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2014/03/24

太宰府にて

    東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春をな忘れそ

 

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 太宰府天満宮といえば、祭神菅原道真の歌で有名ですが、梅にはやや遅く、桜にはやや早く、ちょうど谷間の時期でした。
 それでも参道には人が溢れ、たくさんの店では梅が枝餅が売られ、本殿前には参詣の列ができておりました。

       咲き残る梅の小枝にいにしへの あるじが見ざる夢をこそ思へ

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 そもそもこの天満宮、菅原道真が讒訴によってこの地に左遷され、その死後、天変地異が 頻繁に起きたのを、道真の祟りだということで、怨霊鎮魂の目的で建てられました。
 学問の神様がなぜ祟りを起こすのか、その結びつきが定かではありませんが、日本中に分社がありますから、影響力は少なからざるものだったのでしょう。

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 すぐ南隣に光明禅寺という小さなお寺がありました。
 苔寺として有名なのだそうですが、その名の通り臨済宗のお寺で、あの光明皇后とは関係ないようです。
 入り口の前庭には石を配した仏光石庭、裏庭には苔と白砂で陸地と大海を表現したという枯山水、一滴海之庭と、それぞれに風雅な落ち着いた佇まいの庭でした。

 少し西へ歩くと戒壇院、そして観世音寺と、なんとはなしに懐かしい名前のお寺が畑野の中に見えてきます。

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 どちらもかつては相当に大きな伽藍であったであろうことが容易に想像されます。
 くすのきが生い茂る参道、南大門跡、そして境内のところどころに無造作に置かれた礎石や石碑の苔むしたあり様など、無常の思いをかきたてられます。

 宝蔵には巨躯の仏様たちが収められています。不空羂索、十一面観音、阿弥陀如来、聖観音、地蔵菩薩、四天王像・・・ かつては寺内のいくつかの仏閣ごとに本尊として祀られていたのでしょうが、こうしてひとところに集められていると京都東寺の立体曼荼羅を思わせるような圧倒感です。

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  ほとんどが平安後期の作とされていますが、いわゆる藤原の定朝様式とは一線を画しているように感じられました。 中央とは離れて、かくもすぐれた文化がこの地に栄えていたということなのでしょう、おどろきでした。

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               聖観音、地蔵菩薩、いずれも珍しい坐像、半跏像です

 境内を巡っていて感じたこの無常なるものへの思いは、さらに西に残る大宰府政庁跡までやってくると、ひときわ強くなるような気がいたします。

    あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり

 小野老(おゆ)作のあまりにも有名なこの歌、彼がこの地へ任官派遣された折り、宴席で詠んだ、という碑がありました。
 遠く奈良を偲んで詠んだもので、山上憶良も同席していたと万葉集にありますから、太宰府という地は治政上も重要なところだったようです。

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 そういえば飛鳥時代の白村江の戦でも、鎌倉時代の元寇のときも、秀吉の朝鮮出兵の折りも、この地は重要な前線基地でしたし、遣隋使、遣唐使も瀬戸内海を船でやって来て、ここから大陸を目指したのでしたっけ。

    礎(いしずえ)におほきみやこをしのびつつ たゆたふわれは 春のひのなか

こんなに立派な大きな都だったのに、道真公は我慢できなかったのだろうか・・・ふと思ったことでした。
 

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