氏、本歌集に一目視線を投じて俄然感知せらるは、現代短歌の流れを顯著に逸脱せる、おのもおのもの歌の調べの甚しき古びやうなるべし。兔にも角にも古臭芬芬なること作者も自認するところなり。

 奈良の初旅の日々に秋艸道人會津八一先生との邂逅あり、その萬葉調の詠風に受けし感銘は絶大なりきとはいへ、筆者歌詠みの心には元來、萬葉より鎌倉にいたる數多の歌に通ずる「なにか」が底流をなせると思ふこと頻りなり。
 元來とはいづれよりかと遡れば、高校の國語教科書での出會ひこそ起點なれとは容易に想起されるところ。
 以來、我知らずその傳統的詠風が心底深く根を張りたるものなるや否や、自問するに自答を得ること能はず。
 筆者の作風、現代短歌の本流に乘り得ぬは自明にして、ごくささやかなる傍流にさへなりえず、自己滿足の境を一歩たりと出ざること深く自覺するものなり。

 

 俵万智女史の「サラダ記念日」は現代短歌に起した革命なり。
 この記念日以來、短歌に縁遠き人々も續々と歌を詠むに至れり。驚嘆とともに賞讚すべきは、言はずもがな、日常ことばをもつての五七五七七への表現變換なり。是れ詠歌のハードルを大いに下げ、身構へることなく詠ふ樂しみを産み出すこと易し、もつて賞讚すべし。

 歴史に散見される同樣のことどもをも思はざるや。
 萬葉、古今、新古今の流れゆく先々に支流をなせるは、俳諧、連歌、川柳、或いは權力を揶揄する落首の類ひなどなどにして、諸人一般、貴人より町民にいたるまで、廣汎に民の平野を潤し、日常へ浸潤せることとなりぬ。

 

 斯くの如く、歌といふもの、古代より現代に至るまで詠風は樣々に變はりながらも、五七五の基調は保ちながら、人間の心の中を流れ續ける「なにか」あり、是れ疑ふ餘地ありや。

 歌の心の無數の絲は多樣な彩りをなし、あるいは縱に、また横に斜めにと、絡まりあひ紡ぎあひつつ、過去より未來に向ふ途方もなく長大にして膨大なる人間たちの生命の底流をなすと思はば、いかで胸底に熱き心地の去來せざるや。

 流れゆくひとすじ一筋、人間ひとりひとり生命の絲の長さは、歴史なる遠大な流れにおきては滄海の一粟に過ぎねど、無數ともいへる同胞たちの心情に共通して流れる「なにか」を感じざるや、如何。

 而して筆者が拙作も彩りこそ人とはたがへど、ひと撚りの限りなくか細く短き絲なれば、「なにか」とともに歌詠みしつつ流れに身をまかせゆくのみ。

 右大臣鎌倉三代將軍之を慨歎して詠める、

     流れ行く木の葉の淀むえにしあれば 暮れてののちも秋の久しき

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 「歌集」、これにて完結にはあらず。適宜氣に入りたるを附け加へ、氣に喰はざるを排し、自己滿足度を高めゆく所存なり。
 願はくば秋艸道人の自註鹿鳴集の如く、一首ごと詠歌の意圖、意趣を書き添へたし。
 知らず、かかる作業のいついつまで續くものかは。

 (久々に舊字、歴史假名遣ひで書いてみました。丸谷才一さんは「ちよつと氣取つて書け」と仰いましたので、まあ、たまには眞に受けて、圖々しく傲岸不遜に)

2020/12/02

風評

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 情けない話である。
 誰にだって感染リスクはあるのだ。医療者はそのリスクは当然高くなる。
 医療の最前線にある人々へのこうした「差別」がどうして起こるのだろう。
 全く非科学的、まるで根拠のない対応だ。

 つい最近の話である。
 ぼくがパートで勤務する病院でもコロナ感染者が出た。
 病棟勤務が担当の常勤医師で、発熱、倦怠感などの症状があるため自宅待機していたが、検査でPCR陽性、CTでは異常なし。
 発症から検査結果が出るまでの間、休日もあったため出勤は1日のみで、入院患者さんとの濃厚接触はなかったようだが、当然ながら担当病棟の入院患者全員とスタッフ全員のPCR検査が行われた。
 すべて陰性で、本人も呼吸器症状を発することなく順調に経過している由、外来業務が主のぼくとしてもほっとした。

 同じころ、外来でぼくの診療介助にあたってくれる看護師さんのご主人が肺炎で入院となった。
 PCRは陰性でCT画像も通常の細菌性肺炎像。新型コロナ肺炎に特徴的な所見はない。抗生剤の点滴で快方に向かっているので比較的早く退院できそうだ。

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 この看護師さん、ふたりのお子さんがいて保育園に預けながら勤務をこなしている。
 ぼくの孫①②と同じ年齢なのでよく子どもたちの話をする(同じような時期に同じような症状を出したり、上の子が出生時NICUに入れられたとか、共通する事情が少なからずある)。

 普段はお子さんたちを区立の保育園に預けているが、勤務する病院で常勤医師がPCR陽性となったと話せば保育を断られるかもしれない。
 クラスターの有無が明らかになる前にこちらから事情を先に話して病院が経営委託している保育所(私立なので保育料が高い)に頼んだ、と、そこへもってきてご主人の肺炎による入院。

 幸い当院勤務への理解がもともと好意的らしいので、元通りの状態にもどるのにそう時間はかからないとは思うのだけれど、ご主人にしたって咳、痰だのの症状が消失するまでは出社には余程気をつかうに違いない。


 近隣の病院でクラスターが発生し、救急受け入れまでずいぶんかかったのは、8月ころだったか。
 外来も一時閉鎖、解除後も外来は閑散としていたという。風評のなせる業。

 先日頼まれたご近所の息子さんも、会社でPCR検査を受けたことを報告し、ついでに受診料も話したところ、そんなに安くできる検査はPCRじゃない、きちんとした診断書を貰ってこいと言われたとか。検査結果表と診断書を送付したが、概して世間の理解とはこのようなものかもしれない。症状があって疑われて行う検査は保険診療の対象なんですよ。

 コロナ禍のなか、不安で検査に来る人たち相手に自費診療だからできることとはいえ、何万円もの検査料を要求する不逞の輩もいる。
 どこにも善人も悪人もいる。
 まあ、これこそ多様性 ・・・・・・ いやあ、それを言っちゃおしまい ・・・・・・ ぼくたちの本然の姿ってこんなものじゃない ・・・・・・ そう信じたい。

2020/12/01

師走 極めの月

 コロナの1年、師走に入った。

 師走は極月ともいう。極めの月。
 これは分かるが、別称の臘月となると読みはできても何の月なのか理解不能、書くにもそう簡単に練習して書けるものではない。
「臘」とは「つなぎあわせる」という意味で、新年と旧年の境目となる旧暦12月のことを「臘月」ともいう、・・・・・・と、ウイキペディアにある。

 同じ発音「ろう」で朧というのがある。これは朧月夜のおぼろで、割に親近感がある。
 朧を重ねて朧朧たりというのは「ぼんやりかすんで薄明るいさま」であるが、同じろうろうでも朗々となるとこれは「透き通りほどに明るいさま」。
 
 字面は両者なんとなく似ている気がする。臘と朧。繋ぎのはずの月がまるで朧というのは、不幸な皮肉である。


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 このニュースを見てぼくは怒り心頭、怒髪天を衝くほどではないけれど、「ふざけんじゃねえよ」と口走ってしまった。
 先に食卓に着いて見ていた妻と長男は口を合わせて、きっとそう言うと思った、と笑う。

 こんなことが言われるずっと以前からすでに、(ぼくが主治医であるところの)ほとんどの「高齢で基礎疾患のある」患者さんたちは極力外出を控えている。

 全国の多くの病院の外来でも同じようなもので、安定している患者さんには薬を長期処方し受診間隔を長くとっている。あまり病院に来ないように、って話だ。
 こうして、不要不急とは必ずしも言い難い患者さんたち以上に、きちんと定期受診が必要な患者さんたちの来院数が激減し、ほとんどの病院、クリニックの損益は赤字である。
 むろんコロナ感染対策のために、がん手術など通常行うべき医療(特に入院での)ができず収益が激減している面の方がはるかに大きいのだが。
 
 患者さんたち、家に閉じこもるから体力が落ちる。呼吸機能が悪くて息切れがひどくなるのではない、脚力が衰えて呼吸苦が生じやすくなっているのだ。

 そういう人たちに向かって何を今更、Go Toを控えて、だ。
 呼びかける相手が違うだろう!

「若年・中年層にも重症化する人が確かにいるんです」って内容で大いに世間を煽りたてるなら(うまい表現方法でやってくれよな)、マスコミのこれまでの愚劣な報道ぶりを少しは許してやろう。

 高齢者が控えるのではない、無頓着な人々の不要不急な外出こそ控えさせる、外出先での慎重なふるまいを導く・・・・・・現行の日本の法律では難しいことではあろうけど、安保関連法案だって数に任せて強引に、簡単にやってのけた与党じゃないか、それくらいできなくてどうする・・・・・・でも、汚れ役はやりたがらないだろうな・・・・・・ましてや「お願い」するにしたって、ドイツやニュージーランドの首相が国民に呼びかけたような心に響くものは到底期待できないし・・・・・・そもそもまともな「会見」やってないもんなあ・・・・・・

 高齢者が安心して外出できるような方策を考えてほしい。
 旅に出られるほど元気な高齢者御一行様が旅の先々で現地に落とす単価は、非高齢者群よりも高いぞ、たぶん。

 Go To に金を出したって潤うところは限られる。
 明日からさらに自粛要請へのお願い協力金を小出しにしたところで、感染者数が低下し経済が回復するのは一過性、イタチごっこか、モグラ叩きみたいなものじゃないのか?
 平等に(あるいは所得に応じて)一時金を再度ばらまいたらどうだ。

 前内閣が日銀と組んで金融緩和しデフレ脱出なんていったけど、結局物価は2%に届く気配は全くない。
「躊躇なく」(よく使われた文言だ)、どんどん札を刷ってばらいまいたところでそう易々とインフレになるとは思えない。
 我が国の「国の借金」構造(財政負担)は、諸外国例に見られるような国家破綻に直結するようなものではない。そのような国々は他国からの借金が多くを占める。
 日本が借金する相手は自国自身なんだからハイパーインフレにならない限り札を刷り続けたって当面は問題なかろう。むろん円高・円安、他国とのバランスってものはあるだろうけど。

 もっと手っ取り早く、消費税の減税だってありじゃないか?・・・・・・
  
 ・・・・・・ド素人が経済を滔々と語ってしまった。ホントか? と訝る向きも多いかと。
 むろん己の発言に確固たる自信などありませぬ。

 たかが65歳以上の高齢者の妄言として後々嘲笑の種にならんことを、臘の月が朧朧の末、極めつきにならず朗々と新年を迎えられることを、願うばかりである。

       臘月や飛行機雲も朧なり

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